第3話

第十三章 山梨への道


「わかった。連れて行く」


俺がそう言ったとき、美咲の金色の瞳に一瞬、人間らしい驚きが宿った。


「本当に?」


「ああ。さっきも言った通り俺が護衛として一緒に行く。君一人では危険すぎる」


山梨県甲府市にある「甲州タワーダンジョン」は、地上25階建てのタワーマンション型ダンジョンとして知られていた。

1階から19階までは比較的弱い魔物が生息しているが、20階以上には古龍種のドラゴンが住み着いているという。


美咲の願いを叶えるためには、そこに行くしかなかった。


俺の心は複雑だった。愛する人の願いを叶えてやりたい気持ちと、それが彼女を完全に人間から遠ざけてしまうことへの恐怖。

勇者として魔物を退治してきた俺が、今度は魔物との交配を手助けするのだから、皮肉というほかなかった。


「ヤマト……ありがとう」


美咲は俺の手を取った。その手は、以前より冷たく、指先に小さな鱗が浮かんでいた。だが、その温もりは確かに彼女のものだった。



第十四章 甲州タワーダンジョン


甲府駅からバスで20分。住宅街の中に聳え立つタワーマンションは、一見すると普通の高級住宅に見えた。

だが、その周囲だけが異様に静まり返っており、近づくにつれて空気が重くなるのを感じる。


「25階建て……上の方は雲に隠れて見えないな」


「あそこに、私の求める存在がいるのね」


美咲の声に、期待と畏怖が混在していた。


ダンジョンの受付で手続きを済ませ、俺たちは1階のロビーから階段を上り始めた。エレベーターは魔物の影響で動かないため、全て徒歩での移動となる。



第十五章 上昇する想い


5階を過ぎた頃から、美咲の様子が変わり始めた。


「ねえ、ヤマト……感じる。上の方から、とても強い気配が」


彼女の瞳は金色に輝き、まるで獲物の匂いを嗅ぎ分ける肉食動物のような表情を見せた。


俺の胸中は嵐だった。


(なぜ俺は、こんなことをしているんだ?)


愛する人を別の存在のもとへ送り届ける。それも、人間ではなく、ドラゴンのもとへ。

勇者としての誇りも、男としての尊厳も、すべて捨て去ってしまったような気がした。


だが、美咲の横顔を見るたびに、その想いは霞んでいく。


彼女は、かつてないほど生き生きとしていた。10階、15階と上に向かうにつれて、その表情は期待に満ちていく。

まるで、長い間探し求めていた何かに、ようやく辿り着けるかもしれないという希望を抱いているかのように。


「美咲……本当に、これでいいのか?」


16階の踊り場で、俺は思わず声をかけた。


「何が?」


「君が求めているもの。それが本当に君の幸せなのか?」


美咲は立ち止まり、俺を振り返った。その瞳には、迷いも後悔もなかった。


「ヤマト、私ね……生まれて初めて、自分の本当の欲求がわかったの」


「本当の欲求?」


「人間だった頃の私は、いつも他人のことばかり考えていた。お客さんに喜んでもらいたい、あなたに愛されたい、

周りの人に認められたい……でも今は違う。私自身が何を求めているのか、はっきりとわかる」


美咲の声は確信に満ちていた。


「私は、強い存在の子を産みたい。それが、魔族となった私の本能なの。きっと、素晴らしい子が生まれる。

コカトリスよりも、もっと強く、もっと美しい存在が」


俺は何も言えなくなった。彼女の言葉に、反論する術を見つけられなかった。



第十六章 ヤマトの絶望


18階に到達した頃、俺の心は完全に折れかけていた。


美咲は階段を上るごとに、より魔物らしくなっていく。その動きは軽やかで、まるで重力を無視しているかのよう。

時折見せる笑顔も、人間のそれというより、獲物を前にした捕食者のものに近かった。


(俺は何をしている?)


勇者としての矜持、男としての嫉妬、恋人を失う悲しみ。すべてが胸の内で渦巻いていた。


だが、それ以上に強い感情があった。


愛する人の幸福を願う気持ちだった。


たとえそれが俺を傷つけ、俺から彼女を奪い去るものであっても、美咲が心から望むなら、俺はそれを叶えてやりたかった。


「19階ね……もうすぐ」


美咲の声は興奮で震えていた。


俺は剣の柄を握り締めた。もし、この先で美咲に危険が及ぶなら、俺は躊躇なく剣を抜くだろう。たとえ相手がドラゴンでも。



第十七章 最後の人間らしさ


20階への扉の前で、美咲が突然立ち止まった。


「ヤマト……」


「どうした?」


「最後に、人間だった頃の私を、抱きしめて」


その言葉に、俺の心臓が跳ね上がった。


美咲は俺の胸に飛び込んできた。冷たくなった彼女の体温も、硬くなった肌の質感も、もはや気にならなかった。


「ありがとう……こんな我儘な私に、最後まで付き合ってくれて」


「美咲……」


「私ね、あなたのことが大好きだった。今でも大好き。でも、それとこれとは別なの」


俺は彼女を強く抱きしめた。これが最後になるかもしれない、人間としての美咲との触れ合いを、心に刻み付けるように。


「行こう」


美咲が身を離し、20階への扉に手をかけた。


その先には、俺たちの運命を変える出会いが待っていた。



第十八章 ドラゴンとの邂逅


20階のドアを開けた瞬間、巨大な威圧感が俺たちを襲った。


部屋の奥に、それはいた。


体長5メートルはあろうかという巨大な赤いドラゴン。その瞳は美咲と同じ金色に輝き、俺たちを見下ろしていた。


「来たか、魔族の娘よ」


ドラゴンが口を開いた。その声は重低音で響き、建物全体を震わせた。


美咲は一歩前に出た。その姿勢に、もはや恐怖は見えなかった。


「あなたの子を……産ませて」


彼女の言葉は、はっきりと響いた。


ドラゴンは興味深そうに美咲を見つめた。


「面白い。だが、お前はまだ完全な魔族ではない。人間の匂いが残っている」


「それでも……お願いします」


美咲は頭を下げた。


俺はその光景を、ただ見守ることしかできなかった。愛する人が、自分以外の存在に身を委ねようとする瞬間を。



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