第6話:神の祝福と資本の投資

 突如として現れた男を前に、私とモンスーンは声も出せずに固まっていた。黒焦げになった巨大な魔物の亡骸と、穏やかな笑みを浮かべる神父。あまりにも現実離れした光景に、思考が追いつかない。


「……あなたは?」


 かろうじて声を絞り出したのはモンスーンだった。彼は折れた腕の痛みに耐えながらも、私を背後にかばうように立ち、警戒を解いていない。その瞳には、目の前の男が魔物以上の不可解な存在であることへの恐れが浮かんでいた。


 男はそんなモンスーンの警戒心すらも包み込むように、柔らかく微笑んだ。


「おっと、これは失礼。私はチャードラル。旅の神父です。この森で祈りを捧げていたところ、邪悪な気配を感じましてね。駆けつけてみれば、二人の子羊がかような恐ろしい獣に襲われているとは。神の導きに感謝せねば」


 チャードラル、と名乗った神父は、その人好きのする笑顔とは裏腹に、鋭い観察眼を持っていた。彼は私とモンスーンの擦り切れた服、栄養失調でこけた頬、そして何よりも警戒心に満ちた瞳を一瞥するだけで、全てを察したようだった。


「……あなた方も、領主の元から? ご心配なく。神は、自由を求める者を罰しはしません」


 彼はモンスーンが逃亡奴隷であることを、そして私が彼に同行している放浪の子供であることを、一瞬で見抜いていた。その上で、彼は一切の詮索もせず、ただ私たちを庇護すべき対象として扱った。その態度には、地主や見張りたちとは全く違う、揺るぎない信念のようなものが感じられた。


「さあ、ここでお話をするのもなんですから、まずは私の住まいへ参りましょう。幸い、ここからそう遠くない場所に、私が仕える教会があります。商業都市エルドラドという、賑やかな街ですよ」


 商業都市。その言葉に、私の耳がピクリと動いた。資本の匂いがする。市場がある。人がいて、物があり、金が動く場所だ。この市場原理の通じない森から一刻も早く脱出し、資本主義の戦場に戻らなければならない。


 だが、モンスーンの警戒心は解けていなかった。


「……なぜ、俺たちを助ける? 見返りを求めるのか?」


 彼の問いは、奴隷として生きてきた者の当然の疑念だった。無償の善意など、この世には存在しない。それが、私たちが学んだ世界の法則だ。


 チャードラルはその問いに、困ったように眉を下げた。


「見返り、ですか。……そうですねえ」

 彼は少し考える素振りを見せると、悪戯っぽく片目をつぶった。


「強いて言うなら、あなたたちが健やかに成長し、いつか誰かに優しくなれる。それを見届けることができれば、私にとってこれ以上ない見返りとなりますが……それでは、答えになりませんか?」


 その答えは、あまりにも誠実で、計算がなかった。だからこそ、モンスーンはますます混乱しているようだった。


(まずいな。このままでは、せっかくの機会を逃す)


 私は冷静に状況を分析する。チャードラルは信頼できる可能性が高い。少なくとも、彼についていけば商業都市エルドラドまで安全にたどり着けることは確実だ。これは、現時点で取りうる最大効率の選択肢。モンスーンの感情的な躊躇は、この取引におけるリスク要因でしかない。


 私はモンスーンの袖をそっと引き、彼にしか聞こえない声で囁いた。


「……彼についていこう」

「でも、ナツキ……」

「考えてみて。彼はたった一人で、あの魔物を一撃で倒した。もし彼に悪意があるなら、今ここで私たちをどうにでもできる。それをしないのは、少なくとも現時点では、私たちに敵意がない証拠。それに、あなたのその腕……早く治療しないとまずいでしょう」


 私は彼の折れた腕に視線を落とす。私の言葉は、善意や信頼ではなく、純粋な損得勘定と状況分析に基づいていた。怪我の治療という緊急の必要性と、相手の圧倒的な力関係を提示することで、感情的な反発を封じ込める。


 モンスーンは私の言葉を聞き、チャードラルと自分の腕を交互に見つめた後、深く息を吐いた。彼の瞳から、疑念の代わりに諦めにも似た色が浮かぶ。


「……わかった」


 こうして、私たちは神父チャードラルの申し出を受け入れ、商業都市エルドラドへと向かうことになった。


《お客様!これは二人の運命がもたらした奇跡です!是非、この機会にモンスーンさんに心配の言葉を投げかけ、恋愛フラグへ更なる投資を!》


 背後で、《リスク管理》が騒いでいたが、私はそれを無視した。 今はただ、この原始的な森から脱出し、再び資本の海へ漕ぎ出すことだけを考えていた。



◇◇



 商業都市エルドラドへの道は、森を抜けた後も、なだらかな丘陵地帯を半日ほど歩く必要があった。太陽が空高く昇り、暖かい光が大地を照らす。奴隷として生きてきた私にとって、見張りも、足枷もなく、ただ自分の意思で道を歩くという行為そのものが、まだどこか現実味を帯びていなかった。


