16話 聖女アントワープ様
「本当にバジルのお母様ですか?」
「そうじゃ。
元々はアントン王国の聖女じゃった。
けれど妾の美貌に目をくらませたアントン王が妾を側妃にそえ、結果バジルが産まれたのじゃ」
柳のような細い腰。
艶やかな長い黒髪。
シミ一つない赤ちゃんのような肌。
涼し気な瞳。
ただ美しいだけじゃない。
その場にひれ伏してしまいそうな圧倒的な気品をアントワープ様はもっている。
「アントン王国?
あ、わが国に滅ぼされた国ですよね」
ただの一市民である私だけどなんとなく申し訳なかった。
「その通りだ。
滅ぼされる以前に妾は病で亡くなっていたが、バジルは捕らえられてこの国にやってきた」
「そして今はハイランド家のノワール様の養女になっている」
「うむ」
アントワープ様が真っ白な首をゆっくりと縦にふる。
と同時に艶やかな長い黒髪がサラサラとゆれて芳しい香りがあたりにひろがった。
アントワープ様がまとっているドレスは私達の国では見た事がない。
けれど私は世界史の授業で知っていた。
大陸の東にある小国アントン王国について学んでいた時だ。
補足資料に貴族の召し物として紹介されていたの。
名前はえーと、キモノドレスだったはずよ。
深みのある赤い布に金糸や銀糸で大小の蝶々があちこちに施されたキモノドレスはアントワープ様が王家の人々だという事を如実に語っていた。
アントン王家の紋章にもなっている蝶々模様は王家以外の人が身に着ける事を禁止されていたからだ。
「アントワープ様のような高貴なお方が私なんかになんのご用でしょうか?」
「お主に借りをかえしにきたのじゃ」
「借りですか?
私がアントワープ様に何かしましたっけ?」
「バジルを愛し魔力を高めてくれたじゃろ」
アントワープ様は形の良い薄い唇の口角を上げる。
「あれはただの偶然ですから、気になさらないで下さい」
胸の前で両手をひろげて左右にふった。
「お主、今は謙遜している場合じゃなかろう。
さっき性悪そうな女に広大な邸の仕事を2人でせよ、と命じられていたじゃろ。
お主は完璧にこなす自信はあるのか?」
アントワープ様は少し吊り上がった切れ長の目でキッと私を見据えた。
「ありません!
あるわけないですよ」
料理にせよ、掃除にせよ、邸の使用人達はその道の一流ばかり。
そんな彼らのかわりが私達に務まるわけない。
「これは私に無能の烙印を押してフィフィ家から追放する為の罠なんです。
わかっているのに何もできなくて……。
自分がはがゆくてなりません」
「生活魔法を使ったらどうじゃ?」
「私の魔法レベルじゃ、おいつかないです」
「魔力不足というわけじゃな。
ならそこは妾がなんとかしてやろう」
「え?
それってどういう事ですか?」
「黙ってじっとしていれば良い」
アントワープ様は琥珀色の瞳をキラリと輝かせると、長い人差し指と中指をひっつけて私の額の真ん中をグイと押した。
それはほんの一瞬の出来事だった。
「どうじゃ。
なにか身体に変化を感じるか?」
「額の真ん中が熱くなっています」
額に手をあてて確認してみる。
「あ。熱さがじんわりと身体全体にひろがってきた!」
「そうか。そうか。ならけっこう」
アントワープ様は整った顔を花が開くようにほころばせる。
「身体がポカポカしたら、なんだか眠くなってきたわ」
口に手をそえて「ふあああ」と大きな欠伸をしたとたん、視界が暗転した。
それから私はそのまま眠っていたようだ。
再び瞼を開いた時は、心配そうに私をのぞきこむアンソニー様とモリスの顔が真っ先に瞳の中にとびこんできた。
「ルル。大丈夫か!?」
「お嬢様!」
「あら。アントワープ様がいない。
一体どこへいかれたの?」
キョロキョロと辺りを見渡しても優美な彼女の姿はどこにもない。
「さっきね。
アントワープ様にここをつかれたの」
そう言って額に手を当てる。
「なーんだ。
あれは夢だったのかな」
ガックリと肩を落とした私に
「ルル。額に花びらのような赤いアザができているぞ。どこかで虫にかまれたのか?」
アンソニー様がグイと顔をよせてきた。
「花びらのような赤いアザ?
ならやっぱり夢じゃなかったんだ」
よし。試しに魔法を使ってみよう。
キリリと眉をよせてガバッと身を起こす。
そして、
「綺麗にして」
と散らかったテーブルに向かって人差し指をふってみる。
すると汚れたナイフやフォーク、食器が空中に浮かび上がりクルクルと回転し、動きが止まった時はどれもが輝いていた。
そしてそのまま自分達で食器棚へ帰っていったのだ。
「凄いぞ。ルル。
ずいぶん魔法の腕を上げたな」
感心したように私の頭をなでるアンソニー様に、
「これがバジルのお母様。
アントワープ様からの贈り物なの」
とさっきの出来事をかいつまんで説明する。
「なるほど。そういう事か。
結局ルルの優しさが魔力向上につながったってわけだな」
アンソニー様は私の身体に両手を回すとギュっと抱きしめてくれた。
「不思議な話なのにすぐに信じてくれてありがとう」
背の高いアンソニー様を見上げると、
「俺はルルの言った事ならどんな事でも信じるぞ」
と優しい眼差しで見つめられる。
私の言った事ならどんな事でも信じてくれるの?
そんな事を言われたのは初めてだった。
できるなら、そういう人と一生一緒に暮らしたい。
妻が無理なら友達でも使用人でもいいから。
アンソニー様の胸の中に顔をうずめながら、せつない想いにひたっていたら背後からモリスに声をかけられる。
「ルルお嬢様。
せっかくいい雰囲気の所を申し訳ないのですが、少しお話できませんか」
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