第5話 理愛の疑念――浮気だし?

 放課後。


 ――何も起きないまま、一日が終わっちゃった。


 机に突っ伏してスマホを覗き込む。画面には、あの日の私と奏汰。二人の笑顔が並んでいる。


(奏汰が悪いのに……今日なんて謝ってもくれなかった)


 連絡アプリを開いて、ただ同じ画面を見つめる。そこには数日前まで当たり前だった幸せな会話が置き去りにされていた。


「も〜理愛たんったら。ず〜っとスマホ見てるじゃん。やっぱり気になるんでしょ?奏汰くんのこと」


 痺れを切らした綾が、向かいの席から呆れ顔で声をかけてきた。


「気にならない。奏汰のことなんか全然気にならない」


(たった一日喋ってないだけだし……)


「も〜頑固なんだから。……それで、お弁当どうするの?食べないの?」


 そう言って綾が指差したのは私の鞄の中。二つのお弁当。ひとつは私の、もうひとつは――奏汰のぶん。


(朝の私、ほんとバカ……。お昼には仲直りして渡すつもりだったのに……)


 でも結局、意地張って声をかけられなかった。奏汰は颯くんと一緒にコンビニ弁当を食べてて……。


(……もしかして、私が用意してないって思ったのかも。それとも……まさか、私の弁当美味しくなかったとか……?)


 ……違う、よね。

 たとえもし舌に合わなかったのならまた作るし!奏汰が「美味しい」って言ってくれるまで、何度だって頑張れば……。


 ――でも。ほんの一日ですら、心の奥は暗い感情で塗りつぶされていく。


 「そんな顔しないの、理愛たん。こ〜んなに可愛い顔がもったいないよ」


「……綾」


「ねえ、そのお弁当。理愛たんが食べないならうちにちょうだい? 前から気になってたんだ〜」


「……うん」


(やっぱり、綾になら……)


 私は心を決めて、彼女に向き合った。


「……ねえ綾。聞いてくれる?」


「……うん。もちろん!むふふ、恋バナなら任せてよ!」


 綾はそういって唐揚げを一つ頬張ほおばった。美味しそうに食べてくれる綾を見て、私は少しの安心感とともに顔をほころばせた。



 ◇◇◇



 ――――私、最近の奏汰がちょっと嫌だった。いや、「嫌い」じゃないよ?もちろん。


 というのも、付き合ってから奏汰は変わっていった。性格が〜とかじゃなくて見た目。高校に入ってからかなり垢抜けたの。


 奏汰は『私に釣り合うようになりたい』って頑張ってた。私もそんな奏汰を応援してたの。別にそのままでも大好きだったけど、頑張ってる奏汰も好きだったから見守ってた。


 ――――でも後々、その変化は手放しに喜べないものになっていった。

 次第に奏汰に近づく女の子が増えていく。奏汰に『他の子と絶対話さないで!』って言っても、女の子の方が勝手に話しかけるし。どうしても心穏やかではいられなかった。


 そんな焦燥がピークに達したあの日。

 珍しく奏汰が先に帰っててって連絡してきた。

 理由が気になってRANEしてみたけど既読はつかないし、何より会いたかったから探してみることにしたの。


 奏汰は部活に所属してないから、行きそうなところは限られてる。最初に向かったのは奏汰のクラス。扉のガラスからチラッと見たけど居ない。


 (他に考えられる場所といえば、図書室か自習室?職員室もあり得るかも)


 スマホで位置情報を確認してもやっぱり校内にいる。詳しい場所までは見られないけど、まだ帰ってはいないはず。


 迎えに行ったらどんな反応するかな……なんて考えていると、図書室の前まできた。


 ドア窓をのぞいてみる。


 (――――いたっ!)


 背を向けていて、こちらからは顔はうかがえないけど……私にはすぐに分かった。奏汰だ。


 私はサプライズを仕掛けるようにこっそり扉を開け、足音を忍ばせる。


 (それにしても図書室か〜)


 奏汰は特段読書家でもないけれど、時々本を読むこともある。でも本を借りるくらいなら全然待つのに。


 (……というか私より本のほうが大事なの?)


