森の狂研2

 ディーヴァは護覇府の白い床に踏み込んだ瞬間、思わず息を飲んだ。

 余りにも巨大で。

 建物は街一つ以上を丸ごと飲み込むようなスケールで、天井は遥か頭上に透き通った透明素材で覆われ、陽光がキラキラと反射している。

 地平線が見えるのではないかと思う程に続く白い空間は、要所要所に植木が置かれ、白と緑と水色の美しい空間を作り上げていく。

 壁には複雑な紋様や光るパネルが並び、砂漠の街の粗い石造りとはまるで別世界であった。

 鼻を擽るのは、薬品と金属が混ざったような、妙に清潔な匂い。

 どことなく花の甘い香りも含まれており、嫌な感じも無く、南方大陸の砂の匂いとは全く異なっていた。

 どうやって作られたのか、どうやって動いているのかも解らない未来の世界に跳んだのか、完全な異世界に迷い込んだのか。

 教科書からは想像できなかった世界過ぎて、夢でも見ているかのような気分になる。

「ほら、ボーッとしてると置いてくぞ」

 レイが肩越しに振り返り、ニヤリと笑った。

 サングラスの下の目は見えないが、どこか楽しげな雰囲気を漂わせていたので、ディーヴァは慌てて荷物を背負い直し、レイの後を追いかけた。

 護覇府の内部は、源民族、獣魂族、そして一見普通の人に見えるのにやたらと耳が長い人や、滑るように移動する機械の人でごった返していた。

「そら、あれが智械族だ。さっき言った機械の種族だな。んで、あっちの耳が長いのが精耀族。獣魂族より先に、源民族によって生み出された賢くて理力の扱いに長けてて美男美女に恵まれている種族だ。万物に宿る神様の声を聞く事が出来るから耳が長くなった、何て伝説すらある。あとここにはいないが鱗龍族や有翼族や有角族なんて種族もたまにいる。ここは中央だからな、総ての大陸から様々な種族が集まっている都市なんだ」

 皆、忙しそうに歩き回り、巨大な画面に映し出されたデータを指さして議論していたり、通信機を耳にあてて誰かと話していたりと忙しなく動いている。

 ディーヴァのような獣魂族もちらほらいるが、レイの言った通り、どこか冷たい視線を感じてか、皆少し元気がなさそうなように見えた。

 ある智械族の女性がディーヴァを一瞥し、すぐに目を逸らした事に気が付いて、少し複雑な気持ちになる。

 種族は平等という教育は何だったのか。

 差別される側が意識を変えた所で歴史は変わらないものなのかもしれない、と思うと、中央に対する憧れのような幻影が消えていく。

「気にすんな」

 ディーヴァの表情に気づいたレイが低い声で呟いた。

「そういう奴はどこにでもいる。実力を見せりゃ黙る。お前の獣魂族の身体能力、バカにならねえだろ?」

「うーん‥‥どうなんだろう‥‥まあ、力仕事なら自信あるけど‥‥戦闘とかは、ぶっちゃけやった事も無くて‥‥」

 ディーヴァは正直に答えた。

 砂漠のあばらやでは、子供たちと追いかけっこしたり、重い荷物を運んだりする程度で、剣や魔法といった冒険者らしい経験は皆無である。

 その上、一定年齢に到達した者は、中央大陸に就職する約束になっていた。

 そういうものだと思い、それ以上の事を何も考えずに育ったディーヴァは、過去の自分を恥ずかしく思った。

―― あんなに時間を持て余していた筈なのに。多少の筋トレはしてきてはいるものの、武器の取り扱いに関する練習の一つや二つしてきていれば、最初から嫌な思いをしなくても済んだのかな‥‥

 そんな思いつめた表情をレイは小さく笑い、ディーヴァの肩をポンと叩いた。

「その辺は試験で明らかになるさ。護覇府の入隊試験、獣魂族なら高い前衛適性だけで何とかなるだろ」

「何とかなるって‥‥レイは楽観的なんだね」

 ディーヴァは苦笑したが、胸の奥では高鳴る鼓動を感じていた。

 不安もあるが、未知の世界への好奇心も生まれ始めている。

 この巨大な護覇府で、俺に何ができるんだろう?何を求められているのだろう?

