【街】 3-① 座敷童
「悪夢から覚める瞬間は奥の目が開くこともあるが、開きっぱかァ。……クッ。」
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液晶画面上で、依頼人であるイリセの話を音声記録したものを一瞬で文字変換してまとめて依頼書を作り、ノニはクラウドデータサーバーへその依頼書を格納する。
「一応、連絡手段は持っているんだね。」
嫌みを含んでいるのかいまいち判別出来ないイリセの声に顔を上げて、ノニは画面をトントンと指先でつついた。
「これは普段は持っていないんですよ。それにアクセス出来るのは依頼データを格納しているところだけです。連絡手段というか、一応連絡が出来る方にはこれを使って頂いていますね。」
ノニが隣にいたセジュラの頭をポンポンと軽く叩くと、マカリが驚いたような顔をする。
「セジュラへ使いを出したり思念を飛ばせる方は、一般の依頼人にはそうそうおられないので。それが可能であればわたしにはすぐ連絡がつきます。界隈でこんな目立つものを連れているのはわたしくらいですし。」
ノニの言葉にセジュラがふふんと得意げに鼻から息を吐き出すのを聞きながら、ノニはソファから立ち上がって携帯端末をテーブルの上に置き、ソファの方を振り返った。
「では、その問題の執務室を見せて頂けますか。」
ノニの言葉にイリセがゆるりと振り返って目が合ったものの、彼はふと一瞬視線を下げてからノニの方へまた瞳を戻す。
一瞬の行動の中に迷いのようなものが見えてノニは少しだけ首を傾げ、そのまま体をそちらに向けて進み、ソファの元いた場所へもう一度座った。
「あ……すまない、執務室だね。……そうか、僕が行かないといけないんだな。」
眉を下げてそう言うも、イリセは座ったまま黙ってしまう。マカリがそれを気遣うように視線を投げた後、申し訳なさそうな顔でノニの方を見る。
当然といえば当然なのかもしれない。恐らく怪異が見えるようになったきっかけは、今さっき聞いた話だったのだろう。そのおぞましい体験をした場所を避けようというのは本能的なものから来る行動だ。
「ノニくん。その……いくつか聞いていいかい? 執務室は後から行くから、話、というか……」
歯切れ悪くぽつぽつと話すイリセに、ノニは「ええ」と返事をする。イリセは少しだけ晴れた表情で顔を上げて、そしてマカリを振り返った。
「マカリは仕事に戻ってくれ。色々とあるだろうから……すまない、こんなことに付き合わせてしまって。」
言葉をかけられたマカリは心配そうな顔でイリセを見たが、「はい」と頷いて立ち上がる。
「それでは失礼いたします。こちらのリモコンAIには私の連絡先は登録済なので、ノニ様も何かありましたら遠慮なくお呼び下さい。」
ノニが「分かりました」と返事をすると、マカリが会釈をして玄関の方へ向かうのをセジュラがぱたぱたと尻尾を振って小さくなりながらついていく。ドアを開ければ何かが入って来る可能性もあるので、その見張りも兼ねてのことだろうが、本当に気に入ったらしいとノニは呆れた顔になった。
そこからイリセに視線を戻すと、酷く不安そうな顔で背を曲げて脚を組み、その上に乗せた組み合わせた手を見下ろしている。
「……きみには、あれらは見えているのか?」
低い声でそう尋ねた声に、ノニは瞬きをして上を見ながらソファに身を預けた。何のことはない、彼自身も自分の見ているものが信じられないのだ。お祓いや調査もしたということだったので真偽不明の連中の様々なそれらしいものを経た上で、ノニを一番信用していないのはこの依頼人なのかもしれない。
「あれら、というのは分かりませんが。見えたのはエントランスにいる龍と、受付の女性だけですね。あとはエレベーターに乗っている時にセジュラは『空を飛ぶものと目が合う』と言っていたので、そういうのもタイミングが合えば見えるかと思います。」
ノニがさらりと答えると、イリセはふうっと息を吐き出してから、少し迷った風に目を泳がせる。
玄関からセジュラがチャッチャッチャッという爪の音を立てながら帰って来て、ノニとイリセを見比べてからソファ横の広いリビングにごろりと寝そべった。
「……さっき、生き霊がどうとか言っていたのは?」
