第45話 知恵という名の契約書
元貴族の青年、クラウスが提示した、法律の抜け道。それは、暗闇の中に差し込んだ、一筋の光明だった。だが、リックが指摘した通り、その道は決して平坦ではない。「理論上は可能」というのと、「実際にそれを実行できる」というのでは、天と地ほどの差がある。
「…理屈は分かった。だが、問題は、どうやって、そんな都合のいい契約書にサインしてくれる女を見つけるかってことだ」
リックが、腕を組んで唸る。
「そうですね。衛兵に頼むのは論外。旅の女性に声をかけるのも、これだけの男が揃っていては、警戒されるのが関の山でしょう」
レオンも、冷静に状況を分析する。
弟子たちが頭を悩ませる中、今まで黙って話を聞いていたジョウイチが、静かに口を開いた。彼の視線は、クラウスに、真っ直ぐに向けられていた。
「クラウス、と言ったか」
「…はい」
「お前には、俺たちにないものがある。それは、法という武器を使いこなす、知恵だ。そして、俺たちには、お前にないものがある。それは、どんな脅威からも、その身を守り抜くことができる、力だ」
ジョウイチは、そこで一度言葉を切ると、クラウスに、一つの取引を持ちかけた。
「俺たちと、契約を結べ。お前のその知恵で、俺たちを、この関所の向こう側へと導け。その代わり、俺たちは、お前が王都に着くまで、どんな危険からも、お前の身を護衛することを、この筋肉に誓おう」
それは、あまりにも、合理的で、そして、魅力的な提案だった。
クラウスは、貴族の出といえど、今は、か弱い一人旅の男にすぎない。この先、王都までの道中には、盗賊や魔獣など、危険が山積しているであろうことは、想像に難くない。
彼は、目の前の男たちを見た。一見、粗野で、暴力的にも見える。だが、その瞳の奥には、自分を偽らない、実直な光が宿っていた。特に、リーダーであるジョウイチという男からは、決して約束を違えないであろう、鋼のような意志の強さが感じられた。
クラウスは、数瞬だけ思考を巡らせると、やがて、ふっと、その口元を緩めた。
「…面白い。その取引、乗りましょう」
こうして、護衛を条件に、取引は成立した。チーム『ジョウイチ』に、新たに、「知恵」という名の、強力な仲間が加わった瞬間だった。
「さて、契約成立とあらば、早速、動きましょう」
チームの一員となったクラウスは、もはや、ただの不遇な青年ではなかった。その瞳には、これから始まる知的なゲームを楽しむかのような、生き生きとした光が宿っていた。
「まず、我々が探すべきは、二つの条件を満たす女性です。一つ、我々のような男たちを、無下に警戒しない、広い度量の持ち主であること。そして、二つ、これが最も重要ですが、代官の権力に、物怖じしない気骨の持ち主であること」
クラウスの指揮のもと、彼らの、契約者探しが始まった。
だが、その探索は、困難を極めた。旅の商人たちは、関所の役人と事を構えるのを恐れ、誰もが、彼らの話を、まともに聞こうともしなかった。
数時間が経過し、彼らが諦めかけた、その時だった。
関所の前で、一人の老婆が、衛兵と揉めているのが、目に入った。老婆は、薬草を売る行商人で、関所を通るための通行税が、わずかに足りずに、足止めされているようだった。
「お願いだよ、お役人様。これしか、持ち合わせがないんだ。通しておくれでないか」
「規則は規則です。不足分を支払うまで、通すことはできません」
衛兵は、冷たく、老婆をあしらっている。
その光景を見て、クラウスの目が、キラリと光った。
彼は、ジョウイチたちに目配せすると、その老婆の元へと歩み寄った。そして、足りない分の通行税を、黙って、衛兵の前に差し出した。
「…なっ…あんたは…」
老婆も、衛兵も、その予期せぬ行動に、目を丸くする。
「おばあさん、お困りのようでしたので」
クラウスは、にこやかに微笑んだ。
老婆は、何度も頭を下げて、感謝すると、関所の向こう側へと去っていった。
「…おい、クラウス。なにも、俺たちのけちな金を、あんな…」
リックが、文句を言おうとするのを、クラウスは、手で制した。
「見ていてください。蒔いた種は、いずれ、芽を出すものです」
そして、その日の夕暮れ。
彼らが、野営の準備をしていると、昼間の老婆が、息子の運転する荷馬車に乗って、彼らの元を訪れたのだ。
「昼間は、本当に、ありがとうよ」
老婆は、そう言うと、お礼だと言って、温かいシチューと、パンを、彼らに差し出した。
その、老婆の人の良さに、クラウスは、賭けた。彼は、自分たちの事情を、正直に、そして丁寧に、老婆に説明した。
話を聞き終えた老婆は、しばらく、腕を組んで唸っていたが、やがて、豪快に笑い飛ばした。
「はっはっは! なんだい、そんなことかい! 代官様だか、なんだか知らないが、困ってる人を見捨てるなんて、神様が許したって、あたしが許さないよ!」
彼女は、あっさりと、契約書へのサインを、引き受けてくれたのだ。
翌朝。
五人の男たちは、老婆を伴って、再び、関所のゲートへと向かった。
女性隊長は、彼らの姿を認めると、あからさまに、面倒くさそうな顔をした。
「まだ、いたのですか。何度来ても、駄目なものは、駄目…」
「お待ちください、隊長殿」
隊長の言葉を遮り、クラウスが、一歩前に出た。彼は、一枚の羊皮紙を、恭しく差し出した。
「こちらが、我々の保護監督者である、マーサ殿との間に交わした、『一時的保護監督契約書』です。内容をご確認ください」
隊長は、訝しげに、その契約書を受け取った。そこには、クラウスの知恵で、法的に、一切の不備がない、完璧な文章が綴られていた。
「なっ…こ、これは…」
隊長の顔が、みるみるうちに、驚愕と、屈辱の色に染まっていく。法律の抜け道を使われたのだ。悔しい。だが、法を司る役人として、法的に有効なこの書類を、無下にはできない。
彼女は、ギリ、と奥歯を噛み締めると、人生で、最も屈辱的な命令を、部下たちに下した。
「……通せ」
クラウスの知恵で、彼らは、ついに、関所を通過したのだ。
関所の向こう側で、老婆と、その息子に、何度も礼を言って別れた後、一行に、正式な五人目の仲間が加わった。
チーム『ジョウイチ』は、肉体的な強さに加え、法という名の理不尽さえも乗り越える、知恵という、新たな武器を手に入れたのだった。
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