第32話 風の墓標

森を抜けた丘の上に、古い石が並んでいた。

雪に埋もれながらも、その形は風によって少しずつ削られ、鋭い輪郭を残していた。

村人たちはそこを「風の墓標」と呼んでいた。


石には名前も刻まれていなかった。

ただ無言のまま立ち並び、風を受け、雪に覆われる。

それだけで十分に祈りとなり、記憶を刻み続けているのだと、人々は信じていた。


私は少女と共にその場を訪れた。

彼女は石のひとつに掌を当て、目を閉じた。

風が頬を打ち、髪を揺らした。

その仕草は、言葉以上に切実な対話のように見えた。


私は声を失った喉で、風の音に耳を澄ませた。

風は荒々しくもあり、優しくもあった。

ときに泣き声のようであり、ときに子守唄のようでもあった。

それは墓標に刻まれた名もなき記憶を運び、世界のどこかへ放っているようだった。


――風そのものが、墓標の記録なのだ。


そんな思いが胸に広がった。

石は形を保つ。

風は形を失い続ける。

その二つが重なり合うことで、人の記憶は時を越えて息づくのだろう。


少女は雪をすくい、墓標の前に置いた。

それは供物のようであり、同時に消える祈りの象徴のようでもあった。

私は隣に立ち、ただその仕草を見届けた。

声を持たなくても、風が私の思いを運んでくれると信じていた。


夕暮れ、丘の上は赤い光に染まった。

墓標の影が長く伸び、風と共に震えていた。

その光景は恐れではなく、静かな誓いを感じさせた。


私は少女と共にその場を離れ、背後に墓標の列を残した。

風はなおも鳴り続け、記憶をどこまでも運んでいった。

その響きに包まれながら、私は静かに目を閉じた。

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