第2話:空を舞う羽根

「…ここは…?」


あきが目を覚ますと、そこは埃っぽい図書室ではなかった。視界に広がるのは、白く輝く空間。足元には雲のようなものが広がり、目の前には、空に浮かぶ無数の本棚が見える。まるで、巨大な星の図書館に迷い込んだかのようだった。


「目が覚めたかい?」


聞き覚えのある生意気な声がした。声の方を見ると、小さな金色の光の玉が、くるくると楽しそうに宙を舞っている。


「ポン…!?」


「そうだよ、ボクだよ。ここは『書庫の狭間』。ボクが君を連れてきたんだ。正確には、君がボクの最初の力を使ったから、ここに繋がったんだけどね」


あきは驚きと混乱で頭がいっぱいだった。先ほどの強烈な頭痛と吐き気は消え、代わりに、身体の内側からじんわりと温かい力が湧き上がってくるのを感じる。


「…私、どうなったの…? ここはどこ…?」


「だから、『書庫の狭間』だってば。君の持つ『風の書』と、この世界にある他の『生きた本』を繋ぐ場所だよ」


ポンが誇らしげに言う。あきは、恐る恐る自分の手を見た。そこには、やはりあの翡翠色の本がしっかりと握られていた。


「この本…本当に生きてるの?」


「あたりまえじゃないか。そして、ボクは君が最初のページを読んだことで、君を『風の書』の読み手だと認めた。つまり、君はボクの相棒なんだ」


あきは信じられない気持ちで、その言葉を聞いていた。本が嫌いで、文字を読むだけで苦しんできた自分が、本に選ばれた? そんな馬鹿な話があるだろうか。


「でも…私は…本が、嫌いで…」


ポンの光が、くるりとあきの周りを回る。


「うん、知ってる。だから、ボクが助けてあげるんだ。君はボクの力を借りて、本を読むことができるようになる。そして、君の力を借りて、ボクも力を取り戻す」


「力を取り戻す?」


「そう。ボクたちは、この世界に散らばった『生きた本』の力を集めているんだ。そのためには、ボクの力で君の苦手な部分を克服して、君がボクの力を解放していく必要がある。それは同時に、君が君自身と向き合うことでもあるんだよ」


ポンはそう言うと、あきの肩にちょこんと止まった。その時、あきの頭の中に、あの最初の文が再び響く。


── 風の書の一節


それに続いて、新たな文字が浮かび上がってきた。


『そよ風は、小さな声で、世界を歌う。』


その一文を読んだ瞬間、あきの身体はふわりと軽くなった。そして、背中に、何かが生えたような不思議な感覚を覚えた。


「これは…?」


ポンは楽しそうに笑う。


「さあ、試してみようよ!」


ポンの声に促され、あきは恐る恐る、足元に広がる雲の上を蹴ってみた。すると、身体がふわっと浮き上がり、そのまま宙に舞い上がった。


「う、浮いてる…!?」


あきはパニックになりかけたが、ふと、自分の背中から羽根が生えているかのような感覚に気づいた。それは目には見えない、風でできた翼。あきが意識を集中させると、その翼が形を変え、彼女をさらに高く、さらに遠くへと運んでいく。


まるで鳥になったような気分。風が身体を優しく包み込み、耳元で囁く。読書をすることなく、文字を追うことなく、ただ心のままに風を感じている。今まで感じたことのない解放感と、ほんの少しの喜びがあきの心を満たしていく。


その時、ポンの声が響く。


「すごいじゃないか! 君、天才だね!」


ポンは本当に嬉しそうだった。その声を聞いて、あきは初めて、自分の中に温かい感情が芽生えたのを感じた。それは、恐怖や不安とは違う、何かを成し遂げたような、不思議な達成感だった。


『風は、進むべき道を、指し示す。』


再び頭の中に一文が響く。それに従うように、あきは無意識に風の翼を羽ばたかせ、無数の本棚の間を縫うように進んでいく。


その先には、淡い光を放つ、もう二つの本が浮かんでいた。一つは黄金色の、太陽のように輝く本。もう一つは、水面のように静かに揺らめく、水色の本。


「あれは…?」


ポンが真剣な声で言った。


「あれが、君の仲間となるべき『光の書』と『水の書』だ。この場所は、全ての『生きた本』が繋がっている場所なんだ。君の力は、その本たちを呼び寄せた」


あきは、自分に備わった新たな力に戸惑いつつも、目の前に浮かぶ二つの本に、不思議と強い親近感を覚えた。


そして、その日の夕方。あきは、旧校舎の図書室の床で目を覚ました。夕焼けはもうとっくに終わり、あたりは暗闇に包まれている。手には、あの翡翠色の本が握られていた。


すべては夢だったのだろうか?


そう思ったその時、ポンの声が再び頭の中に響く。


『じゃあね、あき。また会おう』


その声は、夢ではなく、現実だった。そして、あきの背中には、風が運んできた、一枚の小さな羽根がそっと落ちていた。


その羽根は、まるで、あきの新たな人生が始まったことを告げる、小さな証拠のように見えた。

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