第3話 神月樹は憑かれない
「いやあああああっ」
悲鳴を上げながら私は、迫るストーカー霊の手を、かわして逃げ出した。しかし霊は、意外と素早い身のこなしで私を追いかけてくる。ロープで身体を縛られているせいで、バランスを崩して尻餅をついた私は、霊に追い詰められてしまう。
絶体絶命のピンチ。逃げられない。
バキッ!
直後、霊体とは思えない物理的な鈍い音が夕暮れの川辺に響いて、ストーカー霊が倒れていた。
「間に合ったようだな」
右手に霊力を纏う樹(いつき)が横に立っている。お姉さんの櫛(くし)を媒介にしてストーカー霊を一撃で仕留めていた。要するに、櫛の霊力を込めて、思い切り殴ったのだ。悪霊退散パンチ、といったところだろうか。
◇
「間に合ったようだ……じゃないでしょ?
本当に襲われちゃうところだったんだから」
私は、危険な作戦を考えた樹に非難の声を浴びせる。
「ストーカー霊が相手を間違えていた勘違いに気づいた隙を狙おうと思っていた。あれくらい接近させる必要があったんだ」
樹は、悪びれる様子もなく淡々と説明する。
「あの幽霊、結構前から、私が意中のお嬢様じゃないって気づいてたよ」
「そうなのか?」
私が事実を伝えると樹は、意外そうな表情をするが、
「……そういうものなのかな」
あまり考えず納得してしまう。だいたい、同じ高校の制服を着たくらいで変装なんかできないよ。私は、身代わりするお嬢様の顔も知らないのに……。
「謝って」
私が樹に謝罪を要求するが、樹は、首を横に振る。
「謝らん。謝るべきなのは、こいつだ」
樹は、気を失っているストーカー霊の顔を、霊力を纏った平手で叩き起こす。
◇
「ええと、僕は……」
気を失っていたという表現が正しいか分からないけれど、意識を取り戻したストーカー霊が目を開けた。変態的な行動や表情の変化を除けば、普通の十代半ばくらいの、大人しそうな少年に見える。
「お前は、うら若き女子高生お嬢様の帰宅や散歩を追い回していた身勝手なストーカー霊だ。このまま浄霊するか、抵抗して無理矢理除霊されたいか。どちらか選べ」
樹は、やや冷酷に霊の罪状を説明し、最後の選択を迫った。霊がこの世に留まる選択肢はない。
浄霊と除霊。どちらも霊を払う方法だけど意味は異なるらしい。浄霊は不浄を清めて災いを払うが、除霊は強制的に取り除くそうだ。樹は、除霊では怨念を消せないため、なるべく浄霊にしたいと話していた。悪霊であっても、ちゃんと改心して成仏して欲しいよね。
「イヤだ。僕は、お嬢さまとお近づきになる。お嬢さまだって、僕に気があったはずだ。霊になったから、やっと、いつでも近づけるようになったんだ」
前言撤回、どちらでもいいかも。
◇
さっきはお嬢さまじゃなく、私に襲いかかろうとしていたくせに。幽霊になってまで、こんなに自分勝手に考える人がいるなんて。
「お嬢さまは、お前に気なんてない。彼女は想う相手がいるらしい。お前は、物陰から日々お嬢さまを眺め、足を滑らせて川に落ちて溺れ死んだだけの亡霊だ。哀れだが、地縛霊になってまで生者に近づくな」
樹が、淡々と事実を突きつける。しかし、ストーカー霊は、頬を膨らませると、
「嘘だっ。僕は、彼女に勇気を出して挨拶したことがあるんだ。彼女が連れていた犬に、可愛い犬ですねって言ったんだ。本当は彼女に言いたかったけど遠回しに犬の話題にしたんだ。彼女は、笑顔で、ありがとうって言ったんだ。これは、僕の想いを受け入れたってことじゃないか?」
強く主張する。散歩する犬を褒められたら笑顔くらいするだろう。どうしてお嬢さまが彼を受け入れたことになるのか。興奮した様子のストーカー霊は治まらない。
「ある時から彼女は笑顔をしてくれなくなった。怖がって逃げ出すこともあった。ようやく原因が分かったよ。誰なんだ。その、お嬢さまが想う相手ってのは。今の僕は無敵だぞ。取り憑いて呪ってやる」
バキッ!
樹の二撃目が炸裂する。
◇
「な、なにをするんだよ。訴えてやるぞ」
打撃を受けて霊力が弱っているのか、姿が希薄になったストーカー霊が樹を非難する。
「誰に訴えるんだ。地獄の鬼相手にか?」
樹が呆れた表情でまた右拳に霊力を蓄える。
「なんで僕が地獄に落ちなきゃいけないんだ。悪いのは僕から彼女を奪ったやつだろ?」
ストーカー霊は、樹に怯えながら後退り、身勝手な質問をする。
「つまらない理由で悪霊になろうとするからだ。このまま成仏すれば、生者に迷惑をかけたが地獄行きまでには至らない。悪霊と化すならその先は地獄しかない。親切で忠告しているうちに判断しろ」
樹が冷たい口調でそう言った。悪霊として罪を重ねれば地獄へ堕ちてしまう。
「……分かったよ。お願いだからもう殴らないで。その、浄霊という方でお願いします」
ストーカー霊が懇願した。ほんとに身勝手な幽霊、これで反省したといえるのかな。
「ちゃんと諦めるんだな」
樹の口許に笑みが浮かぶ。諦めてもらうことが重要みたい。
「分かったよ、諦める……けど」
ストーカー霊が素直に指示に従おうとする。
「けどなんだ?」
「最後に、ちょっとだけ」
そう言って、ストーカー霊が私を見た。
え?
「僕は、小さい頃の、お遊戯の時間くらいしか女の子に触れたことがないんだ。だから、ちょっとだけ、そこにいる可愛い女の子を触らせて欲しい」
何を言ってるんだ、こいつは!
◇
「どうする?」
樹がそのまま、私に確認する。
「嫌に決まってるでしょ!」
「相手は霊体だからな。身体を触れられても法的な問題はないが」
「問題です! 生理的に受け入れられません」
私が思わず丁寧語になって樹に反論した瞬間、ストーカー霊が私に向かって跳びかかる。
「もう我慢出来ないよ!」
「いやあああああっ」
両腕を縛られたままの私は、慌てて後ろに飛び退いた。
バキッ!
ストーカー霊は、再び樹に殴られて倒れる。
「ひええ、身体が消えちゃうよっ!」
男は、樹に殴られるたびに、霊体のあちこちが消失していた。
「お前に霊体なんか残しても、また襲いかかるだけだろう。このまま消してやろうか」
樹の表情は冷たかった。本当に怒っているようだ。でも、それなら先に私を縛っているロープを解いて欲しいけど。
「そんなことしないよ。今のも、ちょっと脅かしたかっただけなんだ」
ストーカー霊は、さらに拳を構える樹に必死の言い訳をする。今のも悪気はなかったと言いたいのかな。
「悪意のきっかけなんてそんなものだ。はじめはほんの悪戯のつもりが、いつかブレーキが利かなくなる。もし、お前の目の前で、令嬢が知らない男と歩いていたらどうするんだ?」
「そんな奴いたって、放っておくだけさ……あれ?」
言葉とは裏腹に、ストーカー霊の身体から黒い闇が溢れ出した。
◇
「悪意は勝手に増幅するものだ。とくに霊体は感情の抑制が難しい」
樹は、冷たい目で、ストーカー霊を見下ろす。地縛霊が悪霊に転じてしまう兆候は始まっていたのだ。
「よく分かったよ。僕は、危険な霊になりかけていたんだね」
ストーカー霊が悲しそうな表情で訊く。
「ああ。早く成仏したほうがいい」
「わかった。ちゃんと反省するから、もう殴らないで」
「ああ。浄霊するから、反省して手を合わせ、目をつぶれ」
ストーカー霊は、樹の言葉の通りに目をつぶる。ついに本格的に浄霊をするのね。どんな儀式で送るのかな……。
バキッ!
え?
ええっ?
「ちょっ、殴んないでって言ったの……」
「他にも方法はあるが、もう面倒だ」
「ひど……」
何かを言いかけてストーカー霊の姿は、樹が手にしていた石ころに吸い込まれる。
「石に閉じ込めたの?」
「ああ、まだ浄霊していない。念のためだ。屋敷の主人は、霊の存在を信じてないからな」
◇
「前に海鮮鍋をしただろう。あれが依頼報酬で今日は達成報酬を受け取るんだ」
樹と私は、依頼主のお嬢様が暮らす豪邸へ向かって歩いていた。達成の報酬は鍋の食材だ。今度はどんな食材か楽しみだ。夕も喜んでくれそう。
「さっきの幽霊、あれで本当に改心したのかな?」
私は、前を歩く樹の背中に訊ねる。
「どうかな。動物霊より人間霊は性質(たち)が悪い。動物は、生き残るためとか、必要のために行動するが、人間は、必要がなくても無闇に他者を傷つけてしまうことがある」
樹は、登り始めた白い月を見上げて話す。
「そう考えると人間より、動物霊や神のほうが純粋だ」
樹は、胸の櫛にそっと触れた。
◇
「樹のお姉さんを攫った神様も、そうなの?」
私が訊ねると樹は、振り向いて立ち止まり、
「ああ。神隠しは、遭う側にも神側にも理由がある。神に善悪の概念はなく、理(ことわり)に合致しただけだ」
お姉さんのことを話すとき樹は、いつも寂しそうな目をしている。私は、樹の抱える問題を解決したい。
「樹、協力させて」
私も樹の目を見つめて話した。
「まぁ、そのつもりだが」
樹が長いロープを取り出して見せた
「ちょっ、待って、前言撤回だよ。そのやり方は変えてっ」
しかし、私の願いは受け入れられそうにない。
◇
「これが、海辺の大豪邸……」
私は、絶海と言える高い崖の上にある、お城のような屋敷を前に驚いた。大きな城門と城壁に囲まれた石造りの豪邸は3、4階建ての高さがあり、さらに高い見張り塔がそびえ立っていた。
「こんな人気のない所で、令嬢が一人で散歩に出歩くから、ストーカー被害など受けるんだろうな。悪いのはストーカーだが、安全管理の問題もある」
樹が守衛さんに門を開けさせる。お嬢様をつけ狙っていたのは、ストーカーというか、悪霊だけどね。
「解呪の報告をしたい」
樹は、豪邸の玄関前で声を上げる。インターホンとかないのかな?
