【街】 2-②
「デハこちらのキーを使ッテ、受付裏のエレベーターで285階マデお上がりクダサイ。」
「にひゃく……はちじゅう……ご……」
今度はすんなりと受付を通され、ノニは布製の買い物袋を下げて受付裏のエレベーターまで向かい、1階に待機していたアクリル張りの箱の中へ乗り込んだ。
一般の社員が利用するものではないのだろう、エレベーターの行き先は250階以上の役員用のフロアやマカリの言っていた住居用のスペースのためのもののようだ。最初に見た時は古いものだと思ったが、ビルの裏側にある宇宙エレベーターの試作機のようなものなのかもしれない。
エレベーターのボタンはほとんどなく、先ほど受け渡されたキーをかざすための機械が取り付けられている。
細くてレトロな金属製の鍵を模した形の電子キーを機械に接触させると、ピピッと音が鳴ってエレベーターが動き始めた。
40階までは乗る前にエントランスから見たままの通り、壁面がガラス張りで社内が見渡せる。そこを過ぎるとしばらく建物の中を動き、急に社内が見えていたのとは反対側の壁面がガラス張りになった。
寒気が走るような高さを音もなく昇り、エレベーターは街全体が見下ろせるほど高いところまで凄まじい速さで上がっていく。イリセグループの建築会社独自の耐震・免震技術がなければこの国にここまでの高層ビルは建てられないため、ビルの裏側の宇宙エレベーターを除けば街のどの建物よりも高い。
遠くまで広がる街並みは、このビルの直下から遠くなるほどに「超未来都市」の影を潜めていき、遠い山間の手前で建物が途切れているのが見えた。駅から伸びる線路だけが山間の中のトンネルへ続いている。
「こんなもん空を飛ぶ連中にとっちゃとんでもねえなァ。人間としょっちゅう目が合っちまう。」
セジュラが低い声で呟くと同時にうっすらとした雲を抜けるところまで来て、エレベーターは停止した。
住居とはいえ最上階に近い特別なところのようで、1フロアに2戸しかない。ただ「両方を使って良い」ということではないようで、渡されたキーは1つだけだった。
最初にたどり着いたドアの穴にキーを差し込むと、ピッという電子音の後に意外にもカシャッと物理的な解錠音が鳴った。そもそも何故カード型ではなくレトロな鍵の形をしているのかと思ったが、鍵穴と電子キーが一致しないと開かないようだ。
ノニが部屋の中に入ると、恐らくマカリが手配しておいてくれたのだろう、掃除はきちんとなされて空調も整えられ、照明や家電への通電も既に済んでいた。
住居というだけあって出入口のドアからすぐに玄関があり、すぐ傍に恐らくは来客用の部屋があって、斜め向かいの廊下の途中にはバスルームと洗面所、そのもう斜め向かいはトイレと続いて、奥に広いキッチンとリビング、その隣に大きな寝室があった。キッチンは火ではなく電気式のコンロだったが、オーブンレンジも備え付けられてはいる。だが間取り自体はファミリー向けどころかディンクス向けとも言い難く、恐らくはビルの設計時にこちらも隣のビル同様、独身者向けの高級住居にするはずのところを、企業の内部事情で無理やり役員のための住居か何かにしたのだろう。
リビングと寝室には壁面が大きくガラス張りになっている部分があり、慣れている人間は開放感もあるだろうが、なにぶん高さがありノニは傍に寄ると恐怖を覚えた。シャッターブラインドで閉じられるようにはなっているようで、ふと見るとテーブルの上には音声認識のリモコンAIが置いてある。社内からの連絡用だろうか、音声通話も可能なようだったが映像は出るタイプではないようだ。
セジュラが途端にフェレットから大型犬よりももう少し大きい犬のような獣の姿になって、ごろりとリビングに寝そべる。
「あっ、こら、毛が抜けるような格好はやめろ。」
「別に毛が抜けたらダメって言われてねーだろ。あー、サイコー。」
広いリビングの三分の一が埋まるほどの大きさになったセジュラは、長々と伸びた状態でノニに返事をした。
