第2話

第七章 魔族への変貌


事態が決定的になったのは、ある雨の夜のことだった。


「ヤマト、私、わかったの」


「何が?」


「コカトリスの血を飲み続けることで、私は彼らの仲間になれるって」


美咲の瞳は完全に金色に変わり、その口元には小さな牙が生えていた。


「美咲...君は...」


「魔族よ。でも、怖がらないで。私はまだ、私なの」


美咲は、コカトリスの血を飲み続けることで、徐々に魔族へと変化していたのだ。それは、料理への情熱が導いた、意図しない変貌だった。


「元に戻る方法があるはずだ。魔法使いに相談すれば...」


「戻りたくないの」


美咲の言葉は、俺の心を貫いた。


「この姿の方が、私らしい気がするの。料理も、以前より美味しく作れるようになったし、お客さんたちも喜んでくれてる」


確かに、美咲が魔族に変化してから、彼女の料理は一層美味しくなった。まるで魔物の本質を理解しているかのような、深い味わいがあった。



第八章 選択


俺は悩んだ。愛する人が、目の前で別の存在に変わっていく。それを止めるべきなのか、受け入れるべきなのか。


「美咲、君が幸せなら...」


「ありがとう、ヤマト。でも、一つだけお願いがあるの」


「何だ?」


「もし私が、人間として大切なものを失ってしまったら...その時は、止めて」


美咲の言葉には、まだ人間としての理性が残っていた。



第九章 共存


結局、俺たちは「コカトリス・キッチン」を続けることにした。美咲は魔族となったが、彼女の人格と記憶、そして料理への愛は失われていなかった。


「お客さんには、私が魔族だってことは内緒にしましょうね」


「そうだな。驚かれるだろうから」


美咲の外見は、一見すると人間と変わらない。ただ、瞳の色と小さな牙以外は。帽子で髪を隠し、笑顔を心がければ、誰も気づかないだろう。


店は相変わらず繁盛していた。いや、以前にも増して人気になった。美咲の作る料理は、

魔族となった彼女だからこそ表現できる、深みのある味わいを持っていた。



第十章 新しい形の愛


俺と美咲の関係も、変化した。


「私、変わってしまったわね」


「見た目はな。でも、君はまだ君だ」


「本当に?」


「ああ。君の料理への愛、お客さんを喜ばせたいという気持ち、そして俺への想い。何も変わっていない」


美咲は涙を流した。魔族になっても、感情は人間のままだった。


「ヤマト、私と一緒にいてくれる?」


「当たり前だろう。俺たちは今でも、最高のチームだ」



第十一章 産声を求めて


「ヤマト、私ね……ドラゴンの子を産みたいの」


その言葉を聞いたとき、胸の奥に氷の杭を打ち込まれた気がした。

彼女の声は真剣で、どこまでも静かだった。冗談でも戯言でもない。料理人の夢を語るときと同じ、真摯な瞳で俺を見つめていた。


「結婚して……子どもを作ろう。すぐに。人間の子を産んで、産休を取って、実家の大宮で店を始めよう。

チキンレストランにして、チェーン展開して、海外にだって出店するんだ。ほら、美咲ならできるだろ?」


必死だった。俺は彼女を取り戻したかった。魔族ではなく、人間として未来を描きたかった。


美咲は微笑んだ。だが、その笑みは悲しみを帯びていた。


「ありがとう、ヤマト……でも、私の身体、もう……人間としての営みはできないの」


その夜、俺たちは久しぶりに抱き合おうとした。けれど、彼女の身体は拒絶した。熱ではなく、

冷たい鱗の感触が皮膚越しに広がっていき、柔らかかったはずの場所は硬質な膜に覆われていた。


「……っ」

「ごめんね。私、もう、人間の女じゃないの」


彼女の瞳は金色に光り、涙さえも琥珀の粒のように見えた。



第十二章 止めて、ヤマト


「もし私が、人間として大切なものを失ってしまったら……その時は、止めて」


かつて美咲が言った言葉が、頭の奥底でこだました。


勇者である俺なら、それは簡単なことだった。魔族を退治するのは、仕事であり使命だ。剣を抜き、心を切り捨てればいい。


だが――


俺の脳裏に浮かぶのは、笑い合った日々だった。青海駅前の狭い調理場で、器用に包丁を振るう美咲の姿。

初めて作ったコカトリスローストの味。汗を拭いながら、俺の分まで盛り付けてくれた笑顔。


涙が溢れた。剣の柄を握る手が震え、どうしても力が入らなかった。


「ヤマト……殺してよ」


金色の瞳が、まっすぐ俺を見つめていた。

それは助けを求める瞳ではなかった。ただ、自分の終わりを受け入れた者の瞳だった。


「……できない」

「勇者なのに?」

「勇者だからだ。愛した人を、俺は斬れない」


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