第37話 雨の記憶

春の初めての雨は、音から訪れた。

屋根を打つ細かな粒の連なりが、眠りの底から世界を揺り起こすようだった。

冬の雪にはなかった透明な響きが、村全体を包み込んでいた。


人々は外に出て、雨に打たれる大地の匂いを吸い込んだ。

土が濡れる音、芽が震える音、川が膨らむ音――それらはすべて雨の声だった。

村の古い言い伝えによれば、この初雨には「記憶を呼び戻す力」が宿るという。

亡き者の声や、忘れられた夢が、雨粒に混じって蘇るのだと。


私は少女と共に、雨の中を歩いた。

彼女の髪は濡れ、滴が頬を伝っていた。

その姿はどこか懐かしく、私の胸に眠っていた記憶を揺さぶった。


ふと耳に、声の残響がよみがえった。

それは過去の私自身の声だった。

確かに一度は喉から響かせていた声。

笑い声や、誰かを呼ぶ声。

けれどそれは雨音に混じってすぐにかき消され、再び沈黙に戻った。


少女は私の顔を見上げ、小さく頷いた。

まるでその声を、彼女もまた聞いていたかのように。

私は言葉を持たぬ喉を震わせ、ただ息を吐いた。

雨粒がその息に触れ、一瞬きらめいた。

それは声の代わりに放たれた記憶の火花のようだった。


村の人々は雨を瓶に集め、家の入口に置いた。

それは記憶を呼び寄せ、守るための習わしだった。

少女は私にひとつの瓶を渡し、静かに微笑んだ。

瓶の中で雨は揺れ続け、その音は心の奥で消えない余韻となった。


夜、雨はさらに強くなり、屋根を打つ音が途切れることなく続いた。

私はその響きを子守唄のように聞きながら、胸に溢れる記憶を抱きしめ、静かに目を閉じた。

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