ノニは買い物袋をキッチンの傍へ置いてから、ライダースジャケットを脱いで寝室のクローゼットにしまい、七分袖のシンプルなシャツ姿になってカウンターキッチンへ入る。
冷蔵庫に買って来た牛乳をしまってからキッチンにあった新品の鍋を洗って湯を沸かし始め、ノニはパックに入ったほうじ茶の袋をバリッと音を立てて開けた。簡素なものだが食器棚に2人分のカップやマグ、皿や椀、箸などのカトラリーは新品のものが用意されている。
「ビル内の関連会社からわざわざ用意してくれたのかな。至れり尽くせりだ。」
妙に大きなボウルのようなものがあるところを見ると、セジュラも食事をするかもしれないと考えたのだろう。
「そうだセジュラ、ゴウジュラに言ってわたしの服を届けて貰っておいてくれ。この社内を見回るなら、ちょっとカチッとしたやつがいい。」
「あいつにそんなん分かるわけねーだろォ。お前のカーチャンに言っとくぞ。」
「ううん……母よりかは兄の方が……」
ノニの言葉にセジュラは面倒そうに腹を見せて、前足で空中を掻くような仕草をする。
しばらくして鍋の湯が沸き、ノニが火を止めてほうじ茶のパックを鍋に投入すると、セジュラの寝そべっている方でガタッと音がした。黒い中くらいの大きさのスーツケースがセジュラの横に転がっているのを見て、ノニはキッチンからそちらの方へ向かう。
「ありがとう、助かるよ。………しかし、早かったね。」
そう言いながらスーツケースを開き、ノニは中の服や道具を確認する。
「もうお前の仕事の時に慌てて用意するのがイヤだから、スーツケース6個くらいセットしてあるらしいぞ。」
「それは……ずいぶん効率化したなあ。」
スーツケースから白銀色の10センチ程度の3本の棒と白い封筒を取り出して、中から何枚かの札を出し、ノニは棒を持って部屋の中をうろうろと歩き始める。
時折、白銀色の棒を3本一度にゆっくりと振ると、先から白い光のような線のようなものが空中にふわりと漂った。
「窓が大きいからなあ。足りるかな……」
ノニが呟きながら窓に札をぺたりと貼り付けると、すうっと文字が書かれた色彩から書かれた紙までが消えて札が見えなくなる。リビングの大きな窓に2枚、寝室の窓に1枚、天井と床に1枚ずつ、出入口のドアに1枚、と順に貼り付けていき、最後に白銀色の棒を迷った末にキッチンのところにあった一輪挿しに3本とも差し込んで、ノニはふうっと息を吐いた。
「セジュラ、隙間ないか?」
「んー……大丈夫だ。兄貴はほんと優秀だな。」
「わたしが落ちこぼれみたいに言わないでくれよ。結界を自分で作るのは面倒なんだ。」
鍋に蓋をしてほうじ茶を蒸らしながらノニがマグを洗っていると、ピピピッと電子音がした。
「音声通話リクエストがアリマス。おつなぎシマスカ?」
人間の肉声と電子音の入り混ざった音がリモコンAIから聞こえてノニが顔を上げると、セジュラがテーブルに顔を近付けて「おう、繋げ」と返事をした。
《ノニ様、マカリです。お部屋に入られたと窺ったのですが、落ち着かれましたでしょうか?》
「おう、最高だ。ありがとうよ魔狩り。」
セジュラが答えると、スピーカーの向こうでマカリの驚きと戸惑いの沈黙が流れた。
「すみません、先ほど紹介したわたしの使い魔です。こちらはいつでも来訪して下さって構いません。」
慌ててノニが会話に割って入り、マカリの安堵の息がふっと聞こえた。
《で……では、十分ほどしましたらそちらに向かわせて頂きますので、よろしくお願いいたします。》
ピピッと電子音が鳴り音声通話が途切れると、ノニはリモコンAIの隣にあるセジュラの顔を咎めるように見た。
言葉を喋ったのももちろん驚いただろうが、やって来て今のこの姿を見たらマカリは卒倒するのではないかとの懸念はある。だが外にいる時はセジュラにとって苦手な小型の変化を強いている上、大人しいものに変化させても口元に並んだ牙がどうしても隠れないのだ。
