十、対峙

「あなたね、真鈴のことを匿っていたのは」


 都内某所、郊外にある駅前のレトロな喫茶店。ランプがインテリアの一つとしてあしらわれているような、店内も心なしか薄暗いなかで、俺は一人の女性と対峙していた。壁際の目立たない二人席だったが、その人の持つオーラは今まで見たことのない種類のものだった。


「匿っていたつもりは、毛頭ありませんが」

「星芒の中の人間に口答えをするなんて……常識を知らないのかしら」


 ばちん、と女性の右手の人差し指の先から電撃が走り、俺の額に直撃する。その衝撃で俺は少しのけ反った。ひりひりとけるような感覚が残っていた。

 その女性の名前は、柏菖蒲あやめという。紛れもなく、真鈴さんがいうところの「育ての母」。後ろ姿を見れば、真鈴さんだと勘違いするほどによく似ている。さすがに母娘ということか。だが、年相応にたるんだ顔の皮膚や、ウェーブのかかった後ろ髪、きつい目つきと、あちこちから間違いなく真鈴さん本人ではないと理解させてくれる。この人が、真鈴さんを実験道具にした張本人。しかしこの日この出来事は、俺が探し出した結果ではない。


『彼女を取り戻すための手伝いはできる。一発で効果の出る、強力な策を打てるよ。その代わり、キミには少し今回の騒動に巻き込まれてもらう』


 克矢の伯母さんは、そう俺に言ってきた。今回の騒動というのは、真鈴さんが星芒市から逃げ出してきたことそのものだろう。被験者が一番外側の警備ゾーンを抜け出したとなれば一大事。職員、と呼ぶべきか分からないが、全力で探しに来るだろう。真鈴さんの言う通り、ここまで数か月何もなく、無事に俺と暮らせていたことが奇跡なのだ。


「巻き込まれると、どうなるんですか」

『大丈夫、危険な目には遭わない。……いや、少しひやっとはするかもしれないかな』

「ひやっとするんじゃないですか」

『キミの普段の任務に比べれば、ずいぶん平和だよ。退屈に感じるくらいだろう』


 なんとか真鈴さんにつながる手がかりを自力で見つけられないかとあちこち歩き探していたが、そんな俺のスマホに柏菖蒲本人から連絡がきた。一人で来ることと、場所と日時まで指定され、今に至るというわけだ。柏菖蒲と会うことは克矢の伯母さんには伝えており、何か注意することはあるかと聞くと、十中八九超能力を持っているから、人間として信用はしないように、と念を押された。目の前にいる柏菖蒲という女性は、全面的に信じるにはあまりにも目つきが鋭く、腹の中で何を考えているか分かりかねたので、それが救いといったところか。


「……真鈴さんを、どうするつもりですか」

「そんなこと、今さら聞かなくとも分かるでしょう。あの子はもともと星芒市の人間なの。外に出してはいけない。だから連れ戻す。それだけの話よ」

「真鈴さんは星芒市の環境が嫌だから、逃げ出したんじゃないんですか」

「嫌だとか嫌じゃないとか、そんなことは関係ないの。あの子は生まれた時から実験を受けることが決まっていた。それに、あなたのような無関係の人間にあっさりと『レベル1』の情報を漏らす時点で、外で野放しにしておくなんて言語道断。ただちに連れ戻さなければ、私たちの存在そのものが危ぶまれる」


 真鈴さん以外の人からも、「レベル1」という言葉が出てきた。外に出してはいけない情報があり、その重要度に応じてレベル分けされているという概念は、共通なのだろう。


「あなたは、この世に生まれてきたことまで、自分の娘のせいにするんですか?」

「……は?」

「子どもを産むかどうか、生まれてきた子どもをどう育てるかは、ほとんど全部親の責任だ。それを放棄して、あまつさえ娘に責任を押しつけて自分のやりたいことだけ優先するなんて、母親の風上にも置けないと自分で思わないんですか」

「……親になったこともないくせに、よくそんな口が叩けるわね」

「親になったことのない人間にこの程度のことを指摘される時点で、どうかと思いますが?」

「調子に乗っているようだけど」


 再び、俺に向かって真っすぐ指を差してきた。すぐにでもその指先から電撃を出し、今度こそ俺を気絶させるつもりらしい。腕っ節には自信があるが、電気への耐性は人並みだ。ドアノブの静電気も怖いと感じるほどの一般人でしかない。


「真鈴の命を握っているのは私だということを、よく覚えておいた方がいいわよ。研究はほとんど完成している。資源は一人でも多くあった方がいいけど、すでに多くの貢献をした真鈴なら今さら『捨てて』しまっても差し支えない。あなたの発言一つで、一人の命が消し飛ぶということを」

「その発言が、母親に相応しくないと言ってるんです」


 俺の言葉を受けて、一瞬俺を指差すその手がわずかに動く。俺は即座に手首をつかんだ。同じ轍は踏まない。遅れて彼女の指先から放たれた電撃が自身に命中して、ばちんっと派手な音がするとともに、彼女が椅子ごと後ろに倒れた。静かながら何組か客の入っていた店内がにわかに騒がしくなる。それでようやく俺はしまった、と思った。だが俺の中にも確かにあるらしい正義感が、そこでブレーキを踏むことをためらわせた。


「娘を脅しの道具に使った時点で、母親失格だ。……真鈴さんはどこですか。あなたには預けておけない」

「知ったような口を利くな……!」


 体が頑丈なのか、すぐに彼女が埃を手で払いつつ立ち上がる。人体実験の影響がそんなところにも出ているのかもしれない。もしかすると、彼女の攻撃手段は電撃だけではないのかもしれない。その考えに至った時にはすでに遅く、手が真っすぐと俺の方へ伸びてくる。そんなにすぐに立ち上がってくると予想できなかった俺は反応が遅れた。間に合わない。


 その瞬間だった。


「ただちに投降しろ。柏菖蒲、あなたは誘拐の容疑で連行の許可が下りている」


 店の入口のドアを蹴破り、武装した警官が数人押し入ってきた。全員、背中に茨城県警察と書かれた服を着ていた。先頭にいた男性警官がためらいもなく発砲する。


「……っ! ごほ、ごほ……っ」


 発射されたのは銃弾ではなく薬剤。近い位置にいた俺にも少しかかったが、ヒリヒリするなどの変化はない。彼女だけに特異的に効いて、激しく咳き込み始めた。


「そこの君、その女から離れなさい」


 指示に従うと、先頭の警官が俺にゆっくりとうなずき、それから後ろの部下らしき人たちに向かって合図を出した。警官たちの合間から華奢な体型の女の子が出てくる。


「……っ!」

「玲央、さん……っ!」


 姿を見せたのは、真鈴さんその人だった。

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