第20話 おばあの月桃茶と、新しい道
金城のおばあの家は、島の集落の一番端っこに、ぽつんと建っていた。縁側からは、いつもの、月桃茶の甘くて少しだけスパイシーな、いい香りが漂ってくる。
海人はその家の前まで来ると、急に足が動かなくなってしまった。
(なんて言って、相談すればいいんだろう。)
ユイナのことで悩んでるなんて、なんだか、ひどくかっこ悪い。
ためらっていると、家の中から、しわがれた、けれど芯の通った声が聞こえてきた。
「そこにいるのは海人だろ。そんなところで突っ立ってないで、上がっておいで」
まるで、すべてお見通しというようなその声に、海人は観念して、おそるおそる縁側へと上がった。
「……こんばんは、おばあ」
「はい、こんばんは。ちょうど、いいお茶が入ったところさね」
おばあは、いつものように縁側で、静かに夜の海を眺めていた。その横顔は、まるでこの島そのものが、静かに息づいているかのようだった。
彼女は、海人が自分から話し始めるのを急かすことなく、ただ黙って待ってくれていた。
湯気の立つ温かい湯呑みを、海人の前に、ことりと置く。
「……おばあ」
海人は意を決して口を開いた。そして、今日あったこと、“果ての島”での出来事、そして自分のどうしようもない気持ちを、ぽつりぽつりと、正直にすべて打ち明けた。
おばあは、海人の話を、ただ静かに、相槌を打ちながら聞いていた。
そして、海人がすべてを話し終えると、ふうっと湯呑みのお茶を一口すすり、空に浮かぶ満月を見上げながら、こう言った。
「……若いねぇ」
その言葉は、海人を馬鹿にするでもなく、ただひたすらに優しく、そしてどこか懐かしむような響きを持っていた。
「あんたが今話してくれたことはね、昔、わしが別の若い男から聞いた話と、そっくりさね」
「え……?」
「その男もね、あんたみたいに、まっすぐで、不器用で、そしてどうしようもなく、一人の女に惚れていたさね。でも、その女は、この島のものではなかった。わしらには見えないものが見え、わしらには聞こえない声が聞こえる、不思議な女だった」
おばあは遠い目をして、続ける。
「その女こそが、ユイナの、お母さんさね」
海人は息をのんだ。ユイナの母のことは、もちろん知っている。ユタの血を引く、不思議な力を持った、美しい人だったと。
「ユイナのお母さんはね、この島そのものと、話ができた。わしらは、そういう人を『ユタ』と呼ぶさね。そして、ユイナもまた、その力を色濃く受け継いでいる。あの子は、わしらにとって、宝物さね」
おばあはそこで一度言葉を切ると、海人の目をまっすぐに見つめた。
「海人。あんたは、ユイナのことが、本当に好きかい?」
「……ああ。好きだ」
「あの子の隣に、ずっといたいかい?」
「……いたい」
「たとえ、あんたには見えない世界を、あの子が見ていたとしてもかい?」
「……それでも、だ」
海人の迷いのない答えに、おばあは満足そうに、深く頷いた。
「だったら、道は一つしかないさね」
おばあは、いたずらっぽく片方の目をぱちりとつむいで見せた。
「あんたも、ユタになればいいさね」
「……はあ!? 俺が、ユタに!?」
海人は思わず、素っ頓狂な声を上げた。
「無理だよ、そんなの! 俺には、そんな力、ない!」
「おやおや。もう諦めてしまうのかい?」
おばあは、くすくすと笑っている。
「海人。ユタになるのに、特別な力なんて、本当は、いらないのさね。大事なのは、ただ一つ。この島の声を、風の歌を、聞こうとする、素直な心だけさね。ユイナのお母さんも、そう言っていたよ」
おばあは立ち上がると、海人の大きな背中を、その小さな手で、ぽん、と優しく叩いた。
「明日から、海に出てみなさい。でも、魚を獲るんじゃないよ。ただ、船の上で、一日、ぼうっと、海と、空と、風と、お話をしてごらんなさい。最初は、何も聞こえないかもしれない。でもね、あんたが本当にユイナのことを想うなら、いつかきっと、この島の方が、あんたに何かを語りかけてくれるはずさね」
その言葉は、まるで魔法のようだった。
海人の、固く閉ざされていた心の中に、ぽっと、小さなあたたかい灯火がともった。
そうか。俺は、諦める必要なんて、なかったんだ。アラリックと同じになる必要もない。俺は、俺のやり方で、ユイナの世界に近づいていけばいいんだ。
それは、途方もなく長く、そして答えのない道かもしれない。でも、不思議と、絶望的な気持ちにはならなかった。むしろ、これから始まる新しい冒険に、心が少しだけわくわくしている自分に、海人は気づいたのだった。
「……うん。……うん、おばあ。ありがとう」
海人の目から、一筋、熱いものがこぼれ落ちた。それは、悔し涙ではなかった。新しい決意の、あたたかい涙だった。
「わしは、何もしてないさね。全部、あんたが、自分で見つけた道さね」
おばあはそう言って、また縁側で、静かに月桃茶をすすり始めた。
その夜、海人は久しぶりに、自分の家に帰った。
そして、次の日の朝。
彼は誰よりも早く港へ行くと、一人、船を出し、沖へと向かっていった。
網も、釣り竿も、持っていない。ただ、彼の心の中には、金城のおばあの言葉と、そしてユイナの笑顔だけがあった。
海人の、ユタになるための、長くて静かな修行が、今、静かに始まったのだった。
ニライカナイへの思い、エルフとユタ(シャーマン)の血を引き継ぐユイナの祈り @roselle12
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