第18話 凱旋、畏怖と疑惑の眼差し

森の静寂の中、倒れた魔猪の巨体を前に、四人の男たちはただ立ち尽くしていた。レオン、リック、ゴードンの三人は、師であるジョウイチの、人間を超越したかのような一撃の余韻から、いまだ抜け出せずにいた。


その沈黙を破ったのは、当の本人であるジョウイチの、いつもと変わらぬ力強い声だった。


「いつまで見惚れている。俺にとっては、ただの準備運動だ」


彼はそう言ってのけると、巨大な魔猪の亡骸を指差した。


「それより、問題はこいつだ。最高のタンパク質の塊だが、このままでは森の肥やしになるだけだ。担いで帰るぞ」


「か、担ぐって…コーチ、こいつ、荷馬車くらいの重さがありますよ!」


リックが、素っ頓狂な声を上げた。当然の反応だった。だが、ジョウイチはニヤリと笑う。


「だからどうした。貴様たちの鍛え上げた筋肉は、飾っておくためのものか? チームワークという名の、最強の筋肉があるだろうが」




その一言で、三人の弟子たちの目に再び光が宿った。そうだ。俺たちは、この怪物を、自分たちの力で打ち破ったのだ。ならば、その戦利品を持ち帰れずして、何が勝利か。


「「「応ッ!!」」」


三人の声が、一つに重なる。


彼らは、ジョウイチの指示のもと、太い蔦を巧みに使って魔猪の巨体を縛り上げ、巨大な丸太に括り付けた。そして、四人がかりで、その巨大な神輿を担ぎ上げる。


「う…おおおおおおっ!」


ズシリ、と。骨が軋むほどの重さが、四人の肩にのしかかる。だが、彼らの心は、不思議な高揚感に満ちていた。この重さこそが、自分たちの勝利の証なのだ。


四人は、互いに声を掛け合い、呼吸を合わせ、一歩、また一歩と、村への帰路を力強く踏みしめていった。




彼らが森から姿を現した時、村は午後の穏やかな時間の中にあった。だが、その平穏は、次の瞬間には粉々に打ち砕かれることになる。


最初に彼らの姿に気づいたのは、村の入り口で番をしていた、一人の女性衛兵だった。彼女は、男たちが担ぐ、ありえないほど巨大な「何か」を認めると、驚きのあまり持っていた槍を取り落とした。


「ま、魔猪…!? フォレストボア…!?」


その叫び声が、村中に響き渡った。


一人、また一人と、村人たちが家から飛び出してくる。そして、誰もが、男たちが担ぐ光景を見て、言葉を失った。


古くから村の脅威として恐れられてきた、あのフォレストボア。ベテランの猟師たちでさえ、遭遇すれば死を覚悟すると言われた森の主が、今、無惨な亡骸となって、目の前にある。


そして、それを担いでいるのは、今まで誰もが見下し、侮ってきた「男」たちだった。


村は、かつてないほどの騒然とした空気に包まれた。




村人たちの反応は、しかし、決して一様なものではなかった。


「す、すごい…!」


「あのフォレストボアを、彼らが…?」


最初に上がったのは、純粋な驚きと、そして賞賛の声だった 。特に、家畜を襲われたことのある農夫や、森の近くに住む人々は、長年の脅威が取り除かれたことに、手放しで喜び、彼らを英雄として称えた。村の男たちは、目を輝かせ、憧れの眼差しで四人を見つめていた。自分たちと同じ、虐げられてきたはずの男が成し遂げた偉業は、彼らの心に、今まで感じたことのない希望の光を灯したのだ。






レオン、リック、ゴードンの三人は、쏟아지는称賛の声を浴び、誇らしさに胸が熱くなるのを感じていた。




だが、その熱狂的な空気の中に、明らかに異質な、冷たい視線が混じっていることに、彼らはすぐに気づかされた。


村の有力者である女商人たちや、衛兵隊を束ねる隊長クラスの女騎士たち。彼女たちの表情に、賞賛の色はなかった。あったのは、信じられないものを見るかのような驚愕と、そして、自分たちの秩序を揺るがしかねない未知の力に対する、畏怖と疑惑が入り混じった、複雑な眼差しだった 。






(男が…あの魔猪を…?)


(いったい、どうやって…?)


(あの筋肉…今まで見てきた男たちのものとは、明らかに違う…)


(危険だ…あの、先頭を歩く大男…彼が、元凶か…)


彼女たちにとって、この出来事は、村の平和を取り戻した英雄譚ではなかった。それは、今まで自分たちが築き上げてきた、女が男を支配するという絶対的なパワーバランスが、根底から覆されかねない、危険な兆候の現れだったのだ 。






男たちが力を持つこと。それは、この世界の常識においては、あってはならないことだった。




四人は、村の中央広場で、ついに足を止めた。彼らの周りには、熱狂と、そして冷ややかな沈黙が、奇妙な渦を巻いていた。


彼らは、確かに村の脅威を打ち破った。だが、その代償として、今や自分たちが、村の新たな「脅威」として見なされ始めている。


その、無数の畏怖と疑惑の視線が突き刺さる中で、ジョウイチだけは、泰然自若として、その全てを受け止めていた。


彼は知っていた。変化には、必ず抵抗が伴うことを。そして、この視線こそが、彼らの戦いが、次のステージへと進んだことの、何よりの証拠なのだと。


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