第10話 灯りの中で
翌朝、村には重たい沈黙が漂っていた。
影を見たのは私と少女だけだったが、その気配は村全体に沁み渡っているようだった。
人々は顔を合わせるたびに言葉を交わしたが、その声音は低く抑えられ、どこか祈りのようでもあった。
私には意味を理解できなかったが、彼らの肩の緊張が全てを物語っていた。
その夜、村人たちは大きな焚き火をつくった。
冬を迎えるための祭りであるのか、あるいは影を遠ざける儀式であるのか、私には分からなかった。
けれど炎は村の中心で高く燃え上がり、その赤い光が人々の顔を浮かび上がらせていた。
私は輪の端に腰を下ろした。
人々は歌を口ずさみ、手を打ち、踊りのような仕草を繰り返した。
その旋律は単調で、しかし奇妙に心を揺さぶった。
意味は分からなくとも、声の重なりの中に確かな祈りを感じた。
やがて少女が私の隣に座った。
彼女は笑みを浮かべ、何かを語りかけた。
言葉は相変わらず分からなかったが、その表情の奥に「ここにいていい」という温もりを見た。
私はうなずき、胸の奥に微かな安堵を覚えた。
火の粉が舞い上がるたびに、影の記憶が蘇った。
闇より濃い闇。
記憶を奪うような存在感。
だがその恐怖は、炎の赤に照らされることで、どこか遠ざかっていくようでもあった。
恐怖の輪郭を和らげるのは、勇気ある剣ではなく、ただ人々が寄り添い合うこの光景なのかもしれない。
私は考えた。
もし私が「勇者」であったなら、影を討ち払う剣を求めただろう。
だが私はただの一人にすぎない。
剣はなく、言葉もなく、与えられた役割すらない。
それでも――炎の中で揺れる人々の顔を見ながら、私は気づいた。
「ただそこにいる」ことが、すでに役割なのかもしれないと。
少女が差し出した手に、焼きたてのパンがあった。
香ばしい匂いが漂い、湯気が夜気に溶けていった。
私はそれを受け取り、口にした。
硬く、少し焦げていたが、不思議な甘みがあった。
胸の奥が満たされ、涙が込み上げた。
涙は影に対する恐怖ではなく、久しぶりに「分かち合う」ことの喜びから生まれたものだった。
焚き火の炎は夜空に向かって高く伸びていた。
星々の光さえ覆い隠すかのように。
その光の中で、私は自分がまだ完全に孤独ではないことを知った。
火が小さくなり、人々が眠りに散っていったあとも、私はしばらく炎を見つめていた。
残り火は赤く脈打ち、心臓の鼓動のように静かに明滅していた。
その光を胸に刻むように、私は静かに目を閉じた。
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