第24話:高価値・低質量の資産

 カレンフォンは、しばしの逡巡の後、静かに息を吐いた。そして、まるで長年隠してきた秘密を打ち明けるかのように、ゆっくりと語り始める。


「『賢者の涙』とは、高純度の魔力結晶体、その極致と言われるものですわ。遥か昔、大魔法使いが自らの魂を凝縮させて作り出したと伝えられています」


 彼女の声は、ただの宝石の説明をしているとは思えないほど、厳かで、敬虔な響きを帯びていた。


「その一粒に込められた魔力は、小国の軍隊に匹敵するとか。破壊すれば、周囲一帯を焦土に変えるほどの力が解放されるため、通常は王家の者が持つ国宝級の剣や杖に、切り札として埋め込まれる……そんな代物です」


 国宝級。その言葉の重みに、私はゴクリと喉を鳴らした。金貨数万枚どころの話ではない。これは、国家レベルの戦略物資だ。


「そんなものが、なぜカレン家に……?」


「……我が家の祖先が、建国時に王家より賜ったのだそうです。以来、家の浮沈を見守る、最後のお守りとして……」


 カレンフォンはそう言うと、すっと手を伸ばし、自らの結い上げた髪に挿していた一本の簡素な櫛を抜き取った。それは、夜会の時に見せた華美な装飾品とは違う、使い込まれた銀細工の櫛。だが、その中央には、私にしか認識できないほどの、微かな光を放つ砂粒のようなものが埋め込まれていた。


「ここに」


 彼女は、その櫛を、まるで自分の心臓でも差し出すかのように、そっと私の前に置いた。その手は震え、宝玉の眼が滲んでいる。


「どうぞ、お納めください。ナツキ様……」


 私は言葉を失い、ただ目の前の櫛を見つめる。この、砂粒ほどの宝石が、私の資金難を解決するどころか、世界の軍事バランスさえ揺るがしかねない代物だというのか。


「……待って。これほどまでのものなら、なぜ売らなかったの? これさえあれば、カレン家の財政も……」

 私の当然の疑問に、カレンフォンは寂しそうに、しかしはっきりと首を振った。


「売れませんでした。いいえ、売るという発想そのものが、ございませんでした」

 彼女は、貴族としての矜持(プライド)をその瞳に宿して、私に語りかける。


「私どもにとって、これはただの資産ではございません。カレン家の歴史そのものであり、最後の誇り。これを手放すことは、家の名を捨てることと同じ。……ですが、あなたは違う。あなたは、我が家の資産ではなく、『カレン家』そのものを買収してくださった。つまり、この家の新たな主は、あなた様なのです。ですから、この誇りの処遇を決める権利もまた、あなた様にございます」


 その価値観は、私には到底理解できない。誇りや見栄のために、現実的な利益を捨てる。非効率の極みだ。だが、その非効率なプライドが、今、私の目の前に、金貨1000枚相当の価値を持つ、究極の投資案件をもたらしていた。


 私は、震える指でその櫛を手に取った。砂粒ほどの宝石が、手のひらの上で、確かな存在感を放っている。


《お客様! お客様! これです! これこそが究極の金融商品です! 価値と質量の比率が天元突破しています! これさえあれば、我が社の資本金は無限に増殖可能です! さあ、すぐにスキルを行使しましょう! 市場を、いえ、世界を買い占めるのです!》

 脳内で《リスク管理》が、もはや狂喜乱舞と言っていいほどの叫び声を上げている。


 その声に促されるまでもなく、私の思考はすでに次のステージへと飛んでいた。

 この『賢者の涙』に《投資信託》のスキルを行使すれば、私の魔力負担は最小限で済む。日利3%で、この宝石が増えていく。明日には金貨30枚分の価値が、ほぼノーリスクで生まれる計算だ。


 荘園への投資資金など、瞬く間に回収できる。


 私は、目の前の美しい元・貴族令嬢を見つめた。彼女が命よりも重んじた「誇り」の価値を、私は今、金貨1000枚と査定した。


 そして、それは明日には1030枚になる。

 私の口元に、冷たい笑みが浮かんだ。


 最高の、取引だった。



◇◇




 『賢者の涙』という究極の資産を手に入れたとはいえ、それはまだ将来の利益。目の前には、火を噴いている不良債権——カレン家の荘園が存在する。私は思考を切り替え、喫緊の課題である農奴の反乱を鎮圧するため、すぐに行動を開始した。