「う、おお……! 痛くない……!」


 私の隣で、モンスーンが自分の腕を不思議そうに曲げ伸ばししながら、感嘆の声を上げていた。森を出る前、チャードラルが彼の折れていた腕にそっと手をかざすと、柔らかな光と共に痛みが引いたのだ。


「あくまで応急処置ですよ」

チャードラルは穏やかに笑う。


「骨を正しい位置に戻し、痛みを和らげただけです。完治させるには、教会で薬草を塗り、しっかりと固定しませんとね」


「それでもすごい! ありがとう、チャードラル!」

純粋な感謝と尊敬の眼差しを向けるモンスーンは、まるで初めて見るおもちゃを与えられた子供のようにはしゃいでいた。


 彼の警戒心は、チャードラルの圧倒的な力と、それを無償で施す善意の前に、すっかり解けてしまったようだった。


「ははは、神の御業に比べれば、私の力など些細なものです。魔法というのは、本来、人々の生活を少しだけ豊かにするためにあるのですよ」


  そう言うと、チャードラルは道端に落ちていたドングリを一つ拾い上げた。


「例えば、こうして……『風よ、友を運べエア・キャリー』」

 彼が優しく息を吹きかけると、ドングリはふわりと宙に浮き、私たちの前をころころと楽しげに転がり始めた。


「わあ!」

  モンスーンが再び歓声を上げる。


「他にも、こうして剣に祈りを捧げれば……『鋼鉄に祝福を(ブレッシング・オブ・スチール)』」

 チャードラルがモンスーンの錆びついた剣に触れると、剣の表面に付着していた汚れや錆が光の粒子となって消え、刃が鈍い輝きを取り戻した。


「切れ味が少しだけ上がります。もっとも、ちゃんと砥石で研ぐのが一番ですがね」


 その光景を、私は複雑な気持ちで眺めていた。 魔法。この世界の理を司る、奇跡の力。そして、私には「壊滅的なまでに才能がない」とリスク管理に断言されたもの。 チャードラルや、おそらくはこの世界の多くの人々にとって、それは日常に寄り添う、ささやかで便利な技術なのだろう。


(……私にも、できるだろうか)


 好奇心と、わずかな対抗心が芽生える。私も道端のドングリを一つ拾い上げ、チャードラルの仕草を真似て、意識を集中させた。 魔法の才能がない私に、風を操ることなどできるはずもない。だが、私には私のやり方がある。


(……刻印を)


 対象はドングリ。目的は「増やす」こと。スキル《投資信託》の応用だ。 ごく微量の魔力が、手のひらのドングリに注がれる。すると、ドングリはチャードラルのように転がることはなく、ただ私の手の中でピクリと震えただけだった。 見た目には、何も変わらない。


 だが、私にはわかっていた。このドングリは、明日になれば1.02個になる。その価値は、2%上昇したのだ。 これが、私の魔法。「どんぐりを1日で2%増幅させる魔法」。あまりにも地味で、誰にも理解されない力。


 次に、モンスーンが嬉しそうに眺めている剣に視線を移す。 《スキル:投資信託》は物質を増やす。ならば、剣に刻印をすれば、剣が増えるのだろうか。 私はモンスーンに気づかれないよう、彼の腰の剣にそっと意識を向けた。


(刻印を。対象、剣。目的、増殖)


その瞬間、私の頭の中に、今まで感じたことのない感覚が流れ込んできた。


《――お客様!? 対象物の構造が複雑すぎます!単純な質量増加は可能ですが、完全な複製には莫大な魔力と、より高度なスキルが必要です!今はまだ成長段階...》 《リスク管理》が何やら警告してきた。


  だが、私の思考は止まらない。


(構わない。やれ)


 すると、ガクンと頭が重くなり、体のバランスが取れない。しばらくしゃがみ込んだ後、恐る恐る目を擦る。すると、モンスーンの剣の鞘から、ぼとり、と何かが地面に落ちた。


 それは、剣の形を失った歪な鉄の塊だった。柄の部分だけが辛うじて剣の名残をとどめているが、刀身はぐにゃりと溶けた飴のように変形し、もはや武器としての機能は完全に失われている。


 どうやら、私のスキルは剣そのものを複製するのではなく、剣を構成する「鉄」という素材の総量を増やし、鞘という型からはみ出させてしまったらしい。


「あれ? なんだこれ?」

 足元に落ちた奇妙な塊に気づいたモンスーンが、首を傾げる。 私は慌てて、無言でその鉄塊を蹴飛ばし、草むらの奥へと隠した。


 どうやら、私に与えられた力は、この世界の「魔法」とは根本的に、その法則からして違うらしい。 チャードラルの魔法が生活を豊かにする「祝福」なのだとすれば、私のスキルは、価値を計算し、資産を増殖させる「投資」そのもの。


 そして、その過程で生まれた歪な鉄塊は、まるで資本主義が生み出す格差や矛盾を体現しているかのようだった。 私は一人、誰にも言えない秘密と、その力の異質さを、改めて噛みしめていた。


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