第28話 計画の誤算、焦る支配者
代官ロザリアの執務室には、彼女の苛立ちを映し出すかのように、冷たく張り詰めた空気が漂っていた。彼女は、組んだ指先で執務机を規則的に叩きながら、目の前に立つ衛兵隊長からの報告を聞いていた。
「―――以上が、西の崖道における、あの男たちの現状です」
報告を終えた隊長は、額に浮かんだ脂汗を、ロザリアに気づかれぬよう、そっと手の甲で拭った。
ロザリアは、しばらく何も言わなかった。その美しい顔には何の感情も浮かんでいなかったが、瞳の奥では、激しい思考の嵐が吹き荒れていた。
計画が、外れた。
それも、予想だにしなかった、最悪の形で。
彼女の計画は、完璧なはずだった。ジョウイチという危険思想を持つ男と、それに感化された愚かな男たち。彼らを、村で最も過酷で、最も人目につく労働に従事させる。そうすれば、彼らは心身ともに疲弊し、その無力さを自覚し、やがて内側から崩壊する。村人たちは、その無様な姿を見て、男という存在のか弱さを再認識し、自分の敷いた秩序の正しさを再確認するはずだった。
だが、現実はどうだ。
報告によれば、男たちは疲弊するどころか、日に日にその肉体を逞しくし、驚異的な速度で作業を進めているという。労働を、訓練へと昇華させるなどという、常軌を逸した発想で。
そして何より、ロザリアを苛立たせたのは、村人たちの反応の変化だった。嘲笑は、いつしか困惑へ、そして畏敬の念へと変わりつつある。男たちのひたむきな姿が、長年かけて築き上げてきた「男はか弱い」という社会の常識を、少しずつ侵食し始めている。
ロザリアの計画は、ジョウイチたちを貶めるどころか、逆に彼らを英雄へと祭り上げようとしていたのだ。
「…して、先日報告にあった、子供がパンを差し入れたという一件。あれは、真実なのですね?」
ロザリアの、氷のように冷たい声が響く。
「はっ…! はい。間違いありません。複数の者が、それを目撃しております」
「そう…」
ロザリアは、短く呟くと、目を閉じた。
たかが、パン一切れ。だが、その意味するところは、あまりにも大きい。
自分が発令した、経済的・社会的な包囲網が、破られたのだ。それも、最も無垢で、未来を担うべき子供の手によって。それは、彼女が信じてきた、自らの統治力、村における求心力に、陰りが見え始めたことを示す、何よりの証拠だった。
最近では、村の長老たちからも、「あの者たちの働きは、目を見張るものがございます。そろそろ、ご赦免を…」などと、遠回しに進言されることさえあった。村の空気が、確実に変わりつつある。その中心にいるのは、間違いなく、あの城之内譲一という男だった。
(あの男…一体、何者なの…?)
ロザリアは、初めて、得体の知れない恐怖にも似た感情を覚えていた。
自分の知る「男」のカテゴリーには、到底当てはまらない。暴力的な獣でもなく、か弱いだけの家畜でもない。強靭な肉体と、それを上回る、決して折れることのない精神。そして、周囲の人間を惹きつけ、変えてしまう、不可解なまでのカリスマ性。
彼女は、あの男を、完全に侮っていた。自分の敷いたゲームのルールの上で、無様に踊るだけの駒だと、そう高を括っていた。だが、あの男は、そのゲーム盤そのものを、自らの力でひっくり返そうとしている。
コン、コン、と机を叩く指の動きが、少しずつ速くなっていく。それは、彼女の内心の焦りを、雄弁に物語っていた。
このままでは、まずい。
崖道の復旧が、もし本当に、あの男たちの手で成し遂げられてしまったら、どうなる?
彼らは、村の英雄となるだろう。そして、男でもやればできる、という危険な思想が、村中に蔓延する。そうなれば、自分が今まで守ってきた、この村の、いや、この世界の秩序そのものが、根底から崩壊しかねない。
それだけは、断じてあってはならない。
ロザリアの瞳に、再び、冷徹な光が戻った。
(…計画の変更が必要、ですね)
陰湿な圧力で、彼らの心を折るという計画は、失敗した。ならば、もう、手心を加える必要はない。
彼女は、一つの決断を下した。
次に打つ手は、より直接的で、より強硬で、そして、言い訳のしようのない、絶対的な「力」による、排除。
ロ-ザリアは、静かに立ち上がると、窓の外、遠くに見える西の崖道の方角を、冷たい目で見据えた。彼女の心の中で、次なる非情な策略が、静かに形を成し始めていた。
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