 メンバーは、私、護衛のモンスーン、情報分析兼遊撃担当のマングル、そして、元領主として顔が利く(そして、サイコパス発言をしないか心配な)カレンフォンの四人。私たちは最小限の荷物だけを馬車に積み、反乱の起きている東の荘園へと向かった。


 道中、私はカレンフォンに今回の計画の要点を、何度も、言い含めるように説明した。


「いいですか、カレンフォン。現地に着いても、決して農奴たちを『家畜』などと呼んではいけません。彼らは『交渉相手』であり、将来の『労働力』です。にこやかに、私の後ろで頷いていれば、それで結構ですから」


「……承知、いたしましたわ」

  カレンフォンは不満を隠そうともしない顔で頷く。彼女の貴族としての価値観を一日で変えるのは不可能だ。今はただ、余計なことを言わないよう釘を刺しておくしかない。


 数日後、荘園にたどり着いた私たちの目に飛び込んできたのは、予想以上に酷い惨状だった。 領主の館は窓が割られ、粗末なバリケードが築かれている。手入れのされていない畑は荒れ果て、かつて私の領地で見た光景と同じ、死んだ土の匂いがした。何より違うのは、そこにいる人々の目だ。彼らの瞳には、絶望だけでなく、燃えるような怒りと、明確な敵意が宿っていた。


「領主様がお戻りだぞ!」


  誰かが叫ぶと、農奴たちが鋤や鍬を手に、私たちを取り囲む。その中心から、一人の屈強な男が進み出てきた。彼がこの反乱の首謀者だろう。


「今さら何の用だ、カレンフォン様! あんたの差し向けた役人の横暴には、もううんざりだ! 俺たちはもう、あんたたちの家畜じゃねえ!もう、290%の税率はごめんだ!!!虚無から麦は生えてこないんでね!」


 その言葉を、カレンフォンは冷たい目で見下ろしている。まずい、何か言う前に。 私は一歩前に出ると、はっきりと通る声で宣言した。


「皆さんに、お話があります! 私はカナリア商会のナツキ。この度、カレン家の全権代理人となりました!」


 私は続ける。


「これより、この地の農奴制を完全に撤廃します! 皆さんは今日から自由な小作農です! この土地を耕し、収穫の中から所定の税を納めれば、残りは全てあなたたちのものです!」


 それは、以前の村で、最終的に彼らを心服させたのと同じ提案。


 だが、彼らの反応は、全く違った。 しん、と静まり返った後、誰かが、ぷっと吹き出した。やがて、それは広がり、侮蔑と嘲笑の渦となった。


「はっ、自由だと?」

「また貴族の口車か!」

「そんな嘘に騙されるか!」


 首謀者の男が、唾を吐き捨てるように言った。


「冗談はよせ、ガキが。そんな甘い言葉で俺たちを畑に戻し、前よりもっと酷い税を取り立てるつもりなんだろ。その手は食わねえぞ」


 信頼が、完全に失われている。デフレーションを起こしている。これでは、どんな好条件を提示しても、彼らの心には届かない。


 その、瞬間だった。


 首謀者の「ガキが」という一言が、隣に立つ男の理性を焼き切った。


「……てめえ」


 モンスーンの纏う空気が、一変した。 フレンドリーな少年の気配は消え失せ、代わりに、戦場を生き抜いた剣士の、凍てつくような殺気が溢れ出す。


「今、ナツキを……侮辱したか?」


 彼の右手は、錆びついた剣の柄を握りしめている。約束したのだ。「次に誰かがお前に指一本でも触れようとしたら、そいつが誰であろうと、俺が斬る」と。


《あわわわ! お客様、交渉決裂です! しかもモンスーンさんの暴走で武力衝突の危機!》

《リスク管理》は脳内でひ弱な声を響かせる。


「待て待て、落ち着けって、モンスーン」


 モンスーンが飛び出す寸前、その肩をマングルが掴んでいた。


「会長の計画を台無しにする気か? ここは俺に任せな」

 マングルの冷静な声に、モンスーンは「ぐっ……」と唸りながらも、どうにか踏みとどまる。


 私はその緊迫したやり取りの傍らで、信じられないものを見た。 カレンフォンが、殺気を放つモンスーンを、うっとりとした、キラキラした目で見つめているのだ。その表情は、恐怖ではない。まるで伝説の勇者でも見るかのような、純粋な憧憬と、少しばかりの熱。


  ……この女、本当に危ういかもしれない。


 私の計画は、初手から、内部と外部の両方で崩壊の危機に瀕していた。


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