第37話 不倒の魂、響き始めた声援

決闘は、完全に膠着状態に陥っていた。いや、傍から見れば、それは膠着ですらない。一方的な、ヒルデガルドによる蹂躙。それが、広場にいる誰もが抱いた感想だった。


レオンは、泥臭い防御戦術に徹していた 。






ヒルデガルドの、炎のように激しい剣戟を、彼は決して真正面からは受けない。槍の柄をしならせて攻撃の威力を殺ぎ、受けきれないと判断すれば、迷わず地面を転がって回避する。時には、足元の砂を蹴り上げて相手の視界を眩ませ、ほんの僅かな体勢を立て直す時間さえも、貪欲に稼いでいた。


その戦い方は、お世辞にも美しいとは言えなかった。騎士道精神の欠片もない、生き残るためだけの、泥にまみれた戦術。


「…なんと、見苦しい」


「あれでは、ただの悪あがきではないか」


観客席の、特に騎士階級の女たちからは、嘲笑とも侮蔑ともつかない声が漏れた。代官ロザリアもまた、その口元に、勝利を確信した笑みを浮かべていた。




だが、ヒルデガルドだけは、その表情を、能面のように硬くしたままだった。


おかしい。何かが、おかしい。


自分の剣は、確かに何度も、あの小僧を捉えているはずだった。鎧の上からでも、骨に響くような手応えがあった。常人なら、疾うの昔に、戦意を喪失していてもおかしくない。


なのに、あの男は、倒れない。


いや、正確には、倒されても、倒されても、必ず何度も立ち上がるのだ 。






ヒルデガルドの重い一撃が、レオンの肩を捉え、彼は大きく体勢を崩して地面に倒れ込んだ。


「終わりだ!」


誰もが、そう思った。


だが、レオンは、うめき声を上げながらも、槍を杖代わりにして、ゆっくりと、しかし、確実に、その身を起こした。その瞳の光は、少しも衰えていない。


その、常軌を逸した光景に、観客たちの空気が、少しずつ変わり始めていた。


嘲笑が、困惑へ。そして、困惑が、やがて、得体の知れない感情へと。




最初に、その声を上げたのは、誰だったのか。


「…立て」


それは、広場の隅の方で戦いを見守っていた、一人の若い男の声だった。


「立てよ、レオン…!」


その、か細いが、確かな意志を込めた声援を皮切りに、堰を切ったように、声が上がり始めた。


「そうだ、負けるな!」


「立て! お前は、あの崖道を完成させた男だろうが!」


声の主は、村の男たちだった。彼らは、レオンの姿に、かつての自分たちの姿を、そして、叶うはずがないと諦めていた、自分たちの夢を、重ねていた。


その声援は、やがて、女たちの中からも、上がり始めた。


「…頑張って…!」


それは、崖道で、レオンにパンを差し入れた、あの少女の声だった。母親が、慌ててその口を塞ごうとするが、少女は、必死に叫び続ける。


彼女の声に呼応するように、崖道での彼らのひたむきな姿を見ていた女たちからも、声援が飛び始めたのだ 。






「そうだわ、あんたなら、まだやれるはずよ!」


「あの程度の攻撃で、へこたれるような男じゃないだろう!」




観客から、声援が飛び始めたのだ 。






それは、もはや、どちらが正義で、どちらが悪かを問うものではなかった。ただ、目の前で、圧倒的な格上を相手に、ボロボロになりながらも、決して魂を折らずに立ち向かっていく、一人の若者の姿に、彼らの心が、揺さぶられていた。


ロザリアは、その光景を、信じられないものを見るような目で見ていた。ありえない。この決闘は、あの男たちの危険思想を断罪し、村の秩序を再確認するための儀式のはずだった。なのに、どうだ。村人たちは、罪人であるはずの男に、声援を送っている。自分の計画が、目の前で、音を立てて崩れていく。彼女の顔から、余裕の笑みが、完全に消え失せていた。




ヒルデガルドもまた、焦りを感じていた。


自分の剣が、当たれば当たるほど、相手の闘志が、逆に燃え上がっていくような、不気味な感覚。そして、何より、自分の背中を後押ししてくれるはずの観客の声援が、今や、敵の力へと変わっている。


その焦りが、彼女の剣筋を、ほんのわずかに、乱れさせた。




リングの中央で、レオンは、確かにその声援を聞いていた。


全身が、痛い。意識も、朦朧とし始めている。だが、不思議と、力が湧いてくるのを感じていた。


自分は、一人ではない。村のみんなが、見ていてくれる。応援してくれている。


その想いが、彼の折れかけた心を、内側から支えていた。


彼は、再び、立ち上がった。そして、今までとは、明らかに違う、力強い目で、ヒルデ-ガルドを、見据えた。


戦いの潮目が、確かに、変わり始めていた。

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