【短編】未砕の宝石

 ソファに腰掛けたノニの目の前に、大きな青い石のはまった豪奢なブローチが箱入りで、白い布を広げたテーブルの上に乗っている。スターサファイアというそうで、金額としては百万程度とのことだ。一般の客でも手の届くそれなりに高級な金額ラインというレベルだが、このラインでもVIP客が気軽な旅行用などで気まぐれに購入する場合もあり、店としては早々に「何もない綺麗な状態」にして欲しいとのことで相談を受けた。ノニはいわゆる呪詛を視覚に捉えることは出来ないのだが、セジュラは犬の姿で鼻先を近付けて鼻先をしかめて「うええ」と言ったので、呪詛があるのは確かだ。

「うーん、祓い除けられる何かがあるわけじゃないからな……」

 呪詛というのは仕事としての心霊案件の中ではやっかいだ。単に人間が人間に対して行う嫌がらせと言ってしまえばそれまでだが、目に見えるものであっても、嫌がらせほど対処が面倒なものもない。そこに面倒さを更に加えたのが呪詛だ。どうしたものかとノニが悩んでいると、AIシステムが来訪者の通知を寄越した。

 ここはセンムの会社のビルの上層、役員用の居住区の一室だ。ノニは長く同じ場所に留まれないが、このフロアは会社と年間契約を結んで怪異の点検でたまに訪れるノニのために全解放されている。部屋自体は元々かなり余ってはいたらしいが職権乱用もいいところだとノニは思っているものの、正直セーフハウスという意味では助かっている。

「ノニさん、いかがですか?」

 AIに解錠を許可したので、センムの秘書のマカリが部屋に入って来た。ダークブラウンの髪、少し上がった目元に最近の苦労が忍ばれる皺が見える。

「最初に申し上げた通り、難しくはありますね。」

「祓えない……ということでしょうか?」

「いえ、そこは簡単なんですよ。ただ物品の呪詛を剥がすと大抵は壊れるので。」

 ノニの言葉にマカリはテーブルの上のブローチを確かめ、無事なことに少し安堵した顔をする。

「これがあると命が危うい、命の方を優先したい、という話なら、素人でもハンマーで石を砕けば問題ないと思います。」

 マカリは困った顔をしてブローチから目を離し、ノニを見つめた。

「話を聞く限り生命を奪うようなものでないのは確かですが、それでも五十年くらいは呪詛と共に歴史を歩んで来ています。石を磨いて、台と細工を変えて弱めるしかないでしょう。」

 物品に刻まれる呪詛とは、要はしてはいけないところにされたラクガキのようなものに近い。そのため行うのは正しい清掃作業であり、方法を誤るとラクガキがされた場所や物を傷めてしまう。

「石の方はこういうことが可能な職人を紹介します。台から外した瞬間に呪詛が分離されて石が粉々になる可能性はありますので、外すのもその人にやって貰った方がいいとは思いますが、そこはご自由になさって頂ければ。」

 ノニは名刺入れから呪詛関連の宝飾品の扱いが得意な職人の名刺を取り出して、AIに読み込ませる。カシャッと音がして、数秒でマカリの持っている端末の方で音が鳴った。

「あまりお役に立てずに申し訳ありません。グループ系列の店の依頼ということなので、個別の報酬は不要です。」

 マカリは端末を取り出して名刺を確認すると、頷いてそれをまたスーツの懐にしまった。そして立ち去ろうとする瞬間に、一瞬だけ躊躇いを見せる。

「お茶でも淹れましょうが。センムのことでしょう?」

 ノニが尋ねるとマカリは周りを見回してからノニの方を見て、それから息を吐いた。

「………セジュラさんはいない様子ですね。」

「おつかいに出しました。この街は無人決済のストアが多くて助かります。」

 ノニがそう言って立ち上がりコーヒーの準備を始めると、マカリはしばらく黙ってそれを見ていたが、やがてノニが座っていた向かいのソファへ腰を下ろした。

「先日の騒動の際、少し気になる点がありまして……」

「ええ、どんどん言動が幼くなっていますね。」

 ノニの言葉にマカリは頷き、片手で頭を抱える。

「専務は、仕事の時には以前と同じようにきちんとされていらっしゃいます。ですが、あの乖離がどうも心配でならないのです。」

 マカリの苦悩はノニにもよくわかる。センムの言動はノニといる時は青年どころか少しずつ少年じみて来ていて、正直なところ体や顔、表情もだんだんと若年に巻き戻っているのだ。マカリはまだ体の方の変化に気付いてはいない様子なので、一定のラインでは止まっているのだろう。

「当初から懸念があったので、アクタクリニックでそのための薬は処方されています。仕事が問題なく出来ているということは、彼の中でスイッチがしっかりあるんでしょう。」

「懸念?」

 コーヒーを淹れたカップとソーサーをテーブルまで移動させ、マカリの前に置いてノニはソファに座り直してテーブルの上のブローチの箱を閉じる。

「………ここの座敷童は以前彼を『弟』だと言いました。ならば、弟に相応しいように、ということなのでしょうね。」

 そう言いながらブローチの箱をテーブルに敷いていた白い布で包み、ノニはキッチンにあった調味用の塩を瓶から振りかける。

「歴代創業家には……なかった事象です……」

「そんなことはないでしょう、『なかった』のなら、記録から消されたのだと理解されておられるはずです。」

 ノニは塩のフタを閉めて、ブローチの入った白い包みを軽く押してマカリの方へ差し出す。

「怪異それぞれの考えはわたしでも理解は出来ない。ただセンムは異界そのものの社に入ったはずなのに何故か現世へ戻されている。」

 そこで言葉を切ってノニはため息を吐き、顔を上げてマカリを見た。

「社に入る者は贄そのもの、本来はそのまま戻って来ない。戻されたことに意味があるのか、ないのか。今の段階ではわたしにも分かりません。」

 マカリはノニの言葉に打ちのめされたように黙ってはいたが、やがて視線を箱に落として眉を寄せ、苦い顔をした。

「……無理に何とかしようとすれば、砕けてしまうということですか。」

 先ほどの宝石の呪詛の話に重ねたのか、マカリはそんなことを言った。

 確かにこの会社で祀られている座敷童がセンムに行っていることは、一種の呪いともいえる。いつまでも子どものように留め置くための呪いだ。だが、センム自身はそれをスイッチを切り替えるように、何でもないように大人の仕事もきちんとしているということなので、呪詛としては成立していない。

「うーん、砕けるほどヤワでもないのは、わたしも見ていて分かりますけどね。」

 あなたにも分かるだろうと含みを持たせてノニが言うと、マカリはゆっくりと顔を上げて瞬きをしてから、「そうですね」と応じた。表情には多少の安堵と冷静さが戻っている。

「もう少し見守りましょう。歴代最高の、伝説の社長になるかもしれませんし。」

 マカリはそこで一瞬だけ疑問符を浮かべた表情をしたが、すぐに頷いた。



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