c8v8c奇妙な短編集

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私としては隠蔽するべきかと

「私は色々と天才ではありませんでした」


 たまき氏は言った。

 1LDKの狭い部屋には台形で足の短い机が一つあって、その上には二十インチほどのモニターが置かれていた。環氏は机の前の床に座っていて、手には一杯のコーヒーがあった。彼の隣には背と幅が一メートルの四角い本棚があり、そこには背表紙に『ひとりかくれんぼ日記』と書かれた文庫本が最下段から最上段までギッシリと詰め込まれていた。


 ひとりかくれんぼ日記。

 黒い背表紙に赤い文字で形作られたそれは、環水月たまきすいげつという新人作家によって書かれた、ひとりかくれんぼをした一人の少女の物語である。第三十六回日本ホラー小説大賞受賞、文庫化後早くも一年で直木賞受賞。斬新でドラマチックな会話劇と、オカルトに逃げずに正面からホラー&サスペンスに向き合う緻密な構成が人々の反響を呼んだ。


 本を一冊だけ本棚から取り出し、側に置いて彼は続けた。

 

「ですから、何発上手いのを描いても全くバズりません。ええ、ホント辛かったです」


 今や無料の投稿プラットホームで誰でもなにかしらのクリエイターになれる時代である。しかし、媒体がインターネットという大海である以上、成功するには基礎的な腕前だけでなく奇跡的な豪運も必要である。時折、爆発的な才能で運がなくとも売れる天才はいるが、環氏は違った。


「上手いには上手いんですよ。自分で言うのもなんですけど、プロと同レベルだったと思います」


 とりあえずたくさんの人に知ってもらいたい。自分の作品と出会ってほしい。出会いさえすれば絶対リピーターになるはず。

 そう思った環氏は一つの作戦を考えた。


「なんでもいいですから有名になればいいんです。あ、犯罪は駄目ですよ。これまで以上に検索されなくなって逆効果ですから。まぁ、バレなければ大丈夫ですけど、バレないということは知名度も変化しないということなので。あと、逆効果ではないんですけど、遠すぎる世界で有名になるのも意味ないかと。ほら、例えばですけど、アフリカで有名になったところでという話です」


 そこで彼は呼吸を整え、コーヒーを一口飲んだ。

 コーヒーの色は妙に薄かった。環氏がコップを机に置くと同時に、ころん、と軽い音が鳴った。コップの底には丸いなにかがあった。


「で、考えたのが小説ですよ。昔から人の考えとか行動は読めるほうでしたし、小説なら絵とわりかし近い世界ですし。なにより、これは半分以上自己満足ですけど、オリキャラ(※オリジナルキャラクターの略。環氏は創作活動歴において数名のオリジナルキャラクターを描いていた)たちを題材にした物語は考えているだけで楽しかったんです」


 文字に起こしていくとさらに想像が膨らんで、ときには夢に彼らが出てくるほど熱中していました、と彼は昔を懐かしんだ。


「ですが、活字にするのは思ったより大変で、結局書き上げたのはたったの三作でした」


 環氏は手指を三つ立てる。


「二つはホラーで、一つはホラーとミステリが混じった変なやつです。はい、変なやつ。売れている作家さんを真似てオカルト事件物を書いてみたんですが、やはり私自身人を殺したことがなくてですね、ええ、いい感じのトリックが思いつかなかったんです。だから、最終的には被害者は呪いで殺されたということにしてしまいまして。上手に着地ができなかったです」


 その小説では、コンビニのバックヤードで人知れず殺されていた女子大生の友人たちが探偵役になり事件を解決していくのだが、終章も目前なところで犯人はその友人の中にいることが明かされる。そこまでは読者の受けも良かったが、結末は呪殺である。それまでに呪い含めオカルトの類いは一度も登場しない。


「ミステリが実はオカルトだった、それともオカルトが実はミステリだった。どっちが面白いとか読みやすいとかではないんでしょうけど、まぁ、世間では後者ですよね」


 魔法のような科学的トリックを扱う犯人が人気なのは事実である。「真相は俺が解く!」と意気込む刑事に対して「実は本当に魔法でした」とオカルトを突きつけるのは、それまで主人公と共に探偵を楽しんできた読者にとって許しがたい禁忌である。


「普通に考えても仕組みが分からない魔法が、読み進めるにつれてだんだんと輪郭がはっきりしてくる。それで最後に『ドンッ!』、という感じですよ。なんだ、魔法じゃなかったのかと」