「……せめて猫の方が可愛いかもしれないんだが、セジュラ。」
「この大きさの猫は肉食の獰猛なヤツじゃね?」
少し思案するように眉を寄せてから、ノニは納得してため息を吐いてキッチンのところに置かれていたコーヒーマシンのスイッチを入れた。カプセルをセットするタイプのもので、これも恐らくはカフェオレを飲んでいたノニを見て部屋とは別に用意してくれたのだろう。用意されたカプセルは多種多様なメニューが並んでいて来客用のものは決めかねたので、本人が来た時に聞いてから淹れようとノニは考えた。
しばらくするとポーンとドアの方で音が鳴り、リモコンAIから「来客、マカリ様デス」と声がかかる。
ノニがキッチンから出る前にセジュラが尻尾を振って玄関までの廊下に向かい、廊下を通り抜けられるように歩きながらシュルシュルと縮んで、ドアを開けられるようにするためか、ふわりと白い猿のような姿になった。
マカリのことをずいぶん気に入ったようだと思いながらも、理由が分かっているだけにノニは少し難しい顔をした。
玄関で何かやりとりしている風な声が聞こえてから、セジュラがマカリの手を引いてリビングにやって来る。色々な出来事に目を白黒させているような感じで、驚きと困惑が入り交じった表情でセジュラを見下ろしながら、どちらかといえば引きずられているというのが正しい。
「マカリさん、普通のコーヒーでいいですか?」
「あっ、ああ、はい、申し訳ありませ」
言葉の途中でリビングのソファに無理やり座らされたマカリから視線を外し、ノニは来客用のカップを洗う。既に牛乳を注いである自分のマグには鍋からほうじ茶を流し入れてティーラテを作り、ほうじ茶のパックを箸で引き上げてシンクの小さな生ゴミ入れに入れると、ディスポーザー式なのかジッと小さな音が鳴った。コーヒーマシンからこぽこぽと来客用のカップに最後の数滴のコーヒーが注がれるのを眺めて待つ。
ノニがカップに満ちたコーヒーをテーブルへ持っていき「どうぞ」と声をかけると、マカリが立ち上がろうとして、ふと隣に座っていたセジュラに目をやって一瞬止まった。
「セジュラ、もう十分だろう。」
たしなめるようにノニが言うと、チッと舌打ちのような音を出してセジュラがリビングの床へ戻りごろりと横になると同時に、先ほどと同じ犬のような大きな獣の姿に戻る。ふて寝するように顔を外に向けて尻尾をピンッ、と振る姿に、ノニはふっと息を吐いてマグを持ってテーブルにつき、マカリに目をやった。
「すみませんね。どうもあなたのことがお気に召したようで。」
「はあ……私が何かしましたでしょうか……?」
テーブルにつきながら心底から分からないといった風な顔でそう言ったマカリに、ノニは苦笑した。
「一応、あれも魔性ではありますから性質です。あなたの血筋の持つ匂いと、あとはもてなされるのも好きなもので。」
「……血筋……」
「ああいった明確な意思を持つものは、少なからず『好み』があります。まあ、丸ごと食べるものもいますが……あれは今は対価を渡して放出している生気を吸う程度なので、ご安心下さい。……ああ、ミルクピッチャーはないですが、牛乳が必要なら加えます。」
マカリは首を小さく振り、コーヒーカップを見つめて瞬きをする。しばらくは悩むように沈黙していたが、きゅっと目を閉じて視線を向かい側に座ったノニの方へ向けた。
「今回のご依頼の件ですが……専務のご意向なので、その、私に聞きたいことというのは」
ノニは少し思案して一瞬視線を上に投げると、マカリに目をやった。
「わたしもそれなりにこの仕事をしてきておりまして。最初によくあるのが『怪異に遭っている本人以外の方でわたしを信用する人間がいない』ということなのです。この通り、まともでない怪しい職業ではありますからね。」
そう言ってセジュラに目をやり、ノニは小さく笑った。