ギィと音を立てて重たそうな扉が開き、中から黒いスーツ姿の青年が現れた。執事とかそういう人だろう。
◇
日本にもこんな豪邸があるんだと驚く。玄関から進むと、広いエントランスホールにスーツ姿の青年たちが数人並んでいた。
「樹さまですね。すぐに執事長が参ります」
清潔感漂う爽やかな青年がホール奥にある扉を開くと、
「お待ちしておりました。樹さま。
すぐにお伝えしたいことがありましたので」
執事長と思われる初老の紳士が挨拶する。高価そうなスーツを着こなし、丁寧な所作でお辞儀したのが印象的だった。樹、すごいな。こんな気品のあるお客様の依頼を受けていたんだ。神社の石段に座り込んで、私の依頼を受けていたのとは様相が違いすぎる。
「伝えたいこと?」
樹が、訊ね返した。
◇
「ええ。内密にお願いしたいのですが、お嬢様の姿が見えないのです」
初老の執事長は、深刻な表情で樹に伝える。姿が見えないって、いなくなっちゃったってこと?
「消えたということか?」
「ええ。忽然と消えてしまったとしか表現できません。3階にあるお嬢様の寝室から屋敷の外へ出るには、大階段とホールを経由する必要があります。誰の目にも触れずに外出するなんて考えられません」
樹の確認に執事長は、ホールの周囲、そして中央の大階段を示して説明する。
「3階からか。俺なら、ロープ一本で外へ出られそうだけど」
樹が私を縛っていたロープを取り出して見せる。
「お嬢様に限って、そんな野蛮な行動はあり得ません」
執事長は首を横に振って否定した。
「確か病弱と言っていたか。わざわざ脱走する理由もないな。だが、もともと従者をつけて歩くのが嫌いだったんだろ?」
お嬢様は、従者をつけずに外を出歩いていたから、ストーカー霊にも遭ってしまった。
〈霊になった僕にとっては、従者なんて関係ないけど〉
頭の中に響いた声は、石に封じられたはずのストーカー霊だった。
あんた、まだ喋れたの?
◇
「大旦那さまは、お嬢様がいなくなったのは、件の悪霊の仕業ではないかとお怒りになっておられます」
執事長が頭を悩ませるような仕草をした。そうか。屋敷の人達は、まだストーカー霊が捕らえられたことを知らないんだ。
「一応訊くが。お前じゃないんだよな?」
樹が石に向かって小声で囁く。
〈当たり前だ。僕は屋敷に入ったことも……〉
「ま、そうだな。意気地ないし」
〈なっ!〉
樹は、反論したい気持ちでいっぱいのストーカー霊を無視すると、やれやれと言った様子で掌を上に向ける。
「おかしいな。屋敷の大旦那は、霊の存在など信じてないんじゃなかったか?」
樹が執事長に訊ねる。
「ですが、状況から霊の仕業としか考えられないのです」
執事長が何か困ったように説明する。
「そうか。それなら、まずその疑いから晴らしておこう」
樹は、そう言うと階段へ向かって歩き出す。
「樹さま?」
執事長が樹を呼びかける。
「大旦那のところへ案内してくれ。捕まえた霊と対面させるから」
樹がストーカー霊を封じた小石を掴んで執事長を見た。
◇
「霊を捕らえたというのは本当か?」
屋敷の3階、一番奥にある広い部屋に私たちは通された。高価な調度品や絵画に囲まれ、大きなテーブル超しに、大旦那と言われる屋敷の主人と婦人が座っている。恰幅のいい年相応の落ち着いた雰囲気の主人と、赤色の少し派手なドレスを纏う歳の離れた若い婦人、二人とも気品に満ちている。
だけど私は、ある違和感を覚えていた。娘さんが行方不明になっているのに、二人とも落ち着き過ぎている。
「ああ。霊はこの中にいる」
樹がストーカー霊を封じた小石を掌に置く。封じる力を弱めたのか、石のまわりに禍々しい霊気が溢れ出した。
◇
「石の中に霊がいるのか? わしには何も視えないが」
大旦那と呼ばれた屋敷の主人が、婦人にも石を視るように促すと、
「わたくしも視えません。本当にそこにいるのですか?」
婦人も視えないと主張する。
「二人とも霊感がないのか。妙だな。霊感の有無は血筋の影響が大きいのだが……。娘さんは霊体のお前に気づいていたんだろ?」
〈うん。草むらに潜んでいても、近づくと視つかってたよ〉
樹の質問にストーカー霊が答える。
「ふむ」
樹は、何か考えているように口許に手をやり、
「大旦那。少しは霊の存在を信じるようになったそうじゃないか」
屋敷の主人に確認する。
「うむ。娘が消えた状況証拠から、それしか考えられないからな」
屋敷の主人が真剣な表情で樹を見つめて返す。それしか考えられない? 霊の仕業なんて考える方が不自然だと思うけど……。
「あのう。一つ訊いていいですか?」
私は、遠慮がちに手を挙げて切り出した。
◇
「君は、何者だ?」
屋敷の主人が鋭い目で私を見つめる。
「え、えと。樹……さんの、助手です」
恐縮しながら答える。なんだろう、この緊張感。
「祓い屋の助手か。で、質問は何だね?」
大旦那が少し冷たい口調で訊ねる。
「娘さんのこと、警察に連絡したんですか? もしかしたら、危険な事件に巻き込まれているかもしれないじゃないですか?」
私は、勇気を持って気になったことを訊ねる。
「それは、娘が何者かに誘拐されたかもしれないということか?」
大旦那の目付きが険しくなる。
「断定はできませんが、可能性はあるかと……」
私が、剣幕に押されずに返すと部屋の空気がさらに緊張した。
「仮に娘が誘拐されたとしても、警察に連絡することはない」
大旦那が語気を強めてそう言った。警察に連絡することはない?
◇
下手に警察に連絡することで誘拐犯を刺激してしまうかもしれない。でもそれは身代金目的など脅迫を絡めた誘拐の場合で、今の状況とは異なる。霊の仕業かもしれないけれど、娘さんが行方不明になっているんだから。
「そんなことで藤崎(ふじさき)家の名に傷をつけたらどうするんだ? この件は、君たち以外に知らせることはない。君も絶対に口外しないようにしてくれたまえ」
家の名の傷? 娘さんの命を心配しているわけじゃないの?
「そんな、ひど……」
「今回の件、ストーカー霊は、お嬢様を連れ去っていない。そいつを証明してやるよ」
私の言葉を遮って、樹が話す。お嬢様を心配する気持ちを確認することより、先に明らかにするべきことがあるからだ。
「件(くだん)の霊は、娘を連れ去ってないというのか。しかし、どうやってそれを証明できるのかね?」
大旦那が今度は樹を鋭い瞳で見つめる。
◇
「本人から直接証言させるよ。あんた達は、霊が視えないし霊の声も聞こえないようだが、それでも霊と会話する方法はある」
樹が、ストーカー霊を封じた石を持ち上げる。
霊感のない人がどうやって会話するの?
「ちょっといいか?」
樹が急に私に振り向いた。
「えっ、私?」
樹がいつの間にかロープを取り出している。
「ちょっ、なんでロープを取り出すの?」
意味が分からなく、疑問をぶつける。
「これか? これは紳士的な目的のためだ」
樹がさらに意味不明な説明をする。
「私を縛ることのどこが紳士的な目的なの?」
私が頬を膨らませて確認すると、
「察しがいい。もう自分が縛られると分かっているようだな」
樹がロープを伸ばしながら笑みを浮かべた。
◇
「説明になってないよ。何のために、綺麗なお屋敷の豪華な部屋で、依頼者の皆さんの前で、ロープに縛られなくちゃならないの?」
私は、当然の疑問を投げかける。
「人目につかないとこなら縛られていいと言ってるみたいだが、そういうものなのか?」
樹が口許に手を当てて、さらに問いかける。
「違う。それはずっと将来の話よ。……じゃなくて、とにかくここで縛られるなんて嫌っ!」
私は、声を上げて強く抗議する。
「そうか。それなら縛らなくてもいい」
え? 樹があっさり引き下がったことに驚いた。
「たぶん、自分から縛って欲しいと言うだろう」
樹は、小さく笑みを浮かべてそう言った。
「どういう意味?」
樹の残した言葉が気になって仕方ない。
◇
「まぁいい。そこに座ってくれ」
ようやく依頼主との会話中だったことを思い出した私は、大人しく椅子に腰かけた。
「目を瞑ってくれ」
樹が真剣な表情をして言う。
「どうして?」
私は、樹が何をしようとしているかまだ分からない。
「霊の言葉を、依頼主たちに伝えるためだ。あまり依頼主を待たせるものじゃない」
「そ、それはそうだけど……」
樹が何をしようとしているか分からないけど、仕方なく私は、座った姿勢のまま目を閉じた。次の瞬間、コツリと額に冷たい何かが当たる。石を額に押し当てたの?
