静かな喫茶ボナセーラ

加瀬あずみ

第一章

ご来店前のお客様へ

 喫茶ボナセーラは、都市郊外にある静かな純喫茶店であった。


 一言に都市と言っても大したものではない。その国のなかで定義するなら都市、となるだけで。その都市は光り輝いていても雲の上に位置する訳でもない。


 そんな都市郊外の、また静かとわざわざ綴られるほどの喫茶店なため。ボナセーラは多くの人が想像するであろう通りの。老舗で古ぼけ、穏やかで無口な店主と昔の音楽と、こだわったコーヒーが空間を保つ、そんな印象の喫茶店であった。


 ボナセーラは全席喫煙可能だが煙草を吸うならカウンターのレジ横に置かれた。ガラス製の灰皿が必要だ。ボナセーラへ来る喫煙者らは自らこの灰皿を手に取り、帰る頃には山となったシケモクと灰を自らレジ下のゴミ箱へ適当に捨ててもらう。それがボナセーラのルール。灰皿の色は、深緑と薄い藍色。


 店主はとても穏やかなもので。この間、客のひとりが誤って灰皿を床へと落としてしまいガラス製なため粉々に割れてしまった事態があったが。落ち着きある店主は文句のひとつも言わずに破片を回収しガラス片をビニール袋へ詰めて。客へ新たな灰皿を用意した。店主が喋っているのを見たことのある客はいないらしい。


 ボナセーラにメニューはない。ただ「おいしいこーひーいれてます」の十三文字が書かれた広告の文句しかなく。客が銘柄やその日の気分を伝える事で店主が適切なブレンドを用意し提供する。その手腕は見事なものでボナセーラは珍しいコーヒー豆を使っている、ボナセーラのコーヒーを飲んだら不安が解消された、恋人との不和が解決した。と、噂も絶え絶えであり。店主は魔法使いだという与太まで聞こえる。


 美味しかったよ、ありがとう。会計を終えた客らが店主に向ける決まり文句も、このボナセーラのルール。ここのルールは誰かに言われて従うものではない。

 ボナセーラのルールは自分自身で決めるもの。それもまたボナセーラのルール。

 

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