八月四日
わずか、精神衛生が良い。思い返してみれば昨日と一昨日が特に悪かったのだ。といっておよそ健康的な思考ではない。自分は何の役にも立たぬことに加え、自活の努力ができぬ怠け者だと己が内で罵詈雑言だ。よくもまあ、そんなに悪く言えるものだと感激する。私は創作の上で自分こそ自分の理解者であれと、己の履歴を知る者として己を肯定せよとわめいてきたものの、結局自分でそれを実感を伴った形で理解できていないのだ。
そう、創作。少しそちらに話を逸らすことにしよう。精神にも幾らか良い影響を与えないとも限らない。最近の私はめっきり主軸となる作品を見失っている。書きたいものは幾らもある。しかしそれら全てもやがかかったようで、手を伸ばすとたちまち掻き消えるのだ。叶うことなら何の捻りも外連味も新たな観点とやらもない、純粋で清く、尊い作品を書きたいのだ。最近皆、背負い投げみたいなものばかり、世間は求めている。クソくらえである。創作はあるがままを掘り出す行為なのだ。誰かを驚かせてやろうだとか、何者かになろうだとか、注目されようだとか、皆不敬である。
誰に見せる手記でもないにしたって、こんなことを書いているようでは、いけない。少しは自分の生活を顧みよと警告が聞こえる。止せ、私に構うな。ただ、私は何も無くても書き続けていたいだけなのだ。しかし、そんな姿勢を、世間はきっと許してくれないだろう。いや、私自身が許さないだろう。幾ら私が人間だからといって、神は少し人間らしさを私に与え過ぎてはいないか? 二律背反の情も此処までくると多重人格の域ではないか?
今日一日、私は一体何を為したろう? 終末絵図と題した連作の書かなくても良い部分ばかり書いていた気がする。
生き方が、分からない。在り方が、分からない。答えは既に知っている筈なのだ。書きたいものだけ書き続けて生きてゆくことなど、私にはできないのかもしれぬ。しかし、それ以外の方法で生きながらえたいとも思わない。最小限以上の金が欲しいとは、思わない。名誉が欲しいわけでもない。ただ呼吸するように、くだらないものばかり書いていたい。叶わぬ望みか。嗚呼、今日もまともになる覚悟を決められず、鉄材みたいな朝日が昇った。
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