「はははははっ、女子の身体だっ」
私の口からゲスな台詞が放たれた。
…………はぁっ!?
◇
広い応接間に響いたゲスな台詞は、確かに私の声だ。でも私は何も喋っていない。
「いい身体してると思ったんだよ。自分で触っちゃってもいいのかな?」
何を言ってるの? というかこの口調……そう思った瞬間、私の両手が勝手に動き、自分の胸に触れた。柔らかな感触が……って!
「こ、これが夢にまで見た感触……最高だ。服の上からじゃ勿体ないな。いっそ直接……」
私の身体にストーカー霊が入ってるの!?
〈ふざっけんな!〉
私の声が心の声として反響する。そして、自分の両手をなんとか胸から引きはがす。勝手に身体を動かされている。
「ストーカー霊をあんたに憑依させた。やっぱり縛っておくか?」
(このままじゃ、この変態霊に……! それだけは嫌だ)
〈お願い、縛って〉
「だから先に言ったんだが……」
〈ちゃんと説明しなかったからでしょ!〉
樹は、私の身体の自由が効かないようにロープで縛りあげる。霊の声が依頼主に聞こえないからって、変態の霊を私に憑依させるなんて……。でも、こんなことで依頼主たちが信じてくれるのかな?
「驚いた。まるで別人だな」
大旦那が感嘆の声を上げていた。あっさり信じてくれてるみたい。
「助手は、強い霊媒体質だから、霊を憑依できるんだ」
樹の説明を、大旦那と婦人が興味深そうに訊いている。
◇
「君が、娘をストーカーしていた霊で間違いないんだな?」
大旦那が私を見つめて訊ねる。ストーカー霊に宛てた言葉だが、私が、令嬢をつけ回していた犯人みたいで嫌になる。
「そうだよ。僕は、お嬢さんも僕に気があると思っていたんだけどね」
私の身体に馮異したストーカー霊は、悪びれもせず淡々と答える。
「娘がか? それは信じ難いが……」
大旦那と婦人が不安そうな表情で顔を合わせる。いや、そこは真に受けるところじゃない。
「確認させてくれ。君が本当に娘を追いかけていた霊なのか、何か分かる情報はないか?」
大旦那がやっとまともな疑問を投げかける。そうそう。そういう確認が先だよね。
「証拠なんてないよ。名前も分からないお嬢さまだからね。でも気になったことはある。彼女は一人で、海岸沿いの崖に立って一人で話していた。風も強いし、かなり危ない場所だったからよく覚えている」
ストーカー霊が、私たちも知らない情報を開示する。
◇
「あの崖に?」
霊の証言を訊いた大旦那は、言葉を失い、少し動揺したような表情を浮かべる。
「貴方、まさか……」
婦人の顔色も青冷めているようだった。その場所に何かあるの? もちろん、女の子が一人で崖に佇んでいるのは、嫌な想像をしてしまうけど。
「問題はその時だよ。崖上に強い海風が吹き上げてきて、彼女のスカートがめく……」
〈なんの話だっ!〉
ストーカー霊が想像した映像が頭に流れ込み、私は、心の声で彼にツッコミを入れる。
◇
「と、とにかくだ。君は、娘を誘拐していないのだな?」
論点を戻してくれたのは大旦那だった。
「してない。屋敷に入ったのもはじめてだよ。
霊体は、そんなに自由が効かないんだ。誰かに招き入れてもらわないと建物に入れない」
ストーカー霊が本心を話しているのが、何となく分かる。
「地縛霊の特性と合致するな」
ストーカー霊の説明を補足するように樹が継いだ。
「しかし、娘が消えた理由が説明つかない。まさか、君の他にも悪い霊が憑いていたのか?」
大旦那が理解できないという表情を浮かべて訊ねる。
「憑いてなかったよ。だからライバル不在だと思っていたんだ」
自意識過剰なストーカー霊がそう答えた。
〈ねぇ、樹。そろそろ私を戻してよ〉
「そうだな。いくら霊力が強くても憑依が長くなると魂が融合してしまい、分離できなくなる」
樹が恐ろしいことを呟きながら、私の身体からストーカー霊を剥がして小石に封印する。
〈ちぇっ、結局全然触れなかった〉
触らせるわけないでしょ!
◇
「ロープも解いて欲しいんだけど」
ストーカー霊が離れた私は、追加で樹にお願いする。
「そうか? また憑依させるかもしれないだろ」
「もうしなくていいはずでしょ」
私は、むっとして返すと樹は、しぶしぶとロープを解く。
「あの。お嬢さんが消えた理由が説明つかないとは、どういうことですか?」
ようやく身体の自由を取り戻した私は、気になっていたことを大旦那に訊ねる。
「元に戻ったのか。娘がいなくなった状況と部屋を調べてみれば分かって貰える。祓い屋殿、娘の捜索をお願いできないか?」
大旦那が真剣そうな表情で樹に依頼する。
◇
「ストーカー霊の件は、解決したということでいいんだな。それなら追加の依頼になる」
樹が淡々とした口調で次の依頼を確認する。
「構わない。報酬は前の3倍、いや、5倍としよう」
大旦那が報酬を説明すると樹は、しっかりと頷き、
「了解だ。引き受ける」
依頼を承諾した。
「娘を頼む」
そう言って頭を下げた大旦那だけど私は、彼の表情が気になった。頭を下げた直後、彼が愉悦の表情を浮かべたように見えたから。娘さんがいなくなったのに、そんなことないよね。気のせいということにしよう。
「霧島(きりしま)くん、祓い屋殿を娘の部屋へ案内し、状況を説明してくれ」
大旦那が執事長を呼び、私たちを案内させるよう指示する。
「それでは樹さま、助手さま、こちらです」
私と樹は、広い応接間を後にした。
◇
「こちらが、お嬢さまの部屋です」
装飾の施された可愛らしいドアを、霧島と呼ばれた執事長が開く。美しく整っているが生活感があまりない部屋だった。壁に飾りはなく小さな丸い窓が2つだけ、カーテン付きのベッドに鏡台と箪笥がぽつんと配置されている。
そして絨毯(じゅうたん)の上に、金色の簪(かんざし)が落ちていた。
「あれは、簪?」
私が訊ねると、執事長が頷きながら私たちに室内へ入るように促し、
「お嬢様は、愛用の簪だけを残して、突然消えてしまったのです」
不可解な説明をした。
「突然消えた?」
私は、少し驚いて執事の言葉を訊き返す。
「はい。お嬢様は、昨夜の夕食を終えて部屋にお戻りになり姿を消してしまったのです。時刻は夜の8時から8時5分までの間です。夜8時にお嬢様がお部屋に戻られたのを侍女が確認し、5分後にお嬢様に頼まれた本を同じ侍女が届けた時にはいなくなりました」
たった5分の間に消えてしまったのね。
◇
「その間、お嬢様の部屋の前には、別の侍女が待機して、1階へ続く階段には警備の者が並んでいます。ですから、お嬢様が煙のように消えてしまったとしか考えられないのです」
執事長が頭を抱えるような仕草をした。確かに変だ。周りを見張られた状況でこの部屋から脱出するには、樹が言っていたようにロープでも使って窓から降りるしかない。
って、樹?