 その点では『ひとりかくれんぼ日記』はオカルトをミステリに取り入れた傑作に間違いない。

 側に置いてあった本を手に取り、環氏は続ける。


「一応知らない人もいると思いますので、簡単に紹介します。作中では遊び半分で少女がひとりかくれんぼをします。ですが、ぬいぐるみに包丁を刺した途端、なんとそのぬいぐるみが意思を持って喋り出すんです。初めこそは本当に降霊術が成功したと少女は思うんですけど、ええ、当然そんな単純な話ではないです。この本の面白いところは、結構読み進めても全然トリックが分からないところです」


 誰かが腹話術みたいにしているわけでも、ぬいぐるみの中にスピーカーが入っているわけでもない。それらの可能性は作中でしっかりと、少女自身が一つひとつ実験をして潰していく。


「結末を言うと、すべては少女の演技、つまり一人遊びなんです。ですが、それが分かるのは本当に最後の最後です。最後の一文です。それまで読者は少女の演技に騙されるんです。三百ページもかけて、この小説は読者にひとりかくれんぼというオカルトを信じ込ませようとしてくるんです」


 ごくっ。


 本棚から視線を外した環氏はコーヒーを一口飲んだ。ふぅ、と息と吐き、コップを机に置く。薄い黒色をした水面が揺れた。底には丸いなにかがあった。


「大賞を取ったと兄から連絡が来たのは、ちょうど私のフォロワーが百人を超えた頃でした。小説と絵、両方会わせての数ですけれど、百というのはそこそこ多い数です。『百いけば千もいく、千いけば万もいく』と界隈かいわいでは言いましてね、最初の百人までが遠いだけで、そこから先は続ければ続けるほど成果になるんです」


 ごほっ。


 そこで環氏は咳をした。痰の混じっていない乾性咳嗽かんせいがいそうだった。


「百人いったのは素直に嬉しかったです。ですが、」


 再度、本棚を見る。異様なまでに一色の文庫本で埋め尽くされたそれは、環水月という異色の才を見る者にこれでもかと主張していた。環氏はコーヒーを飲んだ。


 瞬間、瞳孔が開いた。


「幸い両親はいませんし、兄も私も無職で、社会から切り離されていましたからね。まぁ、結果的に兄は私と違って天才だったようですけど、兄弟ですから、根っこは同じで社不しゃふ(※社会不適合者の略)なんですよ。中学の時点ですでに不登校でしたから。ですから、はい、一人くらい消えても問題ないでしょう」


 彼は興奮した様子で続ける。


「兄の携帯や財布等は殺したときに奪いましたから、以降の編集者との連絡はそれでやっていました」


 ごほっ、ごほっ。


「兄が自分と同じように小説を執筆していたことは知らなかったです。お互い疎遠でしたから、そういう話はもう十年はやっていませんでしたよ。ですから、兄から受賞の報告を受けて、本当に驚きました。そして、こう思いました。一気に有名になるチャンスだ、と」


 実行したのは、兄から連絡があったその日、その夜のことだった。

 お祝いもかねて久しぶりにゆっくり話したい、と兄を海崖かいがいへ連れ出し、突き落とした。


「まったくバレませんでしたよ。兄と言っても双子ですから、声も外見もそっくりなんです。というか、たぶん性格や趣味の指向も一緒ですね。二人してなにを言われずとも小説を書いていたくらいですから」


 ごほっごほっ、ごほっ。


 環氏はコーヒーを飲んだ。


「それにペンネームも名字をそのまま使ったものでしたし、編集者からは『環さん』と呼ばれるのですが、私としては本名そのままなので、いちいち気を張らなくて助かりました。今振り返ると、そうですね、呼び慣れていない名前だったらどこかで綻びが生じていたかもしれません」


 兄を殺してその立場を奪った後、環氏はなにより先に『ひとりかくれんぼ日記』を買い込んだ。そして、丸一週間をかけて細部まで読み込んだ。

 外見や性格は騙せても執筆の記憶自体は環氏にはない。だが、編集者や記者の質問はそこを突いてくる。そのための読み込みだった。


「さっきも言いましたけど、小説の出来としては流石でしたね。大枠の物語もそうなんですが、一文一文が本当に細かな技巧の集まりなんです。まさに天才です。凡人の私はページを捲る度に発見の連続でした。ぬいぐるみが初めて喋ったところなどは、簡単に『喋った』と書かずに、『空耳と同時にほこりが舞った。見ると、ぬいぐるみの口が動いていた』ですよ。なにを食べたらその一文が書けるんでしょうね」


 ごほっごほっ。


 編集者に訊かれる内容は主に創作当時の思考だった。なにを訊かれても答えられるように、環氏はただ読み込むだけでなく、兄の当時の思考を推測しながら読破していった。


「ちなみに、兄の演技はなぜか文才に効果がありまして、ええ、そうなんですよ、その間は特に執筆活動等していなかったんですが、今から半年前くらいですかね、編集者に求められたので久しぶりに小説を書いてみたら、もう驚きですよ」


