来店記録八月十七日

 ある夏の夕方。ひとりの少年が、何気なくボナセーラを訪れた。

 遊び場だと思っているのか。注文をするつもりも、席につく気もないらしい。少年はカウンターに座る客らに声をかけだした。店主は、いつもの様に口を噤むだけ。

少年が特別だから、という訳ではなくボナセーラの店主はいついかなる場合も黙っている。煙草を吸っていた客らは少年が来たのを見て、みな急いで灰皿で煙を消した。

 少年がカウンターのひとりの男へ声をかけた。男は小説家だった。男は、さっきまで最近執筆している作品の調子を一方的に店主へと話していた。店主は無口なので周りから見れば、男の独り言の様に映る。小説家の男はお喋りだった。


「おじさんなんの話してたの?」


 少年が聞く。


「……小説の話だよ。僕が書いてるやつ」


 男は言う。


「おじさん漫画家?」


「小説家だよ」


 少年は、フーンと鼻をうえにあげ、カウンターに座る男を見上げる。座りなよ、と男が左のカウンターを引く。少年はジャングルジムでも登るかの様に席へついた。

 苦いけど飲んでみるかい? 男がコーヒーを少年の前へと置く。父さんの飲んだことある父さんの飲んだことあるけど不味かったからイヤだ。少年はそう言った。


「この子が飲めるコーヒーをひとつ」


 男が店主へオーダーする。店主が奥へ豆を取りに行く。


「おじさんってなんの話つくってんの? 面白い?」


 少年が聞く。


「……つまらない話だよ。君の楽しかった一日を文字起こしにした方が遥かに面白い」


「おじさんタバコ臭い」


「……煙草だけでも最悪だけど。コーヒーも飲むようになると、そうだな。口から、ウンコのにおいがするよ」


 少年は文字通りの大爆笑をしてから。


「おじさんなんでタバコ吸うの? 健康にアクエーキョーって言ってたよ」


「……大人は身体に悪いものが好きなのさ」


 コト。少年がまたフーンと鼻をうえへあげていると、いつの間に工程を終わらせていた店主がマグカップを少年の前のテーブルへと置いた。恐る恐る少年はマグカップを唇へと傾ける。ゴクリ。少しの間を置いてから。少年は、目を丸くし。


「うまい。おじさんありがとー!」


 少年はなにか、用事を思い出したのか。急ぎ足でドアを抜け、ボナセーラを出て行った。もったいないので男はカップの向きを変え少年のコーヒーを飲んでみる。


「……確かに旨いな。若干の苦味は残したままミルクとクリームで飲みやすい。それにこれ…………ラテアート描いてたのか? お茶目だな……とっくに消えてるが」


 店主はなにも言わない。男は続ける。


「やはり子供はいい。若いってのは、毎日が初めましてってことだ。僕もあんたも、古ぼけてしまったのかも知れないが。あんたの淹れるコーヒーはいつも新鮮だよ。僕も、また新しいものを書けるかな」


 じゃあまた。男は灰色のジャケットを羽織り会計を済ませ、ボナセーラを出た。

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