…………。
樹が、絨毯の上にある簪を見つめたまま動かない。少し肩を震わせているように見えた。
「樹?」
呼びかけても返事がない。
「ねえ、どうしたの?」
樹の腕をそっと掴む。
◇
「なんでもない。少しぼうっとしていた。それより、部屋に隠れるところがないな」
状況を説明しているようだけど、やはり樹の様子がおかしい。
「隠れるところ?」
「ああ、ドア裏に隠れたとしても脱出するのは難しい」
そういうことか。侍女に本を取りに行かせて、戻って来たタイミングで抜け出そうにも上手くいかないというわけね。
「侍女に見つからなかったとしても、正面から出るのは難しい」
この部屋から屋敷の外へ出るには大階段とホールを通り抜けなければならない。
「さらに、こんな小さな窓じゃ、小柄なお嬢様でも抜け出せそうにない」
樹は、顎に手を当てて考える仕草をしながら可能性を一つずつ検証する。私は、お嬢様がどんな子か全然知らない。窮屈なほどに監視されている屋敷、その3階の部屋から忽然と姿が消えた。確かに霊の仕業だと考えてもおかしくない。彼女は、本当に神隠しに遭ったのかもしれない。
◇
「いかがですか樹さま。何か手掛かりはありますでしょうか?」
執事長が心配そうな表情で樹に訊ねる。彼はちゃんとお嬢様のことを心配している。
「まだ確証はない。だけどたぶん、今夜だ」
樹は、少し声のトーンを落として話す。何かに気づいているみたいだ。
「今夜、何が起きるのですか?」
執事長が驚いた様子で訊ねる。
「……今夜中に決着がつくだろう。大旦那と婦人にも伝えといてくれ。あんたも含めて、いつでも集まれるように」
樹が真剣な表情で伝えた。
「分かりました。伝えて参ります」
執事長が慌てた様子で部屋を出る。今夜決着がつくとはどういう意味なのだろう。
「今、分かってることを教えて」
私が樹に訊ねるが彼は、答えない。というか、反応がない。
◇
「ちょっと、樹?」
「ん、悪い。ぼうっとしていた」
樹は、はっとした様子で応える。
「さっきから変だよ。何が分かったの? 今夜、決着がつくってどういうこと」
私は、樹の正面に立ち、その整った顔をじっと見つめる。
「…………」
樹は、何も答えない。
「樹?」
「…………やっと遭える」
樹の口が微かに動いてそう言った。高揚感を抱いているように見える。
「えっ?」
「あの怪異に、もう一度遭えるんだ」
樹は、胸元から櫛を取り出してじっと見つめる。
「あの怪異って、まさか……」
『遭ってしまったんだ。ものまよいの怪異に』
「ああ。ものまよいだ」
樹の口許が微かに緩んだ。
◇
「ものまよいって、樹のお姉さんが遭ってしまったという神隠しの怪異よね」
私は、血の気が引くのを感じながら樹に訊ねる。
「ああ。状況は、お嬢様がものまよいの怪異に遭ったことを示している」
樹は、そう言って絨毯の上に落ちていた簪を拾い上げる。
「ものまよいに拐われた者は、攫われた時と同時刻に、自分が落とした大切にしたものを取りに戻る。女性が標的となる場合は櫛や簪が残されている場合が多い」
あの夜、樹が自分のお姉さんの話をしてくれた時と同じだ。ということは、この屋敷のお嬢さまは神隠しの怪異に遭ってしまったのか。
「助かる方法はあるの?」
私は、樹の目を見て訊ねる。
◇
「文献によれば、なくはない」
樹は、私の目を見つめて答えた。
「どうするの?」
「簪を手に入れるために現世に戻って来た時に捕まえるんだ。その意味では他の神隠しより助ける機会があると考えていい」
ようやく落ち着いた口調で樹が説明する。
「そうか。手に入れようとする簪を取られないようにして、現世に戻って来たお嬢様を捕まえればいいのね」
「ああ。だけど簡単じゃない。ものまよいから生還するには、いくつかの条件をクリアする必要がある」
「条件?」
「生還の条件は3つある。
一、取り戻したい物が手に入りやすい場所にあること。
二、現世に戻りたくなる愛する者が存在すること。
三、生還の代償に大切なものを怪異に捧げること。
これらが揃ってはじめて、神隠しに遭った者を現世に迎え入れることができる」
樹が、ものまよいの怪異の解呪条件を説明した。
◇
「簪を隠してはいけないのね。一つ目と三つ目は、その簪を使うとして、二つ目の条件はご両親に来て貰えばいいのかな?」
私は、条件を満たす方法を考えて樹に訊ねる。
「どうだろう。そこが問題だな……」
そうか。両親は、お嬢様を大切にしているように感じなかった。お嬢さまは、両親を前に現世に戻りたいと願わないかもしれない。
「条件を満たせなかった場合は、どうなるの?」
心配して訊ねる。
「第一の条件を満たせない場合は現世に現れないだけだ。このまま行方不明が継続する。問題は、彼女が簪を手にした上で現世に戻りたくないと願った場合だ。簪を手にしてから再び消えると、もう二度と現世には戻らない」
樹は、静かにそう語った。俯き気味に話す姿は、どこか悲しそうだった。簪を拾って消えない限り、今の状態が繰り返されるけど、簪を持ち帰ったら二度と現れなくなるのね。
「大切な人が見つからないまま、今夜を迎えるのは危険かもしれないのね」
私は、部屋の中を歩き出した樹の背中を追いながら話す。
「ああ。だから、もっとお嬢様のことを調べておく必要がある」
樹は、鏡台に置いてあった1冊の本を手に取る。それは、お嬢様の日記帳だった。
◇
「ちょっ、勝手に」
女の子の日記帳を勝手に見るの?
「手掛かりを探しているんだ。これは捜査だよ、助手くん」
「ん、でも、日記を見ちゃうのはさすがに」
私は、複雑な気持ちで樹が日記帳を開くのを止めようとする。
〈僕も読みたい!〉
「あんたは黙ってて!」
私は、ストーカー霊を封じた石を睨みつける。
「本当に見るんだよね?」
もう一度樹に確認する。
「忘れたのか? お嬢さまには、意中の人がいる」
樹は、人差し指を立てて私に説明する。ストーカー霊を浄霊しようとした時、確かに樹は、そんなことを言っていた。日記帳に、お嬢様が愛する相手のことが書いてあるかもしれない。
「そうか、お嬢さまの想い人がいれば、第二の条件を満たせるのね」
よかった。樹は、もう落ち着いている。
「そういうことだ」
私が納得したのを確認すると樹は、日記帳の頁を捲る。
◇
〇月〇日(木)
夕暮れ、ペルを散歩して歩いていると同じ歳くらいの男の子に会った。同世代の男の子に話しかけられたのは初めてだ。ペルのことを可愛いと言ってくれた。嬉しい、また会えたらいいな。
「あれ、これって……」
「ああ、そうだな」
日記帳を見ていた私と樹が顔を合わせる。ストーカー霊にも見せてあげようかと思ったが調子に乗りそうなのでやめておいた。
〇月△日(金)
あの崖に行ったことをお母さまに叱られた。
小さい頃、あそこでとても怖い想いをした。内容は覚えていない。
お父様もお母様も私にそれを教えてくれない。
崖奥の草むらに、昨日の男の子が隠れていた。私が悲しそうにしていたので、気を使って話しかけないようにしてくれた。
優しい、また会えたらいいな。
「えと、樹……」
「ああ、まさかとは思うけど」
私たちは、また顔を見合わせて頁を捲る。
◇
〇月□日(土)
お父様とお母様の寝室から、私が本当の子供でないことを訊いた。私が2歳の時に、私の両親は事故で亡くなっていた。お父様は、本当の父親の弟だった。
お父様とお母様は、私を引き取ることで本家を継ぐことになった。
私は、泣きながら雨の中、屋敷を飛び出して海を見に行った。崖の上でいっぱい泣いた。
草むらに、またあの男の子が隠れていた。いっぱい泣いた後、もう一度草むらを見たら消えていた。
「もしかして、この日……」
「ああ、たぶん」
私と樹は、大旦那と婦人が、お嬢様の本当の両親でなかったことより、あることが気になっていた。
〇月◇日(日)
幽霊を見た。正確には、姿を見ていないけど、気持ち悪い。何か後ろをずっとつけられているような感覚だった。霧島に相談した。怖いよ。
日記は、ここで途切れていた。この後、霧島という執事長に呼ばれた樹が、お嬢さまのもとに現れ、ストーカー霊を浄霊する依頼を受けた……というわけか。意外な事実が繋がってきた。
◇
「ねぇ、お嬢様は、ストーカー霊のことをどう話していたの?」
私は、日記帳を閉じた樹に訊ねる。
「日記の少年とは別人と捉えていた。道を歩いても、崖に登ってもずっと、人型の影に追われていると言っていた。両親と違って霊感を持っているから霊の姿は見えるけど、顔を判別できるほどじゃない」
樹は、私を振り向かずに答える。だけど確信している。
「そうだよね。もしも姿が見えていたら……」
ストーカー霊と意中の男子が、同一人物だと気づけたはずだからだ。
◇
お嬢様を現世に戻す手掛かりを得た私たちは、大旦那の部屋へ向かった。すると……。
「怪異の正体が分かっただと?」
「今夜中に決着ですって?」
ドアの前まで聞こえる声で大旦那と婦人の会話が聞こえてくる。
「払い師さまは、そう話していました」
続いて執事長の声が聞こえた。捜査状況を報告しているようだ。私がドアをノックしようとすると樹がそれを止める。もう少し聞き耳を立てるのかな。
樹?
