28 毒味


 昨晩は部屋に戻ってから頭を抱えた。


 どうやってロバート執事長に説明しよう。ファブラード侯爵の手先だとわかってるんだから、私は要注意人物から追放確定人物になってしまったんじゃ……。

 よそ事を考えながら挑んだトランプゲームはもちろんボロ負け。結局私が白星を掴むことはなかった。流れでもう一回、と挑もうとしたところで我に返る。明日も早いんだった。


 次の勝負に移ろうとするエリエルを押さえ込んでベッドに引き摺り込むのは、屋敷にいたときと変わらない。




「ふぁ……朝に起きるのって変な感じ……」

「これが普通の人間の生活なんだよ。でもほら、朝は空気が澄んでて美味しいでしょ」

「……まあ、悪くはない、うん」

「あの部屋もたまには空気の入れ換えした方が良いよ。帰ったら毎朝していい?」

「やだ、明るい」

「朝だから当然だっつーの」


 繋がれた手をプラプラさせながら空を見上げた。

 今、私達は竜涎香を探しに出かけた帰りだ。


「竜涎香、今日も入荷無かったね」

「あんなの滅多に手に入らないよ、見栄張らないで別の薫りにすれば良いのに。バラとか」

「……え、屋敷がバラで溢れかえって良いの?」

「やっぱり竜涎香がいい」

「撤回早くて笑う」


 例の店では、昨日店員さんが言っていた通り沢山に人が並んでいた。しかも私達が並んだ列は竜涎香専用らしい。

 並んでいる人全員私と同じ御遣い組なのかと思ったら、ちょっとライバル心が芽生える。

 折角早起きして並んだが、店員さんの一言で入荷がなかったと知ることになる。周りの人が全員がっかりしているのを見て、ちょっと怖くなった。この人達は一体いつから竜涎香を待っているのだろうか。


 並んでる最中にエリエルがロバート執事長を呼んで何か耳打ちをしていた。ここは貴族御用達らしいし、竜涎香以外にも沢山の品揃えがある。別の部屋のお香を頼んだのだろう。

 その際ロバート執事長が一度もこちらを見なかったのがちょっと怖い。


「ちょっとロバート執事長と話がしたいんだけど」

「ひとっ走り伝言してこようか?」

「どこの世界に公爵子息を伝書鳩扱いする男爵令嬢がいるってんだ。

 そうじゃなくてさ、私ってファブラード侯爵の刺客なわけじゃん? エリエルと接触したら一番まずい人物なわけじゃん? ロバート執事長からしたら、今でも引き剥がしたいと思うんじゃないかなーって」

「そんなことないよ。ロバートも俺達のこと納得してくれたし」

「あの顔で?」


 凄い顔して柱からこっち凝視してるけど。殆ど瞬きしてないんじゃない?


 そんな私達の心情なんて気にもしないエリエルは、グッと私の腰に腕を回してきた。気がそぞろになって気付かなかったけど、すれ違う人にぶつかりそうになっていたのだ。


 屋敷に居た頃から薄々思っていたが、エリエルは人との距離感がちょっと近い。ほら、昨日なんて馬車で私の唇舐めてきたし。

 怪我した仲間を労る犬の行動と近しいシンパシーを感じる。この腕は集団行動の証ってところだろうか。お礼を言っても、腰に腕は添えられたままだった。


「クローリア、お腹空いた」

「朝ご飯まだ食べてないしね。ホテル帰って部屋に何か届けて貰う?」

「……あれ、食べてみたい」


 繋いだままの手を持ち上げられて、一つの屋台を二人で指さすことになった。なるほど、貝のバター焼きか。いいチョイスだ。


「いいんじゃない? 買ってこようか」

「俺も行く」


 領主様の末息子が買い食いか……中々悪いことさせているな。

 柱に潜んでいるロバート執事長を見ると、すんごい顔していた。大丈夫です、毒味は私がやらせていただきますんで。


「わ、熱そう」


 これは責任重大である。昨日と私が一人で買った時と違って、今はエリエルが一緒にいる。盛られるなら今の方が大いに可能性がある。


 注文してやってきたホカホカのバター焼き。息を吹きかけてエリエルが囓る前に口に運ぼうとすると――


「あっつ」

「何先に食べてんの⁉」

「あふぁひへほほひひい」

「なんて⁉ いや、出して‼」


 な、なんてことをしてくれるんだ‼ しかも私が食べようとしてた奴を、わざわざ横から‼

 屋台の側に引き摺ると、制止を聞かずに咀嚼し続けるエリエルの口に指を突っ込んだ。


 ああ、ロバート執事長が鬼の形相で走ってくる……‼


「の、飲み込んじゃった……‼」

「美味しかった」

「毒味‼ 私が‼ 先に‼ 食べるのォ‼」

「うるさ、聞こえてるよ」

「エ、エリエル様‼」


 ほらやって来たよ、使用人のトップが……‼


「吐いて‼ 大丈夫、飲み込んだばっかりならすぐ出てくる‼」

「や」

「いった‼ 噛み付くな‼」

「毒なんて入ってないよ。それに言ったでしょ、耐性つけてるからそこら辺の毒じゃ死なない。それよりクローリアの方が簡単に死ぬよ。だから俺が先に食べて確認した方がいい」

「自分の立場わかってるんか?」


 喉奥を突いて嘔吐かせる作戦は失敗に終わり、無意味に指に噛み跡がつくだけとなった。


「エリエル様、口元が」

「ん、ありがと」


 手渡されたハンカチで汚れた口元を優雅に拭った。今のところなんともなさそうだけど、しばらくは様子を見た方がいいだろう。

 もしなにか症状が現れたときは、ロバート執事長も近くに居るし医者を呼んでくれると信じてる。


「エリエル様、あまり唐突な行動は控えてください。このロバートめは心臓が止まるかと思いました」

「ごめんね。

 で、竜涎香は無かったわけだけど、今日この後は自由で良いんだよね?」

「勿論にございます」

「あ、それじゃあ今日は別行動でお願いします」

「なんで?」


 自分の分のバター焼きを頬張りながら、エリエルが首を傾げた。今更だけどその綺麗な服と貝のバター焼きの組み合わせがアンバランスでちょっと面白い。


「さっき張り紙で日雇いバイトの募集があったから、それに行ってくる」

「じゃあ俺に付き合って」

「話聞いてる? その耳は機能していないのかな? ねえお願いだから腰に腕を回さないで手を取ってエスコートしないで」


 高血圧でロバート執事長が倒れるぞ‼


「副業オッケーなんでしょ⁉」

「ファブラード家はそうかもしれないけど、エバンスドール家は基本ダメだよ」

「私の雇い主って誰だっけ……」


 折角の副業チャンスは引き籠もり坊ちゃんの我が儘でおじゃんとなったのだった。



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