 そんな思いが頭をよぎる。

 二人がカウンターへと向かう途中、護覇府の廊下はさらに賑わいを見せていた。

 獣魂族の屈強な男が巨大な剣を担ぎ、源民族の研究者らしいローブ姿の女性がデータを読み上げている。

 智械族の細い女性が浮遊しながら、ディーヴァを一瞬見て鼻で笑った。

 ディーヴァの耳がピクリと動き、尾がイラッと揺れたが、レイが「ほっとけ」と軽く手を振って制した。

 すぐに落ち着きを取り戻したディーヴァであったが、そこで当たり前の様にそこら中にあった景色に突然疑問を覚えた。

―― あれ、今の人、いや、さっきの人もだけど‥‥浮いてなかった?人が?浮く?

 今はまだ夢を見ているのか、それとも見間違えなのか。

 ディーヴァは頭が混乱し始めていた。




 カウンターに到着すると、そこには透明の壁に覆われた受付があり、背の高い智械族の男性が無機質な声で対応していた。

 ディーヴァは書類を握りしめ、カウンターに差し出した。

「アナログですか」

 受付員は無表情でそれを受け取ると、手で伸ばし、赤いレンズのような目でそれをスキャンした。

 悪い事をしている訳でもないのに心臓がドクドクと鳴る。

 穴黒って何?と訊きたい衝動を心の中に抑え込む。

「ディーヴァです。南方大陸から来ました。この書類を見せて、護覇府の入隊試験を受ける様に言われて‥‥」

 受付員は少し震えた声を聞いているのか聞いていないのかわからない仕草で書類を処理し、機械的な声で応じた。

「ディーヴァ、獣魂族、南方大陸出身。データ確認。書類受理。試験は直ちに開始。第三試験室へ移動してください」

「え、直ちに? 今!?」

 ディーヴァは目を丸くした。

「てっきり明日とか、せめて準備時間くらいあると思ったのに。俺武器とかそういうの何も持ってな‥‥」

 隣にいたレイが肩をすくめ、ニヤリと笑った。

「ここで働きに来たんだろ?じゃ、俺はこれで。頑張れよ、ディーヴァ」

 レイはサングラスを軽く直し、軽い足取りで人混みに消えた。

 ディーヴァは「待って!?」と叫びかけたが、智械族が無情にも「第三試験室、至急移動」と繰り返すので、仕方なくディーヴァは指示された方向へと急いだ。

 第三試験室は、カウンターからほど近い白い扉の奥にあった。

 部屋に入ると、殺風景な空間に机と数人の試験官が待っている。

 試験官の一人は獣魂族で、狼のような耳と鋭い目つきをしており、もう一人は源民族の女性であった。

「ディーヴァ、着席して下さい。筆記試験から開始します」

 狼耳の試験官が低い声で告げ、ディーヴァは言われるがまま座る。

 机上にホログラムモニタが現れ、護覇府の規則や北方大陸の瘴気に関する簡単な問題が表示されたが、大部分がレイとの会話で出てきていた内容だった為、ディーヴァは特に苦労せずそれらを総て埋める事ができていた。

―― 頭脳戦とか言ってたけど、これ、ただの暗記テストなんじゃないかな‥‥いや、もしかしてレイは‥‥試験監督か何かだった‥‥? だから問題に出そうな内容を先に俺に聞かせたの‥‥? 一般人の振りして実は俺のお目付け役か何かだった‥‥? いや、いやいや‥‥そんな事は‥‥ だって俺、予定より早い便に乗って来たし‥‥

