第43話 脳という名の最強の筋肉

関所という、見えざる法の壁の前に、為す術もなく立ち尽くす四人の男たち。今まで、どんな物理的な困難も、その鍛え上げた肉体と精神力で乗り越えてきた彼らにとって、この、ただ「ルールだから」という理由だけで行く手を阻まれる状況は、何よりも屈辱的で、そして無力感を抱かせるものだった。


拠点に戻る道すがら、弟子たちの間には、かつてないほど重苦しい空気が漂っていた。


「…くそっ、なんなんだよ、あの法律は!」


最初に沈黙を破ったのは、やはりリックだった。


「男が一人で旅しちゃいけねえだと? 俺たちが、森でどうやって生き延びてきたか、あいつらに見せてやりてえぜ! いまさら、誰かの保護が必要なもんか!」


その怒りは、正論だった。だが、正論が通じないのが、権力というものだ。


「でも、兵士の人たちを、力ずくで…というわけにも…」


ゴードンが、不安げに言う。


「分かってるよ! そんなことしたら、俺たちが、ただの犯罪者になっちまうってことくらいな!」


リックも、それが分かっているからこそ、歯がゆかった。行き場のない怒りが、彼の心を焦燥感で満たしていく。レオンも、固く唇を結んだまま、押し黙っていた。彼の心の中にもまた、理不尽への怒りと、そして、この状況を打開できない自分への無力感が渦巻いていた。




その、弟子たちの淀んだ空気を感じ取りながらも、ジョウイチは、何も言わずに、ただ黙々と歩いていた。そして、野営地まで戻ると、彼は、落ち込んでいる弟子たちを、円になるように座らせた。


「…コーチ。俺たち、どうすりゃいいんでしょうか。このままじゃ、王都には…」


レオンが、絞り出すように尋ねる。その問いに、ジョウイチは、静かに、しかし力強く、答えた。


「貴様らは、大きな勘違いをしている」


「え…?」


「壁にぶつかった時、その壁を、ただ腕力だけで、真正面から破壊しようとしている。それは、最も愚かな、脳のないゴリラの戦い方だ」


ジョウイチは、自分のこめかみを、人差し指で、トンと叩いてみせた。


「貴様らが、今まで鍛えてきたのは、腕や足の筋肉だけか? 違うはずだ。俺は、精神の鍛錬の重要性も、説いてきたはずだ。だが、まだ足りん。貴様らは、最も重要で、最も強力な、ある筋肉を、全く鍛えられていない」


そして、彼は、弟子たちの心に、新たな指針を刻み込む、決定的な一言を放った。




「脳もまた、鍛えるべき、最強の筋肉だ」




その言葉に、三人の弟子たちは、ハッとした。


「あの関所は、いわば、我々に与えられた、新たなトレーニング器具だ。だが、今回は、バーベルや丸太ではない。法と、常識という名の、知恵のパズルだ」






ジョウイチは、いつものように、弟子たちの目の前の「問題」を、最高の「トレーニングメニュー」へと、その場で昇華させてみせた。


「力で突破する方法を模索するのは、もう終わりだ」 。




「これより、我々は、知恵で、この難攻不落の関所を突破する方法を、模索する」 。






彼は、その場を「第一回・関所突破作戦会議」と名付けた。




ジョウイチのその言葉で、弟子たちの心に巣食っていた無力感は、新たな挑戦への闘志へと、置き換えられた。


「まず、現状を分析しろ。我々が、今、持っているカードと、相手のカードは、何だ?」


ジョウイチは、答えを与えるのではなく、弟子たち自身に、考えさせた。


最初に口を開いたのは、リックだった。彼の頭脳が、ようやく本来の働きを取り戻し始めていた。


「相手のカードは、明確だ。『男の単独旅行は違法』っていう、絶対的な法律。そして、それを執行する、正規の兵士たち。こっちは、どうやっても、公的なルールの上では勝てねえ」


「そうだ。ならば、どうする?」


「…ルールの、外側で戦うしかねえ。例えば、関所を通らずに、山を越えて迂回するとか…あるいは、夜に紛れて、衛兵の数が手薄になったところを、こっそり…」


「悪くない発想だ。だが、それは、根本的な解決になるか?」


ジョウイチは、リックの案を一度は認めながらも、さらに深い思考を促した。


「俺たちの目的は、ただ、王都に着くことだけではない。俺たちの哲学の正しさを、この世界に証明することだ。コソコソと、犯罪者のように法を破って進んで、その目的が達成できるか?」


その問いに、リックは、ぐっと言葉を詰まらせた。




ジョウイチの狙いは、ただ、この場を切り抜けるための、小手先の解決策を見つけることではなかった。彼は、このプロセスを通じて、弟子たちに、戦略的に物事を考えるという、「脳のトレーニング」を施していたのだ。


問題の本質は何か。利用できる資源は何か。リスクは何か。そして、最終的な目的は何か。


彼らは、生まれて初めて、自らの頭で、困難な状況を打開するための、論理的な思考を始めた。


それは、今まで、ただ、感情的に反発するか、あるいは、諦めて服従するしか知らなかった彼らにとって、全く新しい戦い方だった。


数時間に及ぶ議論の末、彼らは、一つの結論に達した。


「…情報が、足りなすぎる」


レオンが、言った。


「法律の、具体的な内容も、あの関所の、警備体制も、他の旅人たちが、どうやってあそこを通過しているのかも。俺たちは、何も知らない」


そうだ。まず、知ること。敵を、ルールを、そして、自分たちが置かれている環境を、正確に知ること。それこそが、知恵の戦いの、第一歩だった。


彼らは、すぐに、関所を強行突破するという、短絡的な思考を捨てた。


そして、関所が見える、森の中の小高い丘に、監視拠点を設営し、腰を据えて、情報収集を開始することを決めた。


力でなく、知恵で突破する方法を模索する 。






彼らの、新たな戦いが、静かに、幕を開けた。

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