【短編】龍の棲処
この都市は眠ることがない。街の中心にそびえ立つ三棟のビルには常に赤々と火が灯っている。火、というには安全性が高い照明ではあるが、過去に火の明るさから隠れるように身を潜めた怪異達は、その灯りを恐れず狡猾に影の中を動き回るようになった。
炎は揺れて不意に燃え広がるが、この安全性の高い照明はそうはいかない。それなら、月のない夜に影は動かないのだ。
だが怪異達がこの街の中で月のない夜に支配を強めるかといえば、そうではない。
「来るぞ。」
ノニが囁くと、センムは金の髪をさらりと揺らし、視線を高く上げた。
この街で最も高いビルの下にある公園で、二人はビルを見上げている。セジュラはノニの着ているパーカーのフードの中でネズミのような姿でぐうぐう眠っていた。
ビルの中から、どうやってその巨躯を納めているのかというほどの角がぬるりと突き出て、続いて龍の顔と髭が現れ、ビルに沿って体を巻き付けてゆっくりと天に昇っていく。
「本当に出かけること、あるんだ……」
「たぶんこれがあるから、この街全体が守られている。お前に憑いてる生き霊も定期的に消滅させられてたはずだ。」
センムはずっと龍を目で追い、碧の目を細める。
「どうしてここに住んでくれてるんだろう……」
「このビルが山より高いからだ。」
龍は高山に住むことが多く、山そのものの神気と龍の力が合わさって周辺に強い力が出ることが多い。このビルは山よりも高く、神気という意味では月や星の力をより強く得られるのかもしれないとノニは考える。
「恐らく祀っているとは思うぞ。他にもいるんじゃないか?」
センムは呆けた顔で龍を見上げて、そして「そうかも」と小さく呟いた。ノニは周囲の地面を見回して、影がざわざわと人間には分からないほど細やかに揺れているのを見つける。そしてもう一度センムに目をやった。
人間も、怪異も、月のない夜に月を見上げるように龍を見上げている。龍の纏う神気を怪異達は太古の昔より嫌というほど知っていて、影に隠れて見上げるしかない。龍は力があるだけで、見た者には何かしら影響はあるものの何者にも容赦や救済はなく、決して神仏の使いというわけではないし、怒りに触れれば当然怪異だろうが人間だろうが消し飛ぶ。
「ほら、呆けてないで探すぞ。」
ノニの言葉にセンムははっとしたように視線をノニの方に寄越した。そして照明に照らされた地面をノニと同じように見回す。
「影だけの子どもだっけ……?」
「そう、寝てる間に影だけが動き回っている。」
「僕も影を取られたことあるから他人事じゃないなあ……」
生き霊となるほどの自我もない年代の幼い子どもが、影だけになって肉体から離れてしまうことはよくある。魂に異界との境目をつける力がないためだ。大抵は年齢が少し上がれば治まるのだが、今回の赤子は寝ている間は四六時中離れてしまうらしく、ノニが見た限りではそろそろ別のものに入り込まれてしまいそうだった。
「今夜は色んなものが影の中に潜っているから明るいところにいるはずだ。赤子よりはもう少し成長していた。」
「セジュラくん、ダメなの?」
「龍が空にいる夜にちょろちょろして、目につきたくはないだろうからな。」
多少セジュラに甘いとは思いつつ、ノニはそう言いながら公園の街灯の下へ移動し、周辺を見回す。そこより奥はビルの影になっていて探しているものはなさそうだ。
ノニとセンムは本人から影が離れるところを確認し、ここまで追って来たので近くにはいるはずなのだ。セジュラが起きていれば離れたその場で捕まえられただろうが、影にマンションの壁を垂直に移動されると人間の足で追うのはかなり厳しい。
「龍が出て来たらさすがに動くかと思ったが………どこに行ったんだ?」
そこへセジュラがフードの中から「んあ」と目が開いた様子でぽそぽそと喋った。
「ノニ、おちょくられてんぜェ……」
眉を寄せてセジュラの言った言葉を渋面で考え込んでから、ノニがばっとその場から飛び退くとノニの影の中にいたらしく子どもの姿が地面に映った。
「あっ、いる!」
センムが小さな声で叫ぶと同時に、ノニは腰に差していた純銀の警棒を素早く抜いて影を突く。そのまたビタッと地面に張り付いたように動きを止めた子どもの影に、ノニは息を吐いた。
「この前、影の持ち運び方を訊いておいて良かったな……」
そう呟いてノニは万華鏡の覗き口に強烈なライトを当てながら、反対方向のフタを開けて影の上に立てる。警棒を外すと万華鏡に吸い込まれるように影が消えた。
「本当に入った!」
センムが楽しそうに言うのを横目に、ノニは万華鏡を持ち上げてフタを閉め、中を覗いて確かめる。万華鏡の底には確かに小さな子どもの影が納まっている。ノニは安堵の息を吐いて警棒を縮めて腰のベルトに収納すると、万華鏡を手に持ったまたセンムを促して歩き始めた。
本体は自宅だが、明日の朝にアクタクリニックに連れて来て貰わなければならない。
「ロク先生の依頼じゃなかったらやらないぞ、もう……」
ノニがそう呟くと、風が頬に当たった。
顔を上げると龍がゆっくりとビルに沿って空から下って来て、緩やかにまたビルの中に入って行く。センムもまたそれを見上げている。
何となく手に持った万華鏡を眺め、そして、龍自身が巨躯をビルに納めるのはそう難しいことでもないのかもしれないと、ノニはふと思った。
了
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