「祓い屋め。なかなかのペテン師だな。さっきの下品な茶番劇は適当に話を合わせてやったが、今日中に解決するだなんて。あとでどんな言い訳をするつもりだろう」
ドアの向こうから屋敷主人の声が響く。
「旦那様、祓い師殿を信じておられないのですか?」
「ああ、勿論だ」
「でも貴方、あの取り憑かれた演技をした娘の言動は、どう説明つきますの? あれは、関係者以外知るはずのない情報です」
婦人が疑問を提示する。
◇
「人前でロープに縛られた下品な娘か? 誰かしらの目撃証言を見聞きしたのだろう。探偵の真似ごとはできるようだからな」
「それでは、旦那様、お嬢様は一体どこへ?」
「さあな。……もしかしたら、事故に遭ったのかもしれん」
「それは、どういうことですか?」
旦那様に執事長が疑問を呈する。すると、大旦那は……。
「両親ともども、同じ運命を辿ったのかもしれぬ」
「ええ。幾度もあの崖に近づいておりましたから」
本性を露わにした。ひどい……。
「そんな! それならすぐに捜索願を出すべきです」
「……騒ぐな。今は、祓い屋に依頼をしている。それで説明がつく。警察に連絡する必要はない」
「祓い師殿は、お嬢さまの救出には旦那様達の力も必要と申しておりました。その時は、必ず協力くださるようお願いします!」
執事長が語気を強めて依頼し、ドアを開けて飛び出した。
「あれ、祓い師殿?」
廊下に私と樹がいるのを見て、驚いている。執事長は、怒りと悲しみに肩を震わせていた。
「お嬢様を、助けてください!」
執事長が、樹の腕ににしがみついて懇願した。
◇
「あの夫妻は、お嬢様の本当の両親ではないのですね」
お嬢様の部屋へ戻った私達は、霧島執事長に事情を訊く。
「お嬢様の両親は、十四年も前に事故で亡くなっています。身寄りのなくなったお嬢様を引き取って育てたのが、今の大旦那様とご婦人です」
執事長が青冷めた表情で説明する。
無理もない、さっきの大旦那の言葉は、娘が行方不明となっても構わない、そんな様子だった。家の評判さえ落ちなければ、お嬢様がどうなってもいい。非情な判断だ。
「令嬢の両親が亡くなった事故が起きたのは、例の崖か?」
樹が険しい目付きで質問する。
「そうです。大変不幸な事故でした」
執事長が肩を落として話す。この人は、かなり昔から屋敷に仕えているようだ。だから、お嬢様を大切に想っている。
「その事実を令嬢は訊いているのか?」
樹は、淡々とした口調で執事長に訊ねる。
「いえ、それどころか。お嬢様は、大旦那さまとご婦人を、本当の両親だと思っています」
執事長が辛そうな表情で首を横に振った。
「いや、その秘密は、もう破れているよ」
樹が、お嬢様の日記帳を開いて執事長に見せる。
◇
「まさか、これを知ってお嬢様は崖に……」
執事長が絶句する。
「そうじゃない。心に空いた穴が怪異に遭ってしまうきっかけになっただろうが、令嬢は必ず戻ってくる」
樹が、鋭い目をして執事長に言い訊かせた。
「本当ですか、樹さま」
顔を上げた執事長の目に涙が浮かんでいた。
「ああ。だが両親は、令嬢を連れ戻す鍵にはならない。鍵になるのはおそらく、あんたともう一人(ストーカー霊)だ」
「お嬢様を助けられるなら私、なんでもします」
執事長が真剣な表情で樹に訴える。
「その気持ちを大事にしておいてくれ」
樹は、ものまよい霊からの生還条件を執事長に説明した。樹の言う通り、お嬢様を救う鍵は、執事長と、あの霊だけかもしれない。夜8時まで、あと2時間を切っていた。
◇
「夕食中!?」
私は、驚いて声を上げた。時刻は夜7時、ものまよいの怪異によるお嬢様の帰還までもう1時間もない。大旦那と婦人は、お嬢さまの部屋で怪異を待ち受けず、食堂で夕食を取っていた。
「樹の話を信じてないってことよね。そうだとしても大切な娘の危機だと言うのに。腹立つなぁ、ほんとに。私のことも下品って言うし」
私は、頬を膨らませる。
「大旦那様も奥様も昔は、お嬢様と大変親密でした。しかし、近ごろはお嬢様に真実を知られたくないという想いが強くなり、急激に距離が開いているのです」
執事長が項垂れながら応える。
「まぁいい。どちらにしても、今日、あの夫妻は作戦の鍵にならない」
樹は、夫妻に興味がないようだ。
◇
「樹。もう少し、怪異について教えて。私も、執事長さんも、きちんと知っておいたほうがいいと思うの」
私が頼むと、執事長さんも同調して頷いた。
「……ものまよい霊。物に迷うと書いて〈物迷い〉や〈櫛・物迷い〉などと呼ばれる神隠しの一種だ。日本の南の地域での発生例が多いが、地域限定の怪異ではなく、どこにでも生じる可能性がある」
樹は、ものまよいの怪異について解説を始めてくれる。
「他の神隠しと異なる特徴は、連れ去られる時に身に着けている何かを落とし、それを取り戻すために、この世に戻って来ることだ。昔は、その対象がほぼ櫛だったことから、櫛・物迷いと呼ばれていた」
そして、肝心の解呪方法は……。
「拐われた者を救うには、櫛や簪を取りに来た所を捕まえて、この世に留まるように説得し、対価となるものを捧げるしかない」
樹は、ものまよい霊を誘い出すために絨毯に置いた簪を見つめてそう言った。
◇
「攫われた者の説得がいるの?」
私は、気になったポイントを訊ねる。
「それが神隠しの怪異の難しいところだ。拐われた者が、この世への帰還を望んでいない場合があるんだよ」
樹の回答は、少し驚く内容だった。
「この世へ帰還することを望まない。そんなことがあるの?」
私は、少し驚いて疑問を投げる。
「神隠しに遭った者が皆、神に誘拐された被害者とは限らない。現世の生に悩んだ末に、この世とあの世の狭間に自ら迷い込む者も多くいる。お嬢様にも、そんな兆候があったかもしれない」
日記から推測すると、お嬢様の精神は弱っていた。だからこそ、ものまよい霊に遭ってしまったんだ。お嬢様は、この世に帰りたいと想わないかもしれない。
「神隠しに遭うには、相応の理由があるもんだ」
樹は、少し悲しそうな表情をする。
「お嬢様がこの世に帰還したくなるように説得しなければならないのね。お嬢様への強い想いがある人が……」
私は、お嬢様をこの世に帰還させららる人物を思い出すと、
「ああ。執事のおっさん、そして、お前が重要だ」
樹が執事長、そして左手に掴んでいる小石、つまりストーカー霊に声をかけた。そう言えば、さっきからストーカー霊が静かなような……。
◇
夜8時を迎えた。お嬢様の部屋に私と樹、執事長の他に、大旦那と婦人も揃い、お嬢様の帰還を待っている。念のため、人ではないが愛犬のペルも部屋に連れて来ている。犬種はポメラニアンだ。部屋中央の絨毯の上には、お嬢様が消えた時と同じ場所に彼女の簪が置かれていた。
「本当に、ものまよい霊なんていう化け物が現れるのかね」
緊張する空間に、大旦那の皮肉めいた言葉が響く。樹は、大旦那の言葉に返答せず、ただじっと簪を見つめている。
ものまよい霊は、どこから現れるのだろうか。まだ8時を回ってから1分しか経過していない。だけど、もう数十分くらい経過したように感じていた。緊張感と恐怖感に包まれる。神隠しが、ここに現れる。そう思うと、嫌な胸騒ぎが止まらない。
それから1分後、事態が急変した。
◇
ぴんと空気が張り詰めた次の瞬間だった。部屋の中央、簪が置かれた絨毯の上に、ひんやりとした冷気が床を這い、部屋中の熱を奪い去っていく。そして、禍々しいとしか形容できない、黒い渦が出現した。
キィィィィン……
空間を破って浮かび上がる黒い渦が少しずつ、大きく拡がってゆく。その膨張に合わせて耳鳴りのような不快な高音が響き渡り、頭の奥を直接かき乱されているような感覚に襲われた。
あれが、ものまよい霊?
ブラックホールのように何もかも吸い込んでしまうような黒い渦、お嬢様は、あれに攫われたのだろうか。突然の事態に金縛りにあったかのように身体を動かせない。だめだ、この緊張を、硬直を解かないと。
「樹、あれが?」
私は、やっと口を開いて樹を見る。
「ああ、ものまよい霊だ」
真剣な表情で黒い渦を見つめる樹の額に、汗が浮かんでいた。
◇
黒い渦の中に変化が起きる。渦の中心から白い華奢な腕が見える。そして、美しい少女の顔が現れた。栗色の長い巻き髪に白いワンピースを着た15、6歳に見える美しい少女が、屋敷のお嬢様だと考えて間違いない。
「お、お嬢様っ」
お嬢様へ駆け寄ろうとした執事長を樹が止める。
「まだだ、この世に両足をつけるまで引きつけろっ」
執事長を片手で掴む樹も、引き戻された執事長の表情も真剣だった。犬のペルも何かに気づいたようで毛を逆立てている。後ろに佇む大旦那夫妻は、何が起きているか分からないように見えた。
ものまよい霊も、彼らは視えてないかもしれない。その意味では執事長やペルも霊感を持っているんだ。本来霊感のない樹は、おそらくお姉さんの櫛の力を使って霊視している。
「……私の、簪」
黒い渦から少女の声がこちらに届く。そして、彼女の両足が渦から外に出た。
◇
「なっ、どうして!?」
驚愕の声を上げたのは大旦那だった。両親にも彼女の姿が視認できた。これは、お嬢様が境界を通り抜け、この世に現れたことを意味する。
彼女は、神隠しに遭っているけれど、霊体ではない。帰還したのは生身の肉体だ。
「よし、捕まえろっ」
樹は、低い姿勢で素早く前進すると、お嬢様より前に、簪を拾い上げる。同時に私と執事長がお嬢様の身体を捕まえる。現世に取り戻しに来た簪を渡さず、帰還者を捕まえる。
これがお嬢様を帰還させる第一の条件だ。しかし、次の瞬間だった。
「いやああああああああああああっ」
お嬢様が耳を劈くような悲鳴をあげ、彼女の身体から、直接触れているわけではないのに大きな力が放たれる。私と、執事長は、お嬢様を中心に、それぞれ反対方向へ吹き飛ばされ、
「ぐっ……」
壁に強く身体を打ちつけた。背中を打った痛みが強くて呼吸ができない。どこか骨に異常があるかもしれないし、頭を打っていたら危なかった。
◇
「なんて……力なの?」
経験したことのない強い突風のような力、反対側に飛ばされた執事長は、糸の切れた操り人形のようにだらりと倒れている。
「簪を、渡せ……」
清楚なお嬢様が、その口から発せられたとは思えない冷たい、低いトーンで簪を要求し、樹に向かって掌を向ける。
「こいつは渡せない」
簪を握りしめた樹がお嬢様を見つめる。
「渡せっ!」
風切音が響き、疾風が樹に放たれるが、樹は、それを紙一重でかわす。
バキィッ!
風の刃が部屋のドアを切り裂いた。その近くで大旦那夫妻が腰を抜かしている。ペルは机の下に隠れていた。
「あああああああああああっ」
お嬢様が叫び声をあげ、今度は、身体の周りに黒い渦を発生させる。黒い渦が樹を巻き込む……が、
「無駄だ。俺に霊や呪いは通用しない」
樹は、黒渦に飲み込まれない。
神月樹は、怪異に憑かれない。
「わ、た、せ……」
続いて放たれた風の刃を樹は、再び避ける。お嬢様は、我を失っているようだった。こんな状態の彼女を救うことなんてできるだろうか?