「セジュラの姿を見れば納得する方もいますが、この街では空間への画像投影の技術もかなり発達していますし、何よりこの新しい『超未来都市』に昔話の怪異……いわゆる妖怪じみたものが出るなどとは夢にも思わない方が多いもので。マカリさんも、そうではないかなと思っただけです。」
ノニがマカリの顔に視線を戻すと、彼の目には心の隙間に入り込まれたように怯えの色が見て取れた。丁寧で柔らかい態度は仕事として割り切ってやっているが、年齢からいえば彼は「次期社長の専務の秘書」として長年勤めて来たのではない。権限から考えると年齢にしては優秀なのだろうが、恐らく地位としては社長や会長の秘書の中の若手というところになるのだろう。どちらかといえば、次期社長の面倒を見ている世話役だ。
「………専務のイリセさんは、急に『何かが見える』などと言い出したのではありませんか。」
ぎくりとマカリの顔が強張った。
「きっかけは何かあったとは思いますが。……エントランスの空中に大きな龍がいるとか、エレベーターで何かと目が合ったとか。」
ノニが言葉を重ねるごとに、マカリの目が揺らいて大きく見開かれていく。
「あとは……受付のロボットの隣に女性が座っているとか。」
マカリは黙ったままノニを見つめ、息を吸い込んでコーヒーカップに手をやるものの指が震えて上手く持ち上げることが出来ない様子だった。
「まあ、私が見た限り分かりやすく目についたのはそれくらいなのですが、出入口からこの部屋までであれだけいれば、このビルの中を歩けばまだまだいるとは思うのです。」
何とかゆっくりとコーヒーカップを持ち上げて口をつけたマカリは、一口だけコーヒーを飲んでゴクリと大きく喉を鳴らし、ぐっと長い瞬きをしてからまぶたを開けてノニを見る。
「ほ……本当にいるのですか?」
ノニは不思議そうな顔をしてから、「ああ」と気付いたように声を上げた。
「そういうのはどこにでもいます。悪いものでもないですし。これだけ大きな企業だ、エントランスにあれだけ大きな龍が住んでいるなんてすごいですよ。安泰も安泰だ。受付の女性も仕事熱心だからあそこにいるわけですし、良い笑顔でしたから悪いものではないです。」
「そ………」
何かを言いかけて何と言っていいか分からないように、マカリは口を開いたままノニを見つめ、置くのを忘れたように自分が持っていたコーヒーカップに気付いたように視線を下げ、テーブルの上に置いた。
「………ノイローゼだと。本当に、急にわけの分からないことを言い出して………」
「今まで見えなかったものが見えるようになると、どんな人間でもそうなります。あとは慣れるか慣れないかの問題ですね。」
視線を上げないままでマカリは眉をぎゅっと寄せて、また唇を開く。
「………治るのですか?」
マカリの言葉にノニがどう答えたものか迷っていると、セジュラのククッという笑い声が聞こえた。
「何で奥の目が開いちまったのかは分からんが、『治る』はねーだろ。病ってわけじゃねえんだぜ。ノニはガキの頃から普通に見えてンだから。」
「セジュラ、よせ。」
妙に楽しそうな声音でごそりと首を振り返らせて獣が放つ言葉を、ノニは視線をやらずにたしなめる。
はっとしたように顔を上げて、マカリは眉を下げた泣きそうな顔を片手で目元を覆って隠した。大の大人がノニのような若い人間に泣きそうな顔をさらし、仕事では決してすることのない非礼を働いたことに、言い様のない感情を抱えているのだろう。
「申し訳ありません……そう……そうですね………」
消え入りそうな声で謝罪したマカリに、ノニは鼻から静かに息を吐いて笑った。
「コーヒーよりほうじ茶の方が良かったですね。落ち着きますから、淹れ直しましょう。」
ノニがコーヒーカップを手にとって立ち上がると、セジュラがぴくりと起き上がる。スンと鼻を鳴らして玄関の方へ目をやるのを見て、ノニはコーヒーカップを手早く洗ってほうじ茶を注ぎ入れた。
テーブルのマカリの前にコーヒーカップを戻したところで、ポーンッとまた玄関から音がしてリモコンAIが「来客デス」と声をかける。