あー、とノニは思い当たって、少し眉をしかめた困った表情になる。
「あまり気分の良い話ではないですが、聞きますか?」
「うん。」
先ほど言葉に出すのは迷っていた様子だったのに、すぐに頷いたイリセにノニは面食らったように眉を上げてから何度か瞬きをした。セジュラが床の上でククッと笑う声がする。
「あなたは……その、見た目もお綺麗ですし肩書きも大きいからでしょうが、わたしとセジュラは顔を合わせた時、あなたの顔が見えないくらいには周りに生き霊がまとわりついていました。」
きゅっと眉を寄せてぞっとしているような嫌悪に近い表情をしてから、イリセは眉を下げた。
「今、は?」
「わたしが眠る部屋には最初に結界を作ります。あなたがあの大量の生き霊と入って来るとヒビが入ってしまうので、強引ではありましたがドア前で散らしました。」
「………芳香剤のスプレーで?」
確かに異様な光景ではあっただろうな、とノニは苦笑いを浮かべる。
「わたし自身はいわゆる『除霊』みたいなことは出来ないんですが………ああいうのは種類によっては魔除けや退魔に使うお香なんかと同じ植物や成分が入ってまして、一瞬だけ散らしたり一時的なバリアとしては使えます。お香の結界には煙も必要で、その、用意はあるのですが、ビル自体が火気厳禁という感じがしたので代用品として買って来ました。」
そこで何かに納得したようにイリセは安堵の息を吐き出した。そして片手を額に当てて前髪を掻き上げ、もう一度ため息のような長い息を吐く。
「それで……こんなに体が軽くて居心地が良いのか、ここは。」
イリセの言葉にノニは納得する。顔が見えないほどの生き霊をまとわりつかせている人間は、それをプラスエネルギーに変えることが出来るような人間はともかく、体調が低迷したり、悪い方の道へ引きずられることがある。人気ゆえのものと、嫉妬を買うがゆえのものという種別はあるものの、イリセには恐らくそのどちらも憑いていたであろう。
「その結界というのは、僕の寝室や執務室には作れないだろうか? 調査と別料金ならきちんと支払う。」
当然の疑問と質問にノニは即座に首を振った。
「作るのは簡単ですが、ああいうものは一般の方が考える以上にメンテナンスが必要なんです。神域のものは基本的に日々管理されていますし、小さな社や祠は何者も出入りしないから維持されている部分もあるので……」
そこで一旦言葉を切ってノニは顎に手をやった。言い淀むように唇を結んでから少し動かすと眉を寄せて言葉を続ける。
「……その、申し上げにくいのですが、恐らくあなたが出入りするだけですぐヒビが入ります。不完全な結界はあれらが出られなくなることの方が多いので、吹き溜まりになる可能性の方が大きいですね。」
視線を下げて「そうか」と残念そうな表情で呟いたイリセに、ノニは眉を寄せたまま考え込むようにしばらく黙ってから「ううん」と唸った。
「結界を作るのを生業にしている者なら紹介出来ますが、……社内の一部に長期間作れば歪みが出ますし、会社のビル全体に作れば益のあるものもいなくなるので、企業として弊害も出て来ると思います。」
イリセは一瞬だけ顔を上げてノニを見てから、ため息を吐いて眉を寄せて目を閉じた。
「案外難しいんだな………」
セジュラがククッ、ククッ、と小さく笑っている。ノニは苦い顔をしてそちらに目をやるものの、獣は急に立ち上がってひょいっとソファに飛び込むようにイリセの隣にどっかりと座った。
驚いて獣を見るイリセの顔を覗き込み、セジュラはその目をじっと見つめる。
「奥の目まで開いちまったら、もう自分で慣れて対処出来るようになるのが一番手っ取り早いさ。」
「……奥の……目?」
顔に疑問符を浮かべてセジュラから視線を外してノニを見るイリセに対し、セジュラを睨みつけて眉を寄せて威嚇していたノニはふとイリセに視線を戻す。
「『人間の五感が奥にもう一つある』という話を、たまにこういった怪異じみた生き物は言うのです。少し開くと並外れた身体機能や才能を持った人間になり、一つでも全て開き切るとヒトの枠組みを外れる、という。」
質問に答えたノニのその言葉にイリセが震えながら片手を自分の目元にやった。ノニはその仕草を否定するように首を振る。
