第32話:融和的金融戦略

 翌朝、カナリア商会の本部には、新たな事業計画の熱気が渦巻いていた。私が提示した「財閥化」という壮大な目標は、この小さなチームに明確な羅針盤を与えた。役員たちは、それぞれの役割を理解し、自律的に動き始めている。


「——会長、例の件、早速まとめてきたぜ」


 会議の開始時刻きっかりに、マングルが書斎の扉を開けた。その手には、分厚い羊皮紙の束が握られている。


「単刀直入に言う。今のエルドラドは、デカい奴らほど身動きが取れなくなってる」

 マングルは、報告書の一枚をテーブルの中央に広げた。


「東の魔王軍との戦い。あれが思った以上に困窮してるらしい。で、王国は戦費を賄うために、大規模な**戦時国債**を発行した。王家と繋がりの深い貴族や、王立銀行、そして商業ギルドあたりは、付き合いで、あるいは愛国心からか、その国債を大量に買い込んでる。その結果、連中には、一般市場に介入するだけの、短期的に動かせる資金(キャッシュ)が枯渇しつつある。今なら、普段はギルドの独壇場だった市場に、俺たちみたいな新参者が入り込む隙が、いくらでもあるってわけだ」


《好機到来!マーケットのクジラ(ギルド)が身動きできない今こそ、我々のような俊敏なベンチャーが市場を席巻する千載一遇のチャンスです!これは買い一択ですよ、お客様!》

 脳内で《リスク管理》が、興奮した株式トレーダーのように叫んだ。


「ご苦労様、マングル。完璧なレポートよ」

 私は頷くと、白紙の羊皮紙を取り出し、次の戦略を書きつけ始めた。


「カナリア商会は、幸いにして一券たりとも国債を買っていない。我々の金貨20万枚という流動資産は、今この市場において、ギルドの数倍の破壊力を持つ。この圧倒的な資本力を集中運用し、二つの目標を同時に達成するわ」

 私は、書き上げた計画を三人の前に提示した。


「第一目標は、**一般市場における『信用』の獲得**。そして第二目標は、**『融和的な融資』による、中小商人たちの実質的な支配**よ」


《おお!『融和』という名のブランドイメージ戦略で顧客を囲い込み、実質的な敵対的買収に繋げる! 見えざる手どころか、握手で相手の首を絞める悪魔的発想です!最高です!!》

 脳内で《リスク管理》が、私の計画の非人道的なまでの合理性に、歓喜の声を上げる。


「具体的にはこうよ。

 

 資金繰りに苦しんでいる中小の商会や工房に対し、我々がギルドよりも遥かに低い金利で、積極的に資金を融資する。表向きは、市場の活性化を支援する、慈善事業にも似た行為と銘打ってね。これで、我々は『慈悲深く、頼りになる新興商会』という評判、すなわち『信用』を獲得する。


 ただし、契約には一つの条件を付ける。『返済が滞った場合は、その商会の経営権の一部を、カナリア商会が取得する』という条項をね。市場が不安定な今、返済が滞る商会は必ず出てくる。その時、我々は彼らの経営権を、合法的に、そして感謝されながら、一つ、また一つと手に入れていくの」


 それは、善意の仮面を被った、静かなる乗っ取り計画。かつて村を支配した手法の、より高度で、洗練された応用だった」



 マングルの報告書全てにサインを終えた頃、経営会議は第二の議題に移っていた。CTOであるカレンフォンによる、最初の事業提案だ。彼女は、魔法で空中に荘園の地図を投影させながら、澱みない口調でプレゼンテーションを始めた。


「——以上が、私の提案する『ゴーレムによる農作業の完全自動化計画』の概要です。初期投資として、ゴーレムの素体となる魔力粘土の購入、および制御核となる魔石の注文費用として、金貨5000枚の予算を申請いたします。この計画が成功すれば、我が商会の荘園における労働コストは現状の10分の1以下に削減され、生産性は300%以上向上すると試算しております」


 見事なプレゼン。市場分析、コスト計算、期待収益率、その全てが完璧に算出されている。彼女には一切のプレゼンの指導はしていないはずなのだが、これが天性の才能というものなのだろうか。少し妬ましくすら感じる。


《天才です、カレンフォンCTO!これはもはや農業ではない、魔法工業の始まりですよ!承認!即時承認を!このプロジェクトの期待リターンは、我が社の株価を天井までぶち上げますよ!》

 《リスク管理》が脳内でスタンディングオベーション(拍手喝采)を送っている。


「……わかったわ。承認します」

 私は、彼女の熱意と、何よりその完璧な計画書に、満足げに頷いた。


「CTO、カレンフォン。あなたに、金貨5000枚の執行権を委譲します。思う存分、あなたの技術を証明して見せなさい」


「はいっ! お任せくださいませ、ナツキ様!」

 カレンフォンは、自らの計画が、自らの価値が、初めて認められた喜びに、花が咲くように微笑んだ。



◇◇



 その日の夕方。目まぐるしい経営会議を終えた私は、気分転換と、私の騎士様へのささやかな報酬として、モンスーンをエルドラドで一番と評判の菓子屋へ連れ出していた。豪奢な店内で、私たちは二人、テーブルに向かい合っている。


