第19話 招かれざる訪問者2

「皆様、こちらです」


屋敷に到着した僕達は、執事補佐のトーマスに先導されてギル達が待つという部屋に急いでいた。


何の連絡もなく突然の訪問には驚いたけど、さすがにあの人達も爵位が上でかつ面識があまりないデュランベルク家の邸宅で無茶なことはしないはずだ。


でも、嫌な予感がする。


彼等が待つという部屋に近づくほど、不安で胸がどきどきしてきた。


「あちらの部屋でございます」


トーマスが足を止め、手で指し示した場所には豪華な装飾が施された扉が備え付けられている。


多分、来賓室なんだろうけど、僕はそれよりも部屋の前に屋敷で働く人達で人だかりができていることに心がざわついた。


「ほう、この屋敷で一番格式の高い部屋に案内したのだな」


「は、はい。実は……」


ソフィの指摘にトーマスが決まりの悪い顔を浮かべるとほぼ同時に、硝子【ガラス】が割れたような音が部屋の中から響いてきた。


何事かと見やると、次いで女性の怒号が轟いた。


「私はこの屋敷で一番高いお酒を持って来いと言ったはずよ。私を舐めているの⁉」


この激しい金切り声は忘れもしない、ギルの実母にして僕の義母にあたるセラだ。


「まさか、酔っているのか?」


ソフィが眉を顰めると、トーマスはこくりと頷いた。


「セラ様は、こちらに来た時からかなり酔っておられたご様子でした。部屋に案内してからもずっとお酒をご所望され、酔いはますます悪化しているようです」


「……この歴史ある屋敷には王族を含めて様々な方々が訪れてあの来賓室に使用しますが、酔っ払いが利用したのは初めてですね」


セシルが呆れ顔で肩を竦めたその時、「も、申し訳ありません」とメイドが怯えた声で謝罪する声が聞こえてきた。


「しかし、当主様不在の為、私達がいまお出しできるお酒は……」


「うるさい。お前に口答えは求めてないわ」


「きゃあ⁉」


セラの吐き捨てるような言葉と破裂音が聞こえるとメイドの悲鳴が響き、室内から執事の慌てた声が轟いた。


「乱暴を働くのはおやめください」


「何よ、私はソフィア・デュランベルクの夫となったアルバートの義母ですよ。そんな目つきが許されると思っているのかしら⁉」


僕はハッとして廊下を駆け出すと、部屋の前に集まっていた人達をかき分けて扉を開けた。


「止めてください、セラ様」


最初に目に飛び込んできたのは、床にへたり込むメイドを守るように執事がセラの前で立っている光景だった。


そして、セラはというと右手を振り上げ、まさにこれから平手打ちで執事の顔を打擲しようとする寸前だ。


でも、彼女の動きは僕の呼びかけでピタリと止まる。


次いで視界に入ってきたのは、部屋の備え付けられたソファーに弟のギル、エルマリウス侯爵家当主のライアス、元婚約者のエレノアが腰掛けている姿だ。


でも、彼等は何も言わず成り行きを見つめている。


一体、この人達はセラを止めずに何をしているんだ。


怒りと疑問が渦巻く中、セラがこちらにゆっくりと振り向いた。


「あらぁ、アルバートじゃない。待ってたわよ」


にやりと笑うセラだけど、僕は目を丸くした。


彼女は男爵家出身という自らの出生に劣等感があるらしく、普段からこれでもかというほどに身なりを整えて見栄を張っていたはずだ。


それなのに今は髪はあちこち跳ね、服は乱れ、明らかにお酒の飲み過ぎで目が据わっている。


「セラ様、一体どうされたんですか?」


「ふふ、どうして私がここにいるか気になるわよねぇ。でも、ちょっと待ちなさい。すぐに教えてあげるからぁ」


彼女は言うが否や、右手を振り下ろして執事の顔を平手打ちで打擲した。


室内に破裂音が響き、執事が「う……⁉」と倒れてしまう。


「な……⁉ なんてことをするんですか⁉」


慌てて執事に駆け寄ると、彼は打たれた左耳を押さえていた。


「大丈夫ですか……?」


「はい、大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません」


「あ……⁉」


彼は目を細めるが、よく見れば左耳からは血が出ている。


鼓膜が破れたのかもしれない。


間違いなく、セラの平手打ちによるものだろう。


グランヴィス侯爵邸で過ごしていた時、僕もこうしてよく彼女から叩かれた。


以前は僕が耐えれば良いだけだったから、怒りを覚えることはなかった。


でも、ソフィが大切にしている人達に手を挙げられた事実には、とんでもない怒りが込み上げてくる。


「どうして、どうしてこんなことをするんですか⁉」


僕が声を荒らげて睨み付けると、セラは鼻を鳴らした。


「どうもこうもないわよ。全部、全部あんたのせいじゃないの⁉」


「ふざけないでください。僕をグランヴィス侯爵家から追い出したのは貴女達でしょう。それなのに、どうして僕のせいなんですか⁉」


言い返すと思われなかったのか、セラはきょとんとすると目を潤ませた。


「あぁ、やっぱりそうなんだわ。私に口答えするなんて、アルバートは家を追い出されて気が狂ったのね。だからイルバノアを、グランヴィス侯爵家を潰そうとしているんだわ」


「な、何を言っているんですか……?」


あまりに情緒不安定な言動に狂気を感じてたじろぐと、彼女は部屋に備え付けられたソファーに座っていたギルバートに駆け寄ってしゃがみ込んだ。


「ギル、やっぱりアルバートは狂っていたわ。母さんの言った通りでしょ?」


「そうだね、母さん。悪いのは全部、アル義兄さんさ」


ギルはセラの頭を優しく撫でると、こちらに振り向いて目を細めた。


「やぁ、アル義兄さん。突然、訪ねてきて悪かったね。ちょっと話がしたくてさ」


目が合った瞬間、ぞくりと背筋に寒気が走った。


ギルは笑顔だけど目の奥がまったく笑っていない、というか感情らしいものが一切感じられなかったからだ。


「取り込み中のところ悪いが、貴殿達の状況と目的を教えてくれないか」


威圧感のある声が室内に響くと、この場にいる全員の耳目がソフィに集まった。


彼女はメイドと執事に退室するよう優しく目配せすると、颯爽と歩き出して空いていた上座の席にどさりと腰掛ける。


そして、そのすぐ横にセシルが威儀を正して毅然と控えた。


たったそれだけなのに、この部屋の空気は耳が痛くなるほどにピンと張り詰め、この場の主導権はソフィにあると認識させられてしまう。


ずっと傍にいたからわかりづらかったけど、彼女の放つ存在感と威圧感は凄まじい。


「聞こえなかったのか。こちらにおられるのはデュランベルク公爵家当主名代ソフィア・デュランベルクである。本来、貴殿達の無礼極まりない突然の訪問に対応する義理はないが……」


セシルは毅然とした口調で告げると、僕をちらりと見やった。


「我が姉ソフィアの夫となるアルバート殿の縁者ということで、特別に対応しているのだ。姉の代わりに告げる、貴殿達が無礼極まりない突然の訪問をした目的。そして、この無秩序かつ混沌とした野蛮な状況になった理由を簡潔に説明しろ」


彼は淡々と語ると同時に部屋の壁がきしみ、全身にずんとした重圧がかかる。


それとなく魔力を発し、ギル達を威圧したんだろう。


ごくりと喉を鳴らして息を呑んでいると、ソフィがこちらを見てにこりと微笑んだ。


「アル、そんなところに立ってないでこっちにこい。君はすでに『デュランベルク』の一員なんだからな」


「は、はい」


急いで彼女の傍に移動すると、ライアスがスッと立ち上がって会釈した。


「ご挨拶が遅れたことをまずはお詫び致します。恐れながら、ソフィア殿に自己紹介をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


「あぁ、構わんよ」


ソフィが頷くと、彼は威儀を正して畏まった。


「エルマリウス侯爵家当主ライアス・エルマリウスと申します。ソフィア殿とは王宮で何度かお会いしておりますが、こうしてお話しするのは初めてでございます。以後、お見知りおきください。そして、こちらが……」


ライアスが目配せすると、エレノアがその場に立って会釈した。


「エルマリウス侯爵家の長女エレノア・エルマリウスでございます。戦公女と名高きソフィア様にご挨拶できることを光栄に存じます」


ライアスの挨拶では無表情だったソフィだが、彼女の挨拶には「ほう……」と眉をピクリと動かした。


二人が長年の宿敵に出会ったかのような視線を交差させると、なぜか部屋の温度が一気に下がる。


ぞっとする寒気に加え、肌が凍てつくような感覚に襲われた。


この二人、本当に初対面だよね……?


ソフィはふっと表情を崩すと「なるほど……」と切り出した。


「グランヴィス侯爵家と同じく、魔法の名家と名高いエルマリウス侯爵家の話はよく聞いているよ」


彼女はそう言ってギルに視線を向けるが、なぜか口元に手を当ててわざとらしく唸り始める。


「ふむ……。貴殿の見覚えはあるんだが、誰だったか。あ、思い出したぞ」


ソフィはハッとすると、したり顔で笑った。


「グランヴィス侯爵家の小姓だったな。どうだ、これは間違いないだろう」





――――――――――

◇あとがき◇

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