 そう思うとムッとした。とはいえ奏汰も私と帰りたかったはずだし。そう切り替えてからは早かった。


 無音に近い静かな空間。自分の鼓動だけがタイルを伝っていく。


 奏汰は悩みもせず、一直線に歩いていく。

 

 (席は空いているのに、なんで奥まで行くんだろ?)


 その疑問の答えは――奏汰の目線の先、図書室の隅の席を見れば明らかだった。


 (――――え?)

 

 胸が凍りついた。その目に映ったのは――――可愛いおさげの女の子。


 『待ってました。奏汰先輩、ここ教えてほしいですっ』


 たぶん後輩の子。親しげな声で、甘えるように席に手招きしている。話の内容は勉強のことっぽいけど、そのときの私にはどうだってよかった。


 その子はグイッと身を寄せた。なのに、奏汰は抵抗するどころか楽しそうだった。


 『あ〜二次関数か。これは右辺をとりあえず因数分解して――――』


 奏汰の心地よい声。優しい笑顔。

 自分だけのものだと思っていたのに。私のいないところで、それは他の知らない女にも向けられていた。


 (そんな顔……なんで私以外に見せるの……?)


 その事実が、何より耐え難かった。張り裂けるほど胸が痛くて、気付かないうちに涙が溢れていた。


 (嘘、嫌だよ。こんなの現実じゃない……)


 ――――思わず足を止めたの。そのまま引き返した。声をかける気にもなれなくて。



 ◇◇◇


 

「うわ、マジで修羅場じゃん。重いね〜」


「重いとか言わないで!これ、浮気でしょ!!」


「うーん、ギリ? で、奏汰くんは浮気って認めたんだ?」


「ううん。『理由があった』とか言ってはぐらかすの! 余計怪しいでしょ!」


(ほら、絶対黒だし!……ね?)


 綾は名探偵ごっこのポーズをしておどける。でも私は、怒りと不安で胸がいっぱいだった。


「思い返すとムカつく……。私が悩むのなんてバカらしいし」


「でも、ただ勉強してただけって可能性もあるじゃん?」


「それは理由にならないし!」


「はぁ……理愛たんさ、あれから奏汰くんと話した?」


 (うっ……)


 図星。私は話してない。ずっと目で追うだけで、待ってるだけだった。


「だって奏汰から話しかけてくれないから……」


「世話が焼けるなぁ……。じゃあここに呼んじゃお?」


「えっ、奏汰を!? だ、だめだめだめ!!」


 慌てて手を振って拒否する。


「なんでさ?」


「気まずいし!……迷惑かもしれないし……」


「さっきまで浮気浮気って怒ってた人の台詞〜?」


「う……でも、やっぱ許せないし!」


「もー、しょうがない理愛たんなんだから。じゃあせめてメッセージ送ろ?」


「で、でも……未読スルーされたらどうしよう……」


 ほんとは怖かった。今までの喧嘩は、全部奏汰が折れてくれた。

 だから今回、自分から動くのが怖くて仕方なかった。綾に背中を押してもらわないと何もできないくらいに。



 「奏汰くんは既読遅いほう?」


 「ん〜ん。いつも三分以内につけてって口酸っぱく言ってるし」


 「………………。もううちが代わりにRANEしてあげる。なんて送ってほしいか言ってみ」


 なぜかあきれられてる。私なにかおかしな事言った?


 「…………じゃあ、

『奏汰、なんで私に改まって謝らないわけ?それに今日の態度はなに??ちゃんと説明して!!』でお願い」


 「却下」


 「なんでよ!」


 「なんか怖いから」


 その後、いくつか送ってほしい内容を指示してはなぜかダメ出しされ、ちゃんとメッセージを送れたのは数分後になった。


 (これじゃ私が仲直りしたいみたいじゃん……)


 仲直りしたいとかじゃないし。ただ奏汰が他の子と居るのが許せないだけ。


 ……なんて、私の小さなプライドはどこまでも健在だった。

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