第7話


 荀攸じゅんゆうは目を開いた。

 しばらく自分が眠っていたらしいことに気付いて、しまったと思う。

 慌てて近くを見ると、手にしていた鏡は座った自分の膝の上に落ちていて、床に落ちて壊れたりしていなくて、安堵した。


 郭嘉かくかがある夏の夜、この鏡を手にして、庭先に立っていたのだ。

 

 何をしているのかと思って見ると、地面に何かを書いていていた。

 空の星を、鏡に映しながら描いていたのだ。


 その頃、知り合いから天文の話を聞いて、とても面白かったのでもっと知りたくなったのだという。

 話について行けなかったのでまずは星の配置を知らなくてはと、描き写して覚えていたらしい。


 それから屋敷にいる時は、星を見て話すようになった。


「さすがは奉孝ほうこうさま、あんなに規則正しい生活を送られる荀攸様を、すっかり夜行性にしてしまわれるとは」


 芙綺ふきも時折夜中に起きて来て、少しの間話している荀攸と郭嘉を微笑ましそうにしばし眺め、部屋に戻って行くことがあった。


 荀攸の体も一年ほどで完全に回復し、出仕も出来るようになって来たことから、

 近々この屋敷を離れることになるだろうということは分かっていた。


 その時は芙綺も郭嘉も素性がよく分からなかったので、

 ここを出たら、彼らにはもう二度と会えないような気がしていた。



 春、


 再び庭に薄紅色の花が咲き出した頃、

 星を見上げながら郭嘉が言ったのだ。


 一年を通して、星を見て来た。



『冬の星が一番綺麗な気がする』



 理由は分からないけど、一番輝いて見える、と言ったのだ。




『冬の星が一番好きです』




 郭嘉かくかが星のような目を輝かせて微笑った。



 ……その一月後ほどあと、荀攸は屋敷を去った。



 だが今でも冬になると、星を見上げて不思議と春のあの景色を思い出すのだ。

 あの時の、幼い郭嘉の姿を。


 あの春の夜のことを思い出すと、

 どんな悪夢に魘された夜でも、不思議と心が静まって、

 そして荀攸はまた眠れるようになる。


 あそこは本当に、心の深い場所にある、楽園のような場所だった。


 

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