第33話 勝利ではなく、不敗の訓練
レオンが決闘の代表者として指名された翌日から、神前決闘までの残り六日間、地獄の特別訓練が始まった。その内容は、今まで彼らが経験してきたどのトレーニングとも、根本的に異なっていた。
「いいか、レオン。そして、お前たちもよく聞け」
訓練開始の朝、ジョウイチは三人の弟子たちを前に、まず、この戦いにおける絶対的な方針を叩き込んだ。
「今回の我々の目的は、ヒルデガルドに『勝つ』ことではない」
その、あまりにも意外な言葉に、弟子たちは顔を見合わせる。勝つことが目的ではない? では、何のために戦うというのか。
「我々の目的は、ただ一つ。『負けない』ことだ」
ジョウイチは、リックに命じて調べさせた、ヒルデガルドの情報を全員で共有した。
“紅蓮の”ヒルデガルド。その戦績は、圧倒的の一言に尽きる。公式の決闘において、彼女が三十合以上戦った記録はない。全ての戦いを、序盤の猛攻で圧倒し、瞬く間に決着させる、超攻撃型の戦士。彼女の剣は、まさに炎の如く、敵を焼き尽くすまで止まらない。
「まともに打ち合えば、今のレオンでは、十合と持つまい。技量、経験、そして何より、殺気。全てのレベルが違いすぎる」
ジョウイチの分析は、冷徹で、そして的確だった。
「だからこそ、我々は土俵を変える。相手の得意な『攻撃』のステージでは戦わん。我々は、我々の得意とする、『防御』と『忍耐』のステージに、彼女を引きずり込むんだ」
ジョウイチが叩き込むのは、「勝つ」ための戦い方ではなく、「負けない」ための戦い方だった 。
その日から、レオンの悪夢が始まった。
ジョウイチが、自らヒルデガルド役となり、木剣を手に、レオンに休みなく打ち込み始めたのだ。その速さ、重さ、正確さ。それは、もはや訓練の域を超えていた。
「避けろ! 防げ! 受け流せ! 攻撃など考えるな! ただ、立ち続けろ!」
レオンに許されたのは、防御行動のみ。彼は、必死に、そして泥臭く、ジョウイチの猛攻を凌ぎ続けた。かわしきれなかった一撃が、容赦なく彼の体に叩き込まれる。何度も地面を転がり、そのたびに、ジョウイチの怒声が飛んだ。
「立て! レオン! 本物の戦場では、誰も待ってはくれんぞ!」
レオンは、血の味がする口の中を噛み締め、何度も何度も立ち上がった。その体は、日ごとに痣だらけになっていった。
だが、肉体的な訓練以上に、過酷だったのは、精神的な訓練だった。
ジョウイチが叩き込む、もう一つの重要なテーマ。それは、恐怖の克服法だった 。
「レオン、目を閉じるな」
ジョウイチは、レオンをその場に直立させると、彼の目の前で、木剣を振るい始めた。ビュッ、と空気を切り裂く音が、すぐ耳元で鳴り響く。剣の先端が、彼の喉元や、眼球の、ほんの数ミリ手前で、ピタリと止まる。
レオンの体は、本能的な恐怖に支配され、どうしても体をこわばらせ、目をつぶってしまう。
「違う!」
ジョウイチの檄が飛ぶ。
「恐怖とは、感じるな、というものではない。感じるな、と念じれば、心は逆に、その恐怖に支配される。恐怖とは、観察し、分析し、そして、飼い慣らすものだ!」
彼は、レオンの肩を掴んだ。
「なぜ、今、お前は怖い? それは、『この剣が、もし止まらなかったら』という、まだ起きてもいない未来を、お前の脳が勝手に想像しているからだ。いいか、今、ここに集中しろ。剣の動きを、切っ先を、俺の筋肉の動きを、ただの『情報』として、その目に焼き付けろ。感情を挟むな。恐怖を、己の反応を、支配しろ!」
それは、言うは易く、行うは難い、究極のメンタルトレーニングだった。
リックとゴードンも、ただ見ているだけではなかった。彼らは、レオンが訓練している周りで、罵声を浴びせたり、物を叩いて大きな音を立てたりして、決闘本番の、敵意に満ちた観衆と、極度の緊張状態を、擬似的に作り出した。
「立てよ、この弱虫!」
「お前なんかに、何ができる!」
仲間の罵声は、心に刺さった。だが、レオンは、これが訓練だと、自分を強くするための試練なのだと、歯を食いしばって耐え続けた。
地獄のような六日間が、過ぎ去っていった。
決闘前夜。
レオンの体は、もはや満身創痍だった。だが、その瞳に宿る光は、訓練開始前とは、比べ物にならないほど、強く、そして静かになっていた。
ジョウイチは、その夜、最後の訓練として、再び、レオンの目の前で木剣を振るった。
ビュッ。
木剣が、レオンの眉間、わずか一ミリのところで、静止する。
レオンは、目を見開いたまま、その切っ先を、ただ静かに見つめ返していた。体は、一切震えていない。その心は、凪いだ湖面のように、穏やかだった。
彼は、ついに、恐怖を支配下に置いたのだ。
それを見たジョウイチは、初めて、満足げに、深く頷いた。
レオンは、まだ「勝つ」ための力は手に入れていない。だが、彼は、この地獄の六日間で、「負けない」ための鋼の肉体と、そして、何よりも強い、不屈の魂を、その身に宿していた。決戦の準備は、整った。
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