マカリが玄関の方を振り返って見てから、セジュラが走り出す前にノニはひらりと玄関の方へ足を向け、ドア向こうに感じる気配で一瞬立ち止まった。すると背中にセジュラの鼻先がどすっと当たる。
「ありゃあダメだ、悪いもんじゃないが数が多い。結界にヒビが入る。オレの煙草持って来い。」
「火はつけられないぞ、たぶんこのビルは禁煙だ。」
「……じゃあ芳香剤のスプレー持って来い。買ってただろ。」
慌ててリビングに戻って買い物袋から空間用の芳香剤のスプレーを取り出し、ノニは玄関へ小走りで出てセジュラの前に立った。
ドアを開けると同時、セジュラが膨らむように大きくなってノニの背を押してドアの前を塞ぐ。押し出されるようにして廊下に出たノニの目の前で「うわぁあッ」と叫び声がして、何かがばっと飛び退いた。
ノニが顔を上げると、ふわりとスカートの端のようなものが目の前を横切る。
「やっべえなァ、女の生き霊が多過ぎて顔も見えねえ。」
背後の毛皮がふかふかと震えて今にも笑い出しそうな声を発するのに対して、ノニは眉を寄せた。
「初めまして、恐らくご依頼人のイリセさん。……そして申し訳ありません、ちょっと後ろを向いて肩と背中にスプレーをかけさせて頂けますか。無理なら真正面からいきますが。」
「えっ、どちらにしてもかけるのかい!? ちょ、ちょっと待って……」
慌てて後ろを振り返った人物の背に躊躇いなく芳香剤のスプレーを吹きかけると、ひらひらとしたものがぶわりと飛び散るように周囲に広がって霧散した。ブラウンのスーツの肩と襟足にかかる金糸の髪が見え相手が肩越しに振り返った瞬間、また空中から日傘のような影が現れる。
そちらにもう一度芳香剤のスプレーを吹きかけてから、ノニは相手の首に腕を回して抱き締めた。
「うわっああ !?」
「セジュラ!」
ドアの両端の隙間からぬるりとセジュラの大きな肉球が出て来て、背を預けたノニを抱いた相手ごとぐるりと抱き締め、ずるりとドアの中へ引き入れる。後ろから追ってくるものに、ノニが抱き締めた相手の肩越しにもう一度消臭剤のスプレーをかけると、セジュラが「ヴォンッ」と一声吠えてドア前のものが完全に消し飛び、大きな獣の脚がドアを閉めた。
ぱたぱたとリビングから向かって来るマカリの足音がセジュラの毛皮越しに聞こえて、驚いたような叫び声が上がる。
「奥の目が開いてるのに、あの数の生き霊は見えねえんだな。」
「生き霊は影響力は弱いものがほとんどだからな。飛んで来るだけで精一杯だから。」
「専務ッ! 大丈夫ですか!?」
ノニの肩越しにセジュラの腹の毛皮に顔を埋めた金髪の青年は、マカリの声にゆるりと顔を上げた。
白い肌に短い金の髪、青みがかった少し垂れたグリーンの瞳と文句なしに整った顔。なるほど、これにイリセグループの次期社長という肩書きが乗ればあの生き霊の数も納得出来るとノニはその顔を見つめて思う。それと同時にマカリの苦労と心労がどれほどのものか、先ほどの泣きそうな表情を思い出してノニは顎を上げてセジュラの毛皮に頭を埋めた。
どう見ても年齢はノニよりも少しだけ年を重ねた程度で、二十代半ばだ。まだ少年の面影すら残るような若い顔と、これだけの大企業で生まれ育ったにも関わらず素直そうな性格が瞳にありありと表れている。
長らく世話役として守り育てたであろうこの青年が、怪異が見えると意味の分からないことを言い出した時の秘書の衝撃は計り知れない。
「だ、大丈夫……ちょっと、わけは分からないけど……」
この若さで名ばかりでなく優秀で実務をこなす専務という肩書きであるならば、それはもう。
羨望も憧れも、妬みも嫉みも買うだろう。
複数の人間が呪詛を吐くだろう。
この289階建ての広大ともいえるビルの中から呪詛の根源を探すのかと思うと、ノニは思わず大きなため息を吐きそうになって、それをひっそりと飲み込んだ。
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