 運ばれてきたのは、銀の皿に乗った、宝石のように美しいショートケーキ。雪のように白いクリームの上には、真っ赤な苺が鎮座している。


《これは……美味しそう!あ、す、すいませんっ!!う〜ん。ですが、スキルとしての苦労を労い、配当としてケーキを一口………あ、冗談ですよ!私『質量アレルギー』ですから!テヘッ!》

 《リスク管理》の下らない雑音を聞き流しつつ、私はモンスーンに目をむける。


 モンスーンは、久しぶりの二人きりの時間に、少し照れくさそうに、しかし嬉しそうにフォークを手に取った。彼が求めているのは、穏やかで、普通の、恋人同士のような時間なのだろう。悪くはないが、実に非効率。


 フォークを手に取り、一口、クリームを口に運んだ。


 濃厚なミルクの風味と、上品な甘さ。


 そして、苺の甘酸っぱさ。その完璧な味覚のハーモニーが、私の脳を直接刺激する。


 ……美味しい。


 好物と言いつつ、前世では2回しか食べられなかったショートケーキ。





——「あ、こんにちは。僕、「金糸雀圭」って言います。よろしくね〜」

 

 あの人は、なんとも場違いだった。

 

 初めてお見合い。写真で見たような『偏差値70顔』とは違って、ニコニコと彼は笑っていた。私は覚悟を決めて着物と髪飾りで装飾されていたのに、彼はなぜかサングラスとアロハシャツを着ていた。


 「あ、ぁ 私は、「金生那那月」で、です……」

 緊張で声が硬い。父と母は机の端で何も言わずに、ただ、こちらを見ている。


 こんなことなら恋愛でもしておけば良かったかもしれない。

 コミュニケーション練習の一環として。 


 「いや〜。なんか和風ですね。ナツキさんの家は。今時こんな広い家なんかそうそうありませんよね。しかも東京23区ですしね〜」

 「ケイさん」はそういうと、首を180度回転させて和室を見渡す。


 「あ、そうです…ね?」

 今まで特に気にしていなかったけど、改めて考えるとこの現代に恋愛結婚を否定するというのはどうなんだろう。この家だってそうだ。江戸時代から続く、伝統の土地。小さい頃に父が話してくれた話によると、金生那家は何世代にもわたって商人として富を築いてきたらしい。


 「あ、そうだ!ナツキさんとご両親のためにお土産を持ってきたんでした! こんな和風な家だと思わなかったから、合わないかもしれませんが、お母様から聞いていたナツキさんの大好物のショートケーキです!!しかも僕の手作りです!」

 

「……え?」

 ショートケーキ? うそ。食べていいの? 私はまだ......


「さ、どうぞどうぞ〜。」

 ケイさんは笑いながら完璧な立方体の箱に入ったショートケーキを取り出した。机は場違いな銀の皿を置かれ、崩れそうなイチゴを抑えられながらショートケーキが私の前にやってきた。


 不恰好で少し潰れているが、とっても美味しそう。


 「わ、私……食べていいんです……か?」

 私は、恐る恐る聞く。もしかしたら、また罠かもしれない。

 それに、ケイさんに強欲だと思われたくない。


 「え? もちろん! もし足りなかったら、ご両親の分も食べていいですよ〜 あ、冗談ね!!僕の分も残しといてね!」




 ——その瞬間、私の思考から、経営も、財閥化も、全てが消え去った。


 私は、無心で、目の前のショートケーキを口にかき込み始めていた。味わうのではない。まるで魂のエネルギー補給のように、最短時間で、最大のカロリーを摂取する。私の動きに、一切の無駄はなかった。


「……え?」


 モンスーンが、一口目を食べ終えた頃には、私の皿は綺麗に空になっていた。

 私は、彼の皿に視線を移す。そこには、まだほとんど手付かずのショートケーキが残っていた。


「モンスーン。あなたのその資産、遊休状態にあるわね。私が有効活用してあげる」

「は? いや、これは俺の……」

 彼の言葉が終わる前に、私のフォークが彼のケーキを正確に捉え、私の口の中へと消えた。


 そこから先は、もはや食事ではなかった。

 私は店員を呼びつけ、ショーケースの中のケーキを、端から順に注文し始めた。


ショートケーキ、

ショートケーキ、

ショートケーキ、

ショートケーキ……。


 テーブルの上には、次々と空の皿が積み上がっていく。


 モンスーンは、完全にドン引きしていた。


 彼は、フォークを握りしめたまま、ただ、呆然と目の前の光景を見つめている。

 彼が思い描いていたであろう、甘いデートの雰囲気は、木っ端微塵に破壊された。目の前にいるのは、恋する少女ではない。己の欲望のままに、凄まじい勢いで糖分を摂取し続ける、未知の味覚人生命体だった。


「……ふう」


 やがて、私が七皿目の皿を空にした時だった。

 私は、満足げに息をつくと、顔の周りについたクリームをナプキンで拭い、何事もなかったかのように、隣で化石のように固まっているモンスーンに、にこりと微笑みかけた。


「さて。糖分補給は完了したわ。次の議題に移りましょうか」

 その笑顔は、彼にとって、どんな魔物よりも恐ろしかったに違いない。

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