 もやもや考え事をしながらの筆記が終わると、すぐに模擬戦闘に移った。

 隣の部屋には訓練用のエネミー型デコイが並び、指定されたデコイだけを攻撃するよう伝えられ、丸木の棒が渡される。

 ディーヴァはそもそも武力行使を行った事が無かったが、獣魂族の一員として腕力には自信があった。

 年齢の割に150cmと小柄でそれ程太くはなかったが、そこそこしっかりとした体格を生かしてデコイを棒で叩くと、デコイの頭部がもげ、一太刀でばらばらに砕け落ちた。

「あっ‥‥」

 壊しちゃった、という罪悪感が先行し、申し訳ないと言いたげな表情で試験官の方を見た。

 しかし試験官は無表情で「合格です」とだけ告げると立ち上がり、ディーヴァは呆気にとられた。

「え、これで終わり?」

 ディーヴァが呟くと、源民族の試験官が笑顔になった。

「力任せな獣魂族の典型ね。でも筋は悪くなさそう。次、支給品説明よ。ついてきなさい」

 試験は驚くほどあっけなく終わり、ディーヴァはわけもわからず別の部屋に連れていかれ、テーブルにずらりと並んだ道具と、説明を始める智械族の職員の前に立たされた。

 ディーヴァの頭はまだ試験のことで一杯だったが、職員は容赦なくまくし立て始めていた。

「先ずこちらが支給品一覧だ。量子袋:武器、防具、物資を収納可能な多次元空間デバイス。使用方法はマニュアル参照の事。獣魂族は獣化能力使用時、衣服の量子袋登録を必須とする。未登録衣服の破損は社会的立場の毀損を招く。公共の場での裸体露出は懲罰対象である事に起因する。次、通信端末:護覇府の指令をリアルタイム受信。隊員は二十四時間の装着を必須とする。入浴時も例外ではない。ホログラムモニタによる映像管理、端末機能としてデータ解析や送受信も含まれる。瘴気耐性装備:北方大陸任務時に着用義務。詳細はマニュアル参照。次――」

 ディーヴァの耳は言葉の洪水に圧倒され、頭がぐるぐるした。

―― 量子袋? 獣化? 社会的立場? 何!? マニュアルってどこ!?

 パニックになりかけたその時、聞き慣れた声が響いた。

「よぉ、又会ったな!」

 ディーヴァが振り返ると、レイがドアにもたれかかってニヤニヤしていた。

 サングラスをしたままディーヴァの困惑した顔を見て楽しそうに笑っている。

 智械族の説明が一瞬止まり、ディーヴァは思わず叫んだ。

「レイ! 丁度良かった! 理解が追いつかないんだ!」

 その様子を見ながら、レイはゲラゲラ笑いながら近づいた。

「ハハ、落ち着けって。試験終わったんだろ? 支給品の説明は、まあ、最初は誰でもそんな感じだ」

 レイはテーブルの量子袋を手に取り、軽く振った。

 袋とは名ばかりの、どうみても単なる腕輪である

「要はなんでも突っ込める袋だ。獣化の話は‥‥お前、獣魂族ならフル形態になれるだろ? その時、服が破けるとマズいって話。登録しとけば、獣化しても服が自動で収納されて、後で戻せる」