その時、樹が驚く行動にでる。
◇
「そこまで欲しいなら、持っていくか?」
樹が、お嬢様の簪を取り出すと、差し出すように右手を伸ばす。
「そう。それを渡して」
やっと落ち着いた様子で、ゆっくりと樹に近づいたお嬢様が、差し出された簪を掴む。
樹、どうして?
簪を渡してしまったら彼女は、二度と現世に戻れなくなるのに……。
「あんたはもう、こっちに未練はないんだな?」
樹が、少し悲しそうな表情をして少女の目を見つめる。
「ええ。私は、もう、ここにいなくてもいいから。向こうの世界には、本当のお父さんとお母さんがいるから」
簪に触れたお嬢様が、我に返ったように落ち着いた口調で話していた。
◇
「そうか。あんたは望んで神隠しに触れたのか」
樹は、優しい口調でお嬢様に確認する。
「はい。私を愛してくれる人は、この世にいないから」
少女は、しっかりと頷いて応えた。お嬢様は、自ら望んで神隠しに遭っていた。この世に留まろうと考えていない。落とした簪を手にして、ものまよいの神隠しを完成させたいんだ。望んで神隠しに遭っている。怪異を迎え入れている。
それでも、この世に帰還させたいなら、彼女を説得するしかない。樹の話していた、神隠しの怪異を解呪する難しさが分かってきた。私たちは、誰のためにお嬢様を救おうとしているの?
〈待って……くれよ〉
諦めそうになった時、意外な声が室内に響いた。
◇
部屋に響いた声の主は、ストーカー霊だった。
「えっ?」
驚いたような表情で反応したのは、お嬢様だ。ストーカー霊の声を知っているような反応だ。
「今の……声は」
お嬢様が、声の主を探すように周囲をきょろきょろと見回している。
「お前が鍵だからな。特別サービスだ。封印を解いてやるよ」
樹は、お嬢様の前に小石を転がす。すると、お嬢様の目の前に霊体のストーカー霊が立っていた。
「やはり貴方が……」
お嬢様が驚いたような声を上げ、嬉しそうな表情でストーカー霊を見つめる。
◇
「こうしてきちんと話すのは、初めてですね」
ストーカー霊が今までとは同一人物と思えない丁寧な口調で話す。愛するお嬢様の前では人格が変わるのかな。
「貴方が私を見守ってくださったこと、よく知っております。でも不思議です。前にお会いした時より存在感が薄いというか、透明になったような。まさか、私が恐怖していた幽霊は……」
「すみません。僕です」
お嬢様の言葉をストーカー霊が継ぐ。
「謝らないでください。私の方こそ貴方だと気づかずに恐がってしまい、申し訳ありません。でも、そうですか。貴方もこちらの世界にはいないのですね」
お嬢様が俯いて、小さくため息を吐いた。そして顔を上げると、
「私、やはりもう、こちらの世界に未練がありません」
笑顔でそう言った。
◇
「お、お嬢様っ!」
大きな声を上げたのは執事長だった。痛めた足を引きずりながらお嬢様に近づく。それにペルも続いた。
「霧島、貴方には幼い頃からずっと世話になりました。いつも悩みを訊いてもらいました。貴方がいなければ、私は、今日まで生きられなかったと思います」
お嬢様が優しい瞳で執事長を見る。
「お嬢様、もったいない言葉です」
「ペル、貴方も好きですよ。本当に良い子。
でも私には、もう……」
お嬢様が悲しそうな表情に変わり、言葉を詰まらせる。執事長もペルも、お嬢様がこの世に留まる理由にならない。彼女が会いたいのは、本当の両親だから。
「待ってくれ! あんたの両親は、本当の両親は、あんたが追いかけて死ぬことなんて望んでない」
必死に想いを伝えたのは、ストーカー霊だった。
◇
「そうかもしれません。でも私には、もう……」
「僕がいますっ」
「でも貴方だって」
「心配いりません。僕は、地縛霊。こちらの世界にいます。こちらの世界でも、ずっと貴女を見守ることができますっ」
ストーカー霊が叫ぶように、お嬢様に気持ちを訴えた。まだ生きているのにあの世へ行こうとする少女を、もう死んでいるのにこの世に留まろうとする少年の霊が必死に引き留めている。
「……わかりました。貴方がそう言ってくださるのなら」
届いた……の? 奇妙な説得行動は、少年の想いが少女に通じることで成就した。
しかし事態は、それで収まらない。神隠しの怪異、ものまよい霊は、まだお嬢様の部屋にいる。お嬢様が簪を手にして、あちらの世界へ還るのを待っている。黒い渦としか形容できないそれは、さっきまでよりも大きくなっていた。
「第三の条件だ。怪異を還すには、代償がいる」
樹が、落ち着いた口調で静かに告げる。
◇
3つ目の条件、怪異から生還するためには、
『三、生還の代償に大切なものを怪異に捧げること』
「お嬢様の大切な物を渡さないといけないの?」
「そうだ」
私が訊くと樹は、やや俯いて応えた。
「ええと、簪ではダメですか? 私が現世に取りに還った大切なものです」
お嬢様が不安そうな表情で樹に訊ねる。
「分からないな。試してみな」
樹が俯いたまま応える。どういうこと?
「黒渦さん。私の大切なものを捧げます」
お嬢様は、樹から受け取った簪を黒い渦に放り込む。次の瞬間、それは必要ないとばかりに簪が渦から投げ返される。そして渦から触手のような黒い影が伸びてお嬢様へ向かう。
「危ないっ」
私は、反射的にお嬢様を抱きながら床に転がった。
◇
「どうして」
お嬢様が驚きの声を上げる。
「簪はもう、あんたの一番大切なものじゃない。ものまよいは、当事者にとって最も大切な物を代わりに奪う。恐ろしい怪異だ」
樹が、黒い影を払いながら言った。
「恐ろしい怪異?」
「ああ、条件の2と3が対になっている」
私の問いかけに樹が応えた。私は、3つの条件を思い出してはっとした。
一、取り戻したい物が手に入りやすい場所にあること。
二、現世に戻りたくなるような愛する者の存在がいること。
三、生還の代償に大切な物を怪異に捧げること。
第二の条件を満たすためには、第一の条件で取り戻したいものより愛する者が必要になる。そして第三の条件は、二の条件の相手が該当してしまう。樹が恐ろしいと形容した理由が分かった。この怪異の問題を解決するには、大切な人を自分の代わりに捧げなければならない。解呪に身代わりを差し出すことを前提としているんだ。
◇
「ひどいよ、そんなの……」
「神隠しの主は神だからな。誰かを隠すまで止まらない。それが理だ。人間にとってはどこまでも理不尽な規則(ルール)だよ」
樹が背を向けて答える。
「で、僕ってわけか。祓い屋さん」
声を上げたのは、ストーカー霊だった。
「僕を代償にしてお嬢様を救うってわけだね」
ストーカー霊は、何か決意したような表情で樹を見る。
「ああ。お前なら理解してくれると思った」
樹は、まだ俯いたまま応える。
「そんな、まだ貴方と全然話せていないのに。それに貴方がいなくなるなら私はっ!」
お嬢様が首を横に振って言葉を詰まらせる。
「お嬢様、すみません。僕は、はじめから、この事件が解決したら成仏させてもらおうと思っておりました。この世にとどまり続けることで、悪霊になりたくなかったのです。最後に少しでも貴女の役に立ててよかった」
ストーカー霊が俯いて本心を伝える。
◇
「何を……言っているのですか! ひどいです」
お嬢様は、目にいっぱいの涙をためて、大きな声を上げる。ストーカー霊は、お嬢様に近づいて、彼女の涙を拭おうとするが、その手は彼女をすり抜けてしまう。
だけど、彼は、真剣な表情でお嬢様の眼を見つめる。
「約束してください。もう自分の命を粗末にしないと。生きていれば、辛いことも嬉しいこともあります。貴女が幸せになれるよう、あの世で見守っています」
「そんなことを言われたら私は……」
「ずるいですよね。でも、僕は、貴女にこの世で幸せになって欲しいんです。これは僕の、わがままですから」
彼は、一瞬だけ私の方を見た。
その表情は、もはや変態的なストーカーのそれではなく、ただひたすらに、愛する人の幸せを願う、純粋な光を宿していた。
彼は踵を返し、黒い渦に跳びこんだ。彼の霊体は、渦に触れた瞬間から光の粒となり、美しく砕けていく彼の存在が、お嬢様を救うための尊い代償だったのだと、私は理解した。解呪条件が満たされたんだ。
◇
「ごめんなさい、私、私……」
泣き崩れるお嬢様を執事長が抱きしめる。ペルもお嬢様に寄り添っていた。
「お嬢様は私が命にかえてもお守りします。私は、貴女が生まれる前から、貴女の本当のご両親に仕えておりました。貴女は、私の娘同然です」
執事長がお嬢様に決意を伝える。
「うん、霧島。ありがとう」
お嬢様は、執事長の胸でしばらくの間泣き続けていた。その様子を、離れた場所から大旦那と婦人が見つめていた。
「此度の怪異が現れた原因は、大旦那さまとご婦人さまにあります。お二人とも心当たりがあるはずです。怪異は一度かかると憑かれやすくなると訊きます。ゆめゆめ反省なさるよう!」
厳しい表情で執事長が大旦那を見つめ、訴えた。
「すまなかった」
「ごめんなさい」
がっくりと肩を落とした大旦那と婦人が続けて謝罪した。お嬢様を巡る複雑な家族事情が解決に向かうかどうかは分からない。
だけど、ものまよい霊は、あちらの世界へ還り、行方不明だったお嬢様は帰還した。
これで、解決……かな。そう思った時だった。
樹がいない……?