「聴覚、嗅覚、視覚、触覚、味覚の順に開くと言われていますが、特に視覚は開き切ると異界がそのまま見えるという話なので、常人は三日で気が狂うと言われていますね。…………まあ端的にヒトの枠を外れて異界の住人になってしまうということらしいのですが。」
「まだオメーは自分に憑いてる生き霊も見えないぐらいだから安心しな、お坊ちゃん。」
あからさまにからかうような声音でセジュラがイリセに言った言葉に、ノニは立ち上がってセジュラの首に腕を回してソファから引きずり下ろし、リビングの広いところに投げ捨てた。
「幸い、この社内には悪さをする類いのものはいないのでしょう。そうでなければあっという間に霊障騒ぎが起きます。人が多いですからね。」
ノニはイリセを振り返って言葉を続ける。
「ですので、あなたにちょっかいを出したものが少し異質だとわたしは考えています。あとは、その急に『見える』ようになった目も何らかの原因があるはずなので、その2点を中心に調査をしようと考えていますが……他に気になるところがあれば仰って下さい。」
立ち上がったノニを上目遣いでしばらく見つめていたイリセは、一度、ゆっくりと瞬きをして頷いた。
「きみのことは信頼出来そうだ。ありがとう。………じゃあ、執務室へ行こう。」
多少青い顔をしながら立ち上がったイリセに、ノニはキッチンの一輪挿しから白銀色の棒を1本だけ取り出してイリセに差し出した。不思議そうにそれを見つめるイリセに、ノニは「持って」と短く言う。
「1時間程度しか効果はありませんが、魔除けです。この部屋から出ると、あなたには顔も見えないくらいの生き霊が寄って来るので。」
「あ、ああ……分かった。握っていれば良いかい?」
問いに頷いて、ノニはセジュラに手招きをする。
隣に並んだイリセの身長はノニよりも頭一つ分は高く、眉目秀麗な顔と素直な瞳に改めて「やはりこれは大量の生き霊が憑く」とノニは失礼な感想を抱いた。
「あと、何かあればわたしではなくこの獣を頼りにして下さい。追って来る怪異にもこれにぴったり張り付いて黙っていればやり過ごせます。」
「う………うん……」
通常時の話し方にはしっかりとした社会人としての口調が表れているのだが、時折、酷く幼い子どものような素直な返事をする。否、幼いというと少し語弊があるのかもしれないが、年相応よりは若い反応をするというのが、ノニのイリセに対する印象だった。セジュラは彼を「お坊ちゃん」と揶揄したが、まさしく箱入りで育ったお坊ちゃんそのものだ。
もちろん次期社長として教育されて社会に出ているのだから、世間知らずというのとも違うのだが、このイリセという依頼人は本当に素直に言うことを聞く。ノニのこれまでの仕事の経験から、この年代にしてはあまりいなかったタイプだ。
「ヨロシクな、センム。」
セジュラが楽しそうな声音でそう言ってイリセにすり寄ると、彼はまた不思議そうな顔をしてノニを見た。しばらく考えてからノニは気付く。
「ああそうだ、怪異に名前を教えないで下さい。あれらは人間の普段の言葉は分かりませんが、自分から名を教えたり、あちらの生き物に名を呼ばれるとばれてしまいますから。」
「ククッ、ばれると8割は喰われるからなァ。」
「セジュラのことはあまり気にしないで下さい。これでもあなたを気遣っています。間違って名を呼ぶこともありませんから。」
真剣な顔で頷いたイリセを促すようにして玄関へ向かい、ノニはドアを開けた。ひらりと寄って来た生き霊が出て来たイリセとセジュラを避けるようにふわりと上に飛び散る。
「僕の執務室は261階だから、エレベーターでそのまま行ける。」
セジュラがするすると縮んでより小さくなり、丸いもふもふとした白い小型犬のような姿になるのをノニは首筋を掴んで持ち上げ、イリセに渡した。それも素直に受け取って、イリセはセジュラを抱いたままノニの前を歩く。
エレベーターホールに向かう背後でカチャン、と部屋のドアが施錠される音を聞きながら、部屋から出ればエレベーターを呼んでくれるAIのシステムだろうか、それともタイミングが良かったのか、すぐにやって来たアクリル張りの箱の中へ2人と1匹は乗り込んだ。
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