4話 アンソニーハイランド公爵様
「グビビビ。
お嬢様。さっそく味見させてもらいやすぜ」
突然、背中からサムに抱きしめられた。
「やめて!」
なんとか身体の方向をかえて、ありったけの力でサムを押しかえすとサムはドスンと音をたたて床に尻モチをつく。
普段大人しい私が反撃にでたのだ。
サムは目を丸くして一瞬驚いていたが、すぐに立ち上がると私を押し倒す。
「お嬢様気取りはやめな。
もうワシの妻なんじゃから」
サムは私の胸元のボタンに手をかけると、器用にはずしてゆく。
今度は身動きがとれずに身体を固くする私の頬にサムのヨダレがポタリと落ちる。
今までにない屈辱だった。
「やめなさい!」
今頃、ネーネ達は私がサムの餌食になったと思って嘲笑っているはず。
私の不幸は彼らの大好物なのだから。
「あんな人達をこれ以上、喜ばせたりしない。これからは私は私らしく生きる。
もう誰の指図もうけない!」
力を振り絞って叫ぶと、突風が吹いてきてサムをアッというまに吹き飛ばしたのだ。
「いてててて」
背中を強く壁に打ちつけたサムが額に手をそえて、情けない声をあげる。
「やった。 今だわ」
素早く立ち上がり部屋から飛び出そうとしたが、モリスの奇妙な言葉にピタリと足が止まった。
「大丈夫ですか? アンソニー公爵様。
悪ふざけが過ぎたようですな」
「何を言ってるのよ、モリス。
あそこにいるのはサムよ」
「いえ。
私にはあのお方はアンソニー様にしか見えません」
「アンソニー様とサムを見間違えるなんて、モリスの目はどうかしているわ」
アンソニー様は王家の次に力をもつハイランド公爵家の当主だ。
幼い時に両親を亡くし、領主としての英才教育をうけて育ったという彼の経営手腕は国内だけでなく海外にまでなり響いている。
おまけに、会う人すべての心を一瞬で掴んでしまう秀でた容姿をもつ最強の公爵なのだ。
そんな頭脳明晰、容姿端麗、地位も財産も手にしているアンソニー様はいまだ独身を貫いている。
年頃の娘や、娘をもつ貴族達が奪いあう貴公子が、こんな所で私に突き飛ばされヘタリこんでいる、なんてありえない。
「ねえ。モリス。
一度お医者様に目を診てもらった方がいいんじゃない」
「その必要はない。
オレは正真正銘のアンソニーハイランドだから」
私の耳に男らしい低い声が届く。
「それはどういう意味なの?」
声の方へゆっくりと視線を移すと、視線の先には今まで見た事がないような美しい人が立っている。
紺碧の髪に同じ色の鋭い瞳。
形のいい鼻と唇。
服の上からでも、鍛錬されているのがわかるひき締まった身体に長い手足。
「貴方は本当にアンソニー様のようですね。
ならサムはどこへ消えたのですか?」
あまりの不思議な出来事に頭がついていかない。口をポカンとあけて首を傾ける。
「オレがサムだ。
貴方の強烈な防御魔法にオレの魔法が破壊されてしまった。
残念だな。せっかく上手く化けていたのに」
「ええええええ!
私には信じられません。
天下のアンソニーハイランド公爵様がサムに化けていたなんて。
どうしてそんな事を?」
「そうだな。
バレた以上は話すしかないのか」
アンソニー様は顎に手をあてて、天井を見上げて悩んでいたけと、
そんな何気ない姿さえカッコいい。
「アンソニー様。
ルルお嬢様なら、打ち明けても大丈夫です」
「そう言われても……。
ルルもフィフィ家の人間だし」
「あきらかにルル様はネーネ様やマリン様とは違います。
今まで邸におられて、それがおわかりになりませんでしたか?
だとしたら、アンソニー様の目は節穴ですな」
きっぱりした声で言い切ると、モリスはギュッと眉をよせた。
「モリスったら、アンソニー様に失礼でしょ」
たかが伯爵家の執事が、公爵家の当主にあんな口を聞くなんて無謀すぎるわ。
ハラハラしていると、
「さすがパリスの兄だけの事はあるな」
とアンソニー様が「ピュー」と口笛をふく。
うん? パリスって誰なの?
キョトンとしていると、いきなりアンソニー様に横抱きにされ、さっきネーネが座っていたソファーに座らされた。
「きゃあああ」
至近距離で拝むアンソニー様の尊顔は美しすぎて絶句する。
ドクン。ドキドキ。
心臓が狂ったように激しく動く。
「モリスの言う通りだな。
貴方を信じて打ち明ける事にする。
ただし、オレが話し終えるまでは黙ってろ」
私の真向かいに座ったアンソニー様は間にあるテーブルに肘をつくと鋭い視線を私に向ける。
長い睫毛に彩られた紺碧の瞳は氷のように冷たい。
これから重大な事が話されようとしているのに、アンソニー様のクールーな魅力に頭がボッーとしてしまう。
こら、ルル。もっとしっかりしなさい。
「わかりました。
アンソニー様が話し終えるまでは一言も口をはさみません」
気をひきしめて頷くと、アンソニー様が耳元でそっと囁いた。
「このフィフィ伯爵家に巨額な脱税疑惑がかけられているんだ」
「そんなの嘘だわ!」
「静かにしろ。黙っている約束だろ」
思わず声を荒げる私の唇にアンソニー様が人差し指を押しあてる。
「す、すいません」
アンソニー様に触れられて、耳たぶまで真っ赤にしてうつむく私の耳にとんでもない事実が伝えられた。
「疑惑の真偽を確かめるため、オレは王家の影としてここに送りこまれたんだ。
けど、貴方に正体がバレた以上、貴方の協力なしでは邸にいられない。
真相を解決するまで、俺の妻を演じてくれないか?」
「はい。
そのお話、承ります」
お父様が脱税に手を染めるわけない。
なんとしてでも真実をつきとめたい私は強く首を縦にふる。
「ありがたい。恩に着る」
アンソニー様はほっとしたような声をだすと、私の手を大きな手でギュッと握りしめた。
これからは私はアンソニー様の契約妻なのだ。
サムの本物妻にならずにすんだと知ったら、マリン達は歯ぎしりして悔しがるわよね。
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