◇
「樹……どこに?」
お嬢様の部屋から出ても、屋敷に樹の姿は見えない。神隠しに遭ったお嬢様を救出できたけど、解決したからって、すぐにいなくならなくてもいい。それでも、この状況で、一人でどこかへ行くのなら……。
嫌な予感がする。
ものまよい霊は、ずっと樹が追いかけた怪異。幼い頃に樹のお姉さんを連れ去った怪異だ。お嬢様の問題は、解決できたけれど、ものまよいの怪異を樹が見過ごすわけがない!
まだ、ものまよいの怪異がどこか近くにいるのなら……。
月?
私は、屋敷の外へ駆け出した。
◇
夜闇に白い月が浮かぶ屋敷の庭に、樹が一人で立っていた。
「樹、なにを?」
樹は、私の言葉に反応せず、お姉さんの櫛を右手に握って空を見つめている。
「樹、訊いてるの?」
呼びかけても反応しない。櫛を掴む右手に霊力を集中させているのが分かる。霊感のない、霊に憑かれない樹が一時的に異界とつながる力のある櫛だ。それを使ってものまよいを呼び込んでしまったら……。
「出て来いよ、ものまよい。まだいるんだろ?
お前が手に入れたい櫛なら、他にもあるはずだ」
樹は、櫛を天に掲げ、怪異に呼びかけた。
◇
「ちょっ、樹っ。そんなことしたら」
「邪魔をしないでくれ」
「邪魔するよ、樹が危険なことをしようとしてるのに黙って見過ごせない」
私は、後ろから樹の腕を掴もうとするが、払い除けられてしまう。
「少しは怪異を理解してきたようだな」
樹は、口許に笑みを浮かべたけれど、目は笑っていない。その瞳には、十五年前の痛みが宿っているように見えた。
「誤魔化さないで。あの怪異が恐ろしいことは、樹が一番分かってるんでしょ」
「分かっている。だけど俺があの怪異を見逃せない理由も、あんたなら理解できているはずだ」
樹の言葉の意味を私は、理解していた。樹が幼い頃に生き別れになったお姉さん、彼女を攫った神隠しの怪異が目の前にいる、ものまよい霊だ。ずっと探していた宿敵がいる。それを見逃せない理由は理解できる。
だけど……。
◇
「樹、今日、ちょっと変だよ?」
「そうかもしれない。十五年も待った相手だからだろうな」
夜闇よりもさらに暗い黒い渦が、上空に現れた。
「ものまよい……」
「そうだ。あんたは離れてくれ。巻き込みたくない」
樹は、私を押しのけて黒い渦に向かって走る。
樹?
「姉ちゃんは、この中にいる。櫛ならくれてやる。だから、姉ちゃんを返せっ!」
樹は、迎え入れるように伸びて来た黒渦に、櫛を握りしめたまま跳びこんだ。
「樹ぃっ!」
空中に浮かぶ闇に樹が吸い込まれてしまった。頭の整理が追いつかない。樹の取った行動が理解できない。第一の条件を満たすためなら櫛を怪異に渡してはいけない。樹は、本来怪異に憑かれない。そのために霊力のある櫛を持ったまま突入した?
一、取り戻したい物が手に入りやすい場所にあること。
二、現世に戻りたくなるような愛する者が存在すること。
三、生還の代償に大切な物を怪異に捧げること。
私は、恐ろしい仮説を思いついた。まさか、樹は、第一、第二、第三の条件を同時に満たそうとしている?
もしそうなら、その代償は……。
樹は、お姉さんを救うための代償になるつもりなんだ。私には、そう思えてならなかった。
誰も傷つけずに、お姉さんだけを救う方法。それが彼にとって、唯一の選択肢なのだろう。
◇
止めなくちゃ! 私は、空中に浮かぶ黒渦の下に向かう。私が近づいても渦は反応しない。
私は、樹のお姉さんの櫛を持っていないし、お姉さんの大切な相手でもない。ものまよいの怪異に呼ばれない。樹を飲み込んだ黒渦は、他の侵入者を避けるように、高い位置に登っていた。
あの高さ、全力でジャンプしても届くかどうか分からない。だけど考えている暇はない。
「クダちゃん!」
私は、隠れていたクダちゃんを呼び出した。そして、白い狐霊の背中に手を当てる。
「夕(ゆう)、聞こえる?」
〈聞こえるよ、お姉ちゃん。どうしたの?〉
留守番をしていた夕の声が聞こえる。なんだか賑やかそうな音もするけど、何をしているのかな。
「夕、今、体調大丈夫?」
〈うん。今、ちびオサキたちと田楽パーティしてるの。みんな元気だよ。力使うんでしょ?〉
「そう。目一杯の全力」
〈全力だね。それなら、ちびオサキに貯めておいた力も一杯あるから、全部使って!〉
「ありがとう、夕」
◇
私は、クダちゃんを通して、全力を出せるだけの体力を身体に戻す。身体に体力と霊力が巡るのを感じる。それでも何度も跳べるわけじゃない。一度の機会に全てを賭ける。
想いも力にして、全力で跳ぶ。
「記録は残らないけど、ベストジャンプ更新してやるから」
私は、長めに助走距離を取り、大きく息を吸って構えた。月夜に、空中に浮かぶ黒渦をしっかりと見据えて、走り出す。
「いっけえええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!」
最高速に達したタイミングで強く大地を蹴る。高く、高く、高く、跳び上がり、黒渦に近づき、必死に右腕を伸ばす!
「届けえええええええええええええっ!」
私の右手が黒渦の下側に届いた。あとは私の霊媒体質、樹からもお墨付きの憑かれやすさに賭ける……。
私、冬月夜は憑かれやすい!!
黒い影が伸びて私の身体を包み込み、私は、空に浮かぶ黒渦の中に跳びこんだ。辿り着いたよ、ものまよい!
◇
この世とあの世の狭間に入り込む、奇妙な感覚が身体中を支配した。漆黒の暗闇、光がなく、上下感覚すらなくなっていた。これが、ものまよいの中、神隠しに遭った者が辿り着く、この世とあの世の境界地なのね。
「樹っ、どこにいるの!」
樹を呼ぶ声は空間に木霊することなく闇に吸収された。声が届かない。勢いで追って来たけれど、どうすれば樹に会えるのか分からない。途方に暮れそうになっていると、ふいに目の前の景色が変わる。
「え……」
ここは、森?
◇
木々に覆われた夜の森、少し遠くに塀があり、その向こうに神社の建物が見えていた。たぶん神域と俗世界を隔てる鎮守(ちんじゅ)の森という場所だろう。簡単に言えば神社の周りにある森林スペースだ。だけどおかしい。私は、ものまよい霊の黒渦に跳びこんだ。ここが黒渦の中とは考えにくい。
「どういうこと、なの?」
樹もこの森に迷い込んでいるのだろうか。そう考えた直後だった、草むらから、小さな光が浮かび上がる。光に案内されるままに追いかけると、大きな杉の木陰に、一人の少年が座っていた。
「男の子?」
まだ5歳くらいに見える黒髪の和装姿の少年は、水晶など小さな石を木の周囲に並べている。
誰、だろう?
◇
「あの……」
声をかけても反応がない。
回り込んで少年の顔を見たとき、私は、驚いた。髪の色が異なるけれど分かった。幼い頃の樹だ。ここは、過去の世界なの?
「樹?」
少年の正面に立って話しかける。幼い樹からは、私の姿が見えてなく、声も届いていないようだ。
「これでよし。これでお母さんに会える」
少年が一人ごちた。木の周りに石を並べてどうしようというのだろう。すると樹少年は、木の前に正座して祈る。これは何かの儀式なのだろうか?
直後、少年の前に黒い渦が現れた。
「樹っ、それに近づいちゃダメ!」
森を駆けて現れたのは、赤い着物姿の小さな女の子だった。長い黒髪に櫛を刺した彼女は、人形のような美しさと儚さを感じる。もしかして、あの子が樹のお姉さん?
「助けて、姉ちゃんっ」
黒渦に吸い込まれそうになる樹を、樹のお姉さんが飛びつく。しかし、黒渦は、二人をまとめて飲み込んでしまった。そして目の前が真っ暗になる。
◇
暗くて何もない空間に戻っていた。しかし、目の前に小さな光が一つ浮かんでいる。さっき私を案内してくれた光だ。
あなたは、誰?