 ディーヴァは目を丸くした。

「フル形態って何?」

「マジか」

「何?」

 真面目な顔で聞いてくるディーヴァの顔を見て、レイはゲラゲラ笑うのをやめ、急に真顔になる。

「ま、そういうのは追々だな。護覇府の技術はバカみたいに進んでるからな。先ずは‥‥当たり前って奴に慣れる所からだな。で、お前、試験受けた感じどうだった?」

レイの質問に、ディーヴァは少し照れながら答えた。

 説明中だった職員は、何かを捲し立てると文字がびっしり表示されたメモ形状のホログラムモニタを他の装備類の上に乗せ、挨拶もなくさっさと立ち去っていく。

 申し訳なさに一杯になりながら、ディーヴァは職員に深々とお辞儀をした。

「なんか、あっけなくて‥‥‥筆記とデコイ殴っただけで終わった。典型的だけど筋は良いって言われたけど‥‥、こんなんでいいのかな」

 レイは肩をすくめ、ニヤリと笑った。

「それで十分だ。護覇府は実戦で育てるタイプだからな。さて、次はお前の配属先だ。調査班か警護班、どっちになった?」

 ディーヴァの耳がピクリと動いた。

「配属先? そういえば、書類には治安維持部隊か捜査・情報部隊って書いてあったけど‥‥まだ言われてないかな?」

 北方大陸の瘴気や、黒い霧の話が頭をよぎる。

―― 俺、ほんとにそんな大きな仕事に絡むのかな‥‥

 不安が胸を締め付けるが、レイの気楽な笑顔がそれを少し和らげた。

「ま、結局の所大半が兼任なんだがよ。言われてねーんなら特に制限するつもりは無いのかもしんねぇな。とりあえず、量子袋の使い方教えてやるよ。ほら、あれ持ってこい」

 レイがテーブルを指さすので、ディーヴァはテーブルの上に並んだ支給品を呆然と見つめた。

 量子袋、通信端末、瘴気耐性装備‥‥どれも砂漠のあばらやでは見たことのない、未来の道具のようである。

「これはな、登録者本人にしか使えない代物なんだが、こんな感じにな」

 レイが自分の腕輪に手を翳すと突然ナイフがスッと現れ、手に握られた。

 ディーヴァの目が丸くなる。

「凄い! どうなってんのそれ!?」

「量子袋ってのはな、名前はアレだが武器や防具、なんでも量子データ化して収納する装置だ。ほぼ無限に入る。必要な時にこうやって具現化する。便利だろ?」

 レイは得意げに銃を取り出し、くるっと回して見せた。

「普段は全部袋にしまっとけ。持ち歩くより安全だ。‥‥ただ、生物は絶対入れんなよ。世界ルールで禁止されている。データ化されちまった生き物は二度と戻れねえかもしんねえからな」

 ディーヴァは目を輝かせたが、「量子データ化」の言葉で頭がこんがらがった。

「え、量子って何? データ化って、物が消えるってこと? でも戻るんだよね? だけど生物は戻らない? どういう‥‥」

 狼のような尻尾が困惑でピクピク動き、何だか子犬の様に思えてレイは肩をすくめて笑った。

「ははっ、細けえことはいいんだよ。要は、袋に突っ込んで、必要な時に呼び出す。それだけ覚えとけ。ほら、お前の武器も登録しろ」

 レイはディーヴァに腕輪を渡し、テーブルの両刃武器を指さした。

 柄の両端に鋭い刃がついた、獣魂族らしい力強さとスピードを活かせる武器である。

 ディーヴァはそれを手に取り、レイの指示通り袋に「登録」したが、仕組みはさっぱりわからなかった。

「これでいいのかな? 俺、ほんとにこれで戦えるのかな‥‥」

 ディーヴァは少し不安げに尋ねたが、レイはニヤリと笑った。

「獣魂族の身体能力があれば余裕だろ。試験であっさりデコイぶっ壊したんだろ?そんだけ火力ありゃ、心配ねえって。ま、危なっかしいから俺がちゃんと見ててやるけどな」

 レイのアニキっぽい口調に、ディーヴァは少し照れつつ、胸の奥で正義感が燃えた。

―― そうか、護覇府の仕事は、きっと誰かを助ける為のものなんだ。だから、俺もレイに助けて貰った分誰かを‥‥って

「え?まだ居てくれるの?」

「ああ、乗り掛かった舟みたいなもんだしな。早速手続きしてきてやったぜ」

「手続き?」

「ああ、お仲間登録‥‥みたいなヤヅだ」

「お仲間‥‥?」

「お前今後どこに住むとかまだなんも解ってねえだろ?」

「あっ」

「だろうと思って、そういうの全部、一纏めにした奴手配しといてやったぜ」

「えっそうなの‥‥何から何まで迷惑かけてごめん‥‥有難う、助かるよ」

「ついでに、俺がお前引率担当として申し込んでおいた」

「えっ」

「今からもっかい引率探すの面倒だろ?俺今丁度暫く暇だしな」

「ええ‥‥」

 信じていいのか、疑うべきなのか頭をぐるぐるさせ、ディーヴァは固まった。

 そんな姿を見てレイは優し気に笑い、そして無視をした。

「よし、次は任務だ。と、その前に。疲れているようなら先に宿舎に案内するが」

「ううん大丈夫。空飛んで移動してきただけで何もしてない様なモノだし、今日はまだまだこれからだよ」

「分かった」

 そういうとレイはディーヴァを引き連れてカウンターに戻った。

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