十月二十七日

 時折、全てを投げ出してしまいたいような、そんな気がする。自分がそれなくしては経済的にも精神的にも生きてはいかれぬようなそんな重要なことを皆、投げ出してしまいたくなる。レストランの労働も、ロッカー工場の労働も、小説の執筆でさえ! そんな生き方ができたなら、私は何をしているのだろうか。全てを捨てた時、私に残るものはなんだろう。それでも尚創作を続けていたのなら、どうやら私の作家根性も本物らしい。一体、今の社会には足りすぎている。本質的に必要でないものばかりが溢れ、それでも尚人々は足らないと喚いている。時代が数百年も遡れば、私は幾らか安楽に暮らせるのかもしれない。

 週に五日の労働。これが酷く、くたびれる。精神が摩耗するのだ。怯えているのだ、私は。

 さて、先日ポストに不在表が入っていた。内容を確認してみると先日注文したCDであった。早速再配達の申請をして、それが今日手元に届いた。真っ白なCD。このアーティストの歩んできた履歴が凝縮されたような一枚である。私はこのアーティスト(故あって名前は出さない)を敬愛している。臆病な私が、このように生きたいと願った通りの足跡を彼は辿っているのだ。その姿が荘厳で、可憐で、美しいのだ。気と私には逆立ちしたって、そんな生き方はできない。きっと、だからこそ憧れるのだ。彼と同じ時代に生まれあわせることができてよかった。私が心配するまでもないことだが、彼には是非、長生きしてほしい。もっとも、彼は食べ物に執着しないらしいから、長生きすることに決まっているのだが。

 さて、私の執筆、ちっとも進まない。書いて書けぬことはないのだ。ただ、その結果を予想すると甚だ退屈なのだ。もちろん、退屈だって構わないのではあるが、それが気になって仕方ない。人に見せる作品であるから、少しは退屈を省きたいというのが人情だ。退屈でありながらも思わず目が文字を追ってしまうような、そんな作品でも書ければよいのだが、生憎私にはそれができそうにない。どうしようね。しかし、そういって考えてばかりもいられない。書かねば進まないのだ。私よ、とにかく書いてみよ。気に入らなければなん度だって書き直せばよい。初めから上手くやろうとするな。じゃ、私はこれから執筆に戻る。また会おう。

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