 ごほっ、ごほっ。

 環氏はコーヒーを飲んだ。飲み干した。底にあったヒ素のタブレットがついに顔を出した。


「文章が上手くなっていたんです」


 ごほっごほっごほっ。


「上手い人の文章を学んだ、というのとは違うと思うんです。それ以前も既存の売れている小説は勉強用に何冊も読んでいましたが、自覚するほど急成長したのは兄の文章に触れてからなんです。なんでしょうね。これも双子由来の魔法かなにかでしょうか」


 ごほっ。


 咳。次いでコップを振る。カラカラとタブレットが音を鳴らす。瞬間、


 ごぽっ、ぼぉ。


 環氏は嘔吐した。


「いや、そんなことはどうでもいいですね。とまぁ、ここまで話してきましたが、結論としましては、私が兄を殺した日から今日までの三年間、世間は環水月が私だと思って疑わなかったわけです。本人がとっくに死んでいるのに、世界の誰もそのことに気がつかなかったんです。大事件ですよ。他人の作品やペンネームを騙って商売をしてもバレなかったということですから。この事件をきっかけに増えていくんじゃないでしょうか、私と同じような人間が。まぁ、もうすでにいるのかもしれませんけど」


 ガタッ。


 床に崩れ落ちる。唇では絶えず胃液が泡を作り、末梢は冷たく湿る。全身の肌は紫を通り越して青に染まり、瞼はかろうじて二ミリほど持ち上がるのみ。だがそれも、ピクッと一度痙攣を起こしてしまえば。

 

 その瞬間、環氏は死んだ。急性ヒ素中毒による中枢機能麻痺だった。


 一方、モニターの中の環氏は生き続ける。この映像は一種の遺言であり、犯人からの証言であり、環水月という新人作家の内面だった。

 彼は引き続き一冊の『ひとりかくれんぼ日記』を手に持って話す。


「私が自殺しようとしたのも大半はそれです。私のような凡才の身でも、有名になりさえすれば、かの超新星、環水月として誰からも猜疑さいぎされることなく作家であることを続けられたんです。話は小説の世界だけではないです。絵も同様でした。環水月のXで絵を描いていることを告白した途端、僅か一日でフォロワーが千人を突破しました。ほんと笑えますよね。小説とは違って、私の画力は少しも変わっていないんですよ」


 その本の表紙にはありきたりな赤髪の少女の絵が描かれており、少女の隣には同じく赤い字で『著・絵:環水月』と小さくあった。


「要はクリエイターの世界って知名度が大きいんだなって。まぁ、元々そうだと考えて兄を殺したわけですけど。そうですね、再確認したんです。すると、ええ、自分でも驚くくらいに創作の熱が消え去りまして。これからはどんなに下手な絵画や物語を生み出しても売れるわけじゃないですか。そう考えると、なんでしょうね、悲しくなったんですかね。ですから、ええ、もう生きる意味がないのかなと」


 苦笑のような、それでいて爽やかにも見える笑みを浮かべる環氏。


「少し支離滅裂だったような気もしますが、以上が環水月の実際でした。公表するのか、それとも隠蔽いんぺいするのかはご自由に。まぁ、私としては隠蔽するべきかと。これは大事件ですから、一部の人間にとっては成功例ですからね」


 最後に、彼は無造作むぞうさに『ひとりかくれんぼ日記』を本棚に戻した。録画はそこで終わっていた。



 後日、連絡がつかなくなったと心配に思った編集者が環氏の自宅に訪問する。そこで編集者はフローリングに横たわるかたちで亡くなっていた環氏を発見。警察に通報した。

 警察はただちに現場を保存。死体は環氏のものであること、みられる死後硬直の程度と体内の電解質バランスの特徴から死後約五日であること、及び直接の死因が急性のヒ素中毒であることを同定した。鑑識によると、ヒ素のタブレットは殺鼠剤さっそざい由来であり、環氏の購入履歴を探ると、彼が怪しまれないように八ヶ月もかけて徐々にヒ素を収集していたことが分かった。そのため、現場の状況も考慮し、当件は計画的自殺であると判断された。


 そして、例の映像も見つかる。モニターは長時間の稼働により故障していたが、動画が保存されているSDカードは鑑識の手によって丁寧に扱われた。

 動画を見た彼らは、まず環氏が自殺である可能性が高まったことを嬉しく思い、次に、市町村へ問い合わせると、確かに本当の環水月氏の死亡が戸籍に反映されていないことが分かった。

 故に、新人作家の入れ替わり事件の調査は現時点の彼らにとっては二の次で、目前の課題は環水月氏の生死状況調査なのであった。









 

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