「樹を追いかけて来たの?」
小さな光が私に語りかける。女の子の声だ。それは、直接耳に聞こえる声ではなく、心の中に響くような、不思議な声だった。彼女の声は、どこか寂しそうで、同時に安堵しているようにも感じられた。その声が、樹の姉であると、直感で理解した。
「えと、貴女は?」
光は、どこか寂しそうな、同時に安堵しているようにも感じられる声で答える。
「神月咲(かみつき さき)。樹の姉だよ。よろしくね」
やっぱりそうだ。樹のお姉さんだ。
ずっと樹が探していた神隠しに遭った姉、彼女が私の目の前にいた。
「えと、樹は、ずっと貴女を探しています」
私は、光の姿をした樹のお姉さんに向かって話しかける。
「そうね。でもまだ会うわけにはいかないわ」
「樹は、お姉さんに会っていないのですか。樹もこの中に……」
「そうね。私の櫛を使って、霊力を持たないのに境界へ潜り込んだの。でも、あの子がこちらに引き込まれることはない。その理由は分かるわね?」
咲さんは、私に質問する。
「樹は、憑かれない」
「そう。彼は、今、狭間に落ちてしまっている。中途半端な状態で怪異の中にいると記憶を奪われてしまうかもしれない。連れ去りの怪異の常套手段だからね」
咲さんは、丁寧に樹の状態を教えてくれた。
◇
「あの、樹を助ける方法はあるんですか?」
私は、光に、いや、咲さんに訊ねる。
「ものまよいによる連れ去りを防ぐには大切に想う人がそばにいることが必要なの。貴女、樹のこと、どう想っているの?」
「えっ、それは……」
感覚を失っていたはずの顔が熱くなる。
「答えて」
咲さんが回答を迫る。
「……好きです」
私は、樹のお姉さんに正直に答えた。なぜか、素直な気持ちを伝えられた。
「そう。よかった。なら貴女が支えてあげて。理由がなければ戻れないから」
「私が、ですか?」
「弟は、私を救うことが生きる理由だった。彼自身は、この世界に未練がないの。私を救えるなら神隠しの身代わりになってもいいと考えてしまうほどにね。だから、貴女がこの世界にとどまる理由になってあげて」
私が、樹の生きる理由になる?
「いいんですか? お姉さんは還らなくても」
「まだ還れないわ。私の大切なものは、貴女と同じだから」
ものまよいに連れ去られた者にとって大切なもの。それは、第三の条件として帰還の代償にしないといけないもの。お姉さんが還るためには、大切な弟、樹を代償にしなければならない。
そうか。お姉さんは、まだ還れないんだ。
◇
「いい。ちゃんと想いを伝えてあげてね。そうじゃないと彼は、ここに留まってしまうから」
咲さんが、樹を救い出す方法を教えてくれた。
「はい。伝えます」
「ふふ、意外と照れないのね」
「照れてます。今までそんな素振りも見せてないんですから。でも私は、樹を助けたい。他人のために必死になってくれて、私たちが何かを犠牲にすることを許してくれなくて、それなのに自分の問題になると自分を犠牲にしちゃおうとする不器用な彼が……大好きだから。私ばかり何度も助けてもらっていたから、今度は私が樹を助ける番なんです」
私は、白い光に決意を示した。
「ふふ。こっちが恥ずかしくなるくらいの想いね。貴女なら、樹を任せられそうね。1、2、3で貴女を樹の元へ転送するから、あとは分かるわね」
咲さんが私に手順を確認する。
「はい。必ず樹を現世へ返します」
私は、真剣な表情で約束する。
「それじゃあ、行くよ」
咲さんの唱えたカウントの後、ふわりと身体が浮き上がるような感覚がして、目の前が暗転した。
◇
黒い闇の中に、はっきりと樹の姿が見えた。気を失っているのか、眠っているのか、樹は目を閉じていた。
「樹っ、起きてっ!」
私の声に樹は、反応しない。私は、暗闇の空間で大きく息を吸い込むと、
「樹いいいいいいいいいっ!」
大声で叫んだ。すると、彼は、ゆっくりと瞼を開いて、
「……なっ、何であんたがっ」
驚いて私を見る。闇の中だけど、彼の表情ははっきりと見えた。
「樹っ、その櫛を手離してっ」
私は、樹の双眼を見つめて叫ぶ。
「何言ってるんだ。邪魔をするんじゃない」
櫛を握る右腕に私が手を伸ばすと、樹がそれをかわす。
「邪魔?」
「ああ。邪魔だよ。俺は、闇の中にいる姉ちゃんを見つける。邪魔をするなって言ってるんだ」
一瞬、焦ったような表情をした樹だけど、すぐに私を邪魔扱いする。
私は、頬を膨らませる。でも、だけど、何を言われようとも彼を救いたい気持ちは揺るがない。
もう自分でもよく分かってる。これは愛だ。樹のことが大好きだから。だから、私が、説得してあげる!
◇
「無理だよ。樹は、お姉さんを見つけられない」
「何言っているんだ。そんなこと、あんたに分かるわけ……」
「分かるよ。咲さんから訊いたんだから」
私がそう言うと、樹は、驚いたような表情に変わる。
「あんた、姉ちゃんに会ったのか?」
「うん。樹が自分を犠牲にしようとしていることも訊いた。だからそれを止めに来たの」
「それはあんたに関係ない。これは俺と姉ちゃんだけの問題だ」
樹の言葉を遮るように私は、首を振り、
「違うよ」
きっぱりと否定する。分からせてあげるよ!
◇
「何が違うんだ。少なくとも、あんたを巻き込んじゃいけない問題だ」
樹の語気が強くなっていた。
「それも違う」
だけど私は続けて否定する。
「だから、何が違う……」
「好きだからよっ!」
私は、顔を熱くして、心臓をばくばくさせながら樹に想いを伝えた。なんだか売り言葉に買い言葉みたいな告白になっちゃったけど仕方ない。
「はぁっ?」
「あんたを好きだって言ってるの。私は、あんたに、いなくならないで欲しい! これが、私のわがままだから!」
「そんな、急に……」
樹は、頬を赤らめて俯いてしまう。ちょっと、何で樹が乙女みたいな反応をしているの? 俯きたいのは私のほうだよ!
◇
「これで樹も、この世に留まる理由ができたでしょ。樹らしい選択じゃないよ。自分を犠牲にしてお姉さんを救うなんて」
「そうかもしれんが……」
俯いた樹を押しのけるようにして私は、黒渦の中心部、深淵を見る。
「いい、ものまよい。今は、丁寧に樹のお姉さんを預かっていて。いつか樹に代わる代償を用意するから、お姉さんは、私と樹で絶対に助けるから」
私は、ものまよい霊に宣言する。
「何を勝手なことばかり」
「勝手じゃない。私とお姉さんで決めたことよ。言うこと聞きなさい!
私のわがままに付き合ってよ、樹。あなたがいなければ、私のわがままは、何の意味もなさないんだから」
「ええっ?」
「それから、さっきの返事はちゃんとしてよね!」
「返事?」
「告白のよ」
「告白って……いきなり。
でも……そんなの。決まってるだろ。
あんたはもう、俺がこの世に留まる……その……なんていうか……」
はっきり回答しない樹を私は、抱きしめるようにしっかりと捕まえると、彼の顔を自分に引き寄せる。もう時間がない。神隠しの怪異ものまよいから脱出するには……。
◇
私は、樹と唇を重ねた。告白してすぐのキス。すでに裸を見られたり、ロープで縛られたり色々してるけれど、私の想いを全部のせた。
困惑する樹の手から、お姉さんの形見の櫛を奪い取る。
これでもう、ものまよい霊は樹に手出しできない。
だって、神月樹は憑かれない!
櫛を手放せば、無敵の反霊媒体質なんだから。
次の瞬間、黒い渦が消滅し、屋敷前の空中に私たちは放り出される。
えっ、空中?
驚いた私を抱き寄せるように樹が掴み、身体を反転させて落下する。ずしりという感触はあったけど、落下の衝撃は下敷きになった樹が吸収してくれた。
「樹、ごめん。大丈夫?」
樹は、気を失っているかのように眠っていた。
◇
「助けられちまったな」
樹が目を覚ましたのは、それから1時間くらい経過した時だった。すっかり高くなった月光の下で私は、樹を抱えて草むらに座っていた。
「いいよ。もう帰ろう」
私は、笑顔で応えた。
「ああ、そうだな」
まだぼうっとした様子の樹が寂しそうな表情をして櫛を見つめていた。ずっと探していたお姉さんに会えなかったのだから仕方ない。
「元気だしてよ。お姉さんが帰還するために必要な対価、見つけるんでしょ」
私は、樹の腕を掴んで話す。
「ああ、そうだな」
樹は、虚ろな目をしながら、さっきと同じ言葉を返す。
「あと、さっきの返事は絶対してよね」
私は、立ち上がった樹に問いかける。
「ん、なんのことだ?」
樹が首を横に傾げる。
「大切な返事だよ!」
私は、樹を覗き込むようにして確認する。顔が熱くなるのを感じていた。
「なんの?」
意外な反応に頭がクラクラしそうになる。
◇
こっちは、顔真っ赤にして訊いてるのに、どうしてとぼけた反応ができるのだろう。まさか、本当に……。
「覚えてないの?」
「ああ。闇に飲まれてからのことをあまり覚えてない。夜のおかげで助けてもらったのは、分かるんだけど……」
樹が振り向きながら、頭を掻く。ごまかしている訳じゃなさそう。
「そ、そう。それなら、まぁ、いいけど」
もっとちゃんとしたタイミングで、きちんと伝えたいしね。
あれ、さっき、私のこと、夜って……。
「今、私のこと、なんて呼んだ?」
「……なんでもない」
樹の頬が、ほんの少し赤くなった。
さては、覚えてるな。
「帰ろっ」
「ああ、ちゃんと報酬貰ってからな。……そのあとだな、夜のわがままに付き合うのは」
ぼそりと呟くように言った樹の言葉を聞き逃すことはなかった。私は、彼が「わがままに付き合う」と返事をしてくれたのだと確信し、彼の腕をぎゅっと掴んで、大きく頷いた。
「うんっ」
私と樹は、笑顔で見つめ合うと、報酬を得るために屋敷に向かった。
私たちには、まだ「わがまま」を叶えるための長い旅が残っている。
第3話 END
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます