#3 異変発生、闇落ちのロボット
艦底居住区内の通路は、「艦内幹線」と呼ばれている車道を別にすると、ほとんどがトンネル状の狭い道ばかりだ。
ところどころに「広場」というのもあるのだけど、それは通路同士の交差点でちょっと広めのスペースが確保されている程度のものだった。広大な、あの「地上」とは程遠い。
それでもわたしは仕事帰りに「広場」の隅のパイプベンチに座って、ナトリウム灯のオレンジ色の光を浴びながら、ミートショップのコロッケをかじるのが好きだった。部屋の小さな折り畳みテーブルで、壁に向かって一人で食べるよりはずっと気分がいいから。
初めての人なら絶対に迷いそうな通路をくねくねと歩いて、わたしは自分の居住区画に着く。白い壁に並んだ銀色の扉の一つ、その向こうがわたしの部屋だった。
何もかもが高密度で狭く感じられる艦底居住区だけれど、ちゃんと自分の個室が与えられているというのは素晴らしいことだった。この宇宙空間では、居住空間ほど高価なものはないのだ。やはりこの巨大補給艦での勤務というのは恵まれているのだ。
そのことを思えば、あの「上部保養地」が、どれほどに特別な場所なのかがわかる。そこで働くことを夢見ているのは、きっとわたしだけではないはずだった。
プラズマドライシャワー洗浄機の操作が主な仕事のわたしが「地上」に配達に行けるのは月に1度あるかどうか。だから、翌月の配達先がまた「KEI'S DINER」になったのは、とても嬉しかった。
今度も運よく、あの親切な「当たり」の軍人さんたちのチェックを受けて、1か月ぶりの明るい「地上」に出た。人工的に作られている艦内の空気は艦底居住区と何も変わらないはずなのに、こうして青い空の下で風を浴びていると、全然違うおいしい空気みたいにしか思えなかった。実はこの場所は、夏の高気圧を演出するために若干与圧を高めてあって、それがわずかな感覚の差を生んでいるらしいということを後にわたしは知った。
「ルート55」まで小道を下り、かわいい艦内バスに乗り込んだ。お客はわたし一人だけだ。
ヤシの並木が続く疑似海岸沿いをバスは快調に走り、たちまちのうちにダイナーの、あのクリームソーダの看板がカーブの彼方に見えてくる。
「あのバス停で降ろしてください」
いつも通りに、運転AIさんに頼んだ。ところが、返ってきた返事は予想外なものだった。
「……
「え? 何を言ってるの?」
わたしは驚いた。ここで降りられないと困ってしまう。
「……システム上の、何らかの制限が……不明な……指令が」
運転AIさんが苦し気に答える。なんだか様子がおかしい。エラーとか、バグとかいうものかも知れない。
「あそこで降りられないと、わたしはお仕事ができずに困るのです。停まってください」
はっきりと、わたしは伝えた。AIの人たちがおかしなことになったときは、強めに希望を伝えるほうがいいのだった。
「お客様からの、人間からの、直接指示による優先判断。停車及び、ドアの開放」
制服姿の立体映像が急に消えて、機械的な音声が流れた。難しい文字列が、空中でスクロールする。
そしてバスはちゃんと停まり、ドアを開いてわたしを降ろしてくれた。走り去ったバスの後姿は、なんだか混乱しているようにちょっとふらついていて心配だったけれど、わたしにはどうにもならなかった。
気を取り直して、ダイナーの白い建物へと向かって歩いて行く。そんなことを期待してはいけないのだけど、もしかしたらまたソーダを飲ませてくれたりするのかも、などと思うと、わたしの足取りはスキップしたいくらいに軽くなってしまう。
ところが。ダイナーの前まで来たわたしは、またしても異変を感じ取った。「準備中」の札がかかっていて、ドアが開かない。今日配達に伺うことはちゃんと約束しているので、店がお休みなんてあり得ないなず。
ドアのガラスに顔を近づけて、薄暗い店の中を覗いてみたわたしは、思わずあっと声を上げた。
ドロシーさんとマスターさんが、椅子に座った姿勢のまま、体を荒縄でぐるぐる巻きにされている。大変だ、大事件だ。
二人のそばには「あずにゃん」の銀色のボディーが見えた。早くドロシーさんたちを助けてあげて、と声をかけようとしたわたしは、ゆっくりと振り返ったあずにゃんの顔を見て悲鳴を上げた。液晶モニターに映し出されたその表情は、ホラー映画に出てくる悪魔みたいな邪悪なものだったのだ。白目をむいて、歯をむき出し、その肌はドドメ色だった。
ドロシーさんたちを縛った犯人は、なぜか突然に闇落ちした、このあずにゃんなのに違いなかった。わたしは大慌てで、その場を逃げ出した。
誰かの助けを呼ばないと、と思ったけれど、周りにはこのダイナー以外に人がいそうな場所はない。近くにあるのは、レトロな「電話ボックス」くらいだ。
昔のリゾートっぽい風景を再現するために置かれているオブジェ、と思っていたのだけど、試しに中に入ってみると、ちゃんと艦内電話機が設置されていた。これなら保安警察を呼べるかも。
受話器を取って、入力パッドで1110番をタップする。つながった!
「はい……はい……もしもし……もし……」
なぜか、ものすごくエコーする遠い声が、受話器の彼方から聞こえた。艦内回線の調子が悪いのだろうか。
「あの、保安警察の人ですか?! 大変です! 『KEI'S DINER』で大事件です! 凶悪な配膳ロボットが……元はかわいかったんですけど……マスターとウェイトレスさんを縛りつけて」
「なるほど……ほど……それは大変だにゃ……にゃ」
電話の向こうの声は、相変わらずすごいエコーでほとんど聞こえない。というか……今「にゃ」って言わなかった?
「そのネコ耳ロボットって……って……もしかして……して……今あなたの後ろにいたりするかにゃ?……にゃ?」
ぞっとして、振り返った。ドアのガラス窓のすぐ向こうに、歯をむき出したあの邪悪な顔が映ったモニター画面が見えた。
「きゃあっ!」
わたしは絶叫して、渾身の力を込めてドアを開いた。
(#4「張本人の自覚なき『あずにゃん』」に続く)
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