#2「KEI'S DINER」のドロシーさんと「あずにゃん」

 道沿いにポツンと立つバス停のそばに佇むと、吹き抜ける涼しい海風ブリーズが身体を撫でるのが感じられた。

 ああ、嬉しいなあと胸いっぱいに空気を吸い込みながら、道路の向こうできらめく青い水面と空をわたしは見つめていた。頭の真上を覆う透明なドームの向こうには星空が見えて、その宇宙の果てからやってくる謎の敵と戦うためにこの艦はあるのだけど、とても信じられない。


 間もなく、わたしがそこで待っていることに気づいた艦内バスが、緩やかなカーブを描く道の彼方から走ってくるのが見えた。明るい黄色とオレンジの、ウサギみたいに丸っこくてかわいい車体。宇宙空間からここにやってきて、このリゾート都市で休暇を過ごす軍人さんたちも、このかわいい姿にはきっと癒されるだろうと思う。

 制服姿の立体画像として前部のコクピットに座っている運転AIさんに、通行許可証を見せて車内に乗り込むと、バスはすぐに走り出した。疑似海岸沿いに続くヤシの並木が、勢いよく流れていく。ビーチには、派手な色の水着姿の人たちが見えた。


 カーブの向こうに、わたしの身長よりもまだ大きそうな、鮮やかな緑色をしたクリームソーダの形の看板が姿を現した。あれが、今から制服を届ける先のダイナーの看板だった。「次のバス停で降ろしていただけますか?」

 とわたしは頼んだ。

「了解いたしました、お客様」

 コクピットの運転AIさんが、丁寧に返事を返してくれる。バスを降りると、すぐ目の前には駐車場と、海に面したダイナーの洒落た白い建物があった。


「こんにちは! 右舷クリーニング室です!」

 カランコロン鳴るドアを開けて、わたしはお店の人に声をかけた。

「あ、クリーニング屋さんですね! こんにちは!」

 元気な声で答えてくれたのは、人間ではなかった。銀色ののずんぐりした胴体の上にネコ耳つきの頭が乗っている、配膳ロボットの「あずにゃん」だった。

「ドロシーさん! 綺麗な服が届きましたにゃ! 今のはすぐにでも着替えたほうがいいのにゃ!」

 あずにゃんは、店の奥に向かって大声を上げた。

「ちょっと、あずにゃん! そんな言い方したら、わたしが汚い服着てるみたいじゃない!」

 とプリプリしながら現れたのは、ミニスカ制服がばっちり似合うすらりとした足をお持ちの看板娘さん、ウェイトレスのドロシーさんだった。


 あずにゃんの頭を、打楽器みたいな気持ちのよい音を立ててパシンと平手で叩いたドロシーさんは、にっこりとわたしに笑いかけてくれた。

「いつも配達ありがとう、ええとマヤちゃん? だっけ」

 こんな素敵なお姉さんが、ちゃんと名前を憶えてくれたんだ、とわたしは嬉しくなった。

「ドロシーさんは、クリーニング屋さんが綺麗な服を持ってきてくれるのを待ちに待っていたのにゃ。もう色々限界だったのにゃ」

 ネコ耳配膳ロボが、嬉しそうに言った。

「だから、そんなこと言ったら、どんだけこの服汚れてるんだ、って思われちゃうでしょ!」

 とドロシーさんはまた怒ったけれど、結局わたしが届けた服に着替えることにしたみたいだった。いま来ている服は、そのままクリーニングに出すからというので、わたしはドロシーさんの着替えが終わるのを待つことになった。


「お待ちの間、こちらをどうぞ。僕からのサービスです」

 カウンターの隅に座って待つわたしに、ダンディーな口ひげを生やした、白髪交じりのおじさんがウインクしながらクリームソーダを出してくれた。この人がこの「KEI'S DINER」のマスターでオーナー、名前は後になって知ったけれど、大和川慶一さんという方らしかった。

「そんな……申し訳ないです。わたしはお仕事で来ただけで……」

 とわたしは遠慮してみせたけれど、鮮やかな緑色のソーダのかわいらしくておいしそうな様子はあまりにも魅惑的だった。


「遠慮はいらないのにゃ! ごちそうして、ティーンエイジのかわいい女の子にモテるのがマスターの狙いなのにゃ。飲んであげたほうが、マスターはモテるから嬉しいのにゃ」

 あずにゃんが、無邪気な声でとんでもないことを言い放った。

「お前、あずにゃん、それじゃまるで僕がロリコン変態おじさんじゃないか!」

 さっきまで物静かだったマスターが、慌てたような大声を上げた。

「僕はただ、いつも遠い艦底部から配達に来てくれるこのお嬢さんをねぎらおうとだな……」

「はい、あの、大丈夫です。じゃあ、せっかくなのでいただきます」

 思わず吹き出しそうになりながら、わたしはストローに口を付けた。


 窓の向こうの静かなビーチを眺めながら、おしゃれなソーダを飲むひととき。普段の生活では、考えられないような時間だった。

 このリゾート都市の皆さんには、足下の艦底部がとても遠い場所に思えるんだろうなあ、とわたしは思った。確かに、この二つの場所はまるで別世界みたいに違う。

 本当は、この「上部保養地」への滞在だって、業務のために必要な最低限の時間しか許可されていなかった。だから、のんびりとソーダなんか飲んでいたのがばれたら怒られてしまうのだけど、今はお客様都合で待たされているわけだから問題ないはず。その点でも、これは奇跡みたいな時間と言ってよかった。


「お待たせー、マヤちゃん」

 クリーニングしたての制服に着替えたドロシーさんが戻ってきた。これで奇跡の時間も終わりだ。

「ゆっくりできた? こっちの都合で帰りが遅くなったってことは、そっちのお店にも連絡しとくから、心配しないで帰ってね」

 その言葉に、わたしは気づいた。ダイナーのみなさんは、わたしがこうしてのんびり過ごせることができるように、わざと待ち時間を作ってくれたのだ。

「はい、あの、ありがとうございます!」

 スツールから立ったわたしは、みなさんに勢いよくお辞儀をしたのだった。


 またおいで、と手を振る三人に見送られながら、洗濯物のかごを持ったわたしはダイナーを後にした。

 バスに乗って、小道を上がり、来た時とは逆回しの経路を通って艦底居住区への入り口の前に立つ。振り返ると、またしばらくは目にすることができなくなる風景が、鮮やかに輝いて見えた。


(3「異変発生、闇落ちのロボット」に続く)

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