ブランチには向かない
「こちらクランベリーソースを使ったサラダ・ニソワーズでございます」
黒いフェイスベールを纏ったウェイターが運んできたのは木製食器に盛られたサラダだった。トマトやサニーレタスなど生野菜が多く、クランベリーの真っ赤なソースが野菜を彩っていた。白い体毛に真紅のワンピースを身にまとった羊が蹄のない指でナイフとフォークを掴む。
「あら、そんなに熱い視線を向けられては恥ずかしいわ」
羊が眼を細める。そこからのぞく横長の黒い瞳孔に男はゾッとした。視線を向けていた男は青白い顔を見せないよう、すぐに目を逸らした。男はテーブルに置かれた銀色のスプーンに映る自分をじっと見た。薄いオレンジ色……いわゆる肌色をした生き物がいた。男は指や足をみて自分が人間であることを再確認し、再び顔を上げる。しかし、そこにいるのは羊のような二足歩行の生き物と、灰褐色の体毛をした狼のような二足歩行の生き物が座っている。
「あらあら随分とシャイな方なのですね。それとも、こちらのサラダを食べてみます?」
羊がウェイターを呼び止めようとした時、狼と男がそれを制止する。
「すまない、僕はクランベリーが苦手でね。それに、もうすぐ僕の料理も運ばれてくるはずだから気にしないでくれ」
狼はわずかに微笑む。口元からのぞく白い牙は肉を裂くには十分な鋭さであった。男は恐怖から持っていた紙を握る。握った紙は手汗でわずかに湿り気を帯びていた。
「そういえば、君たち二人もブランチ料理の試食会に呼ばれたんだよね? なんで参加しようと思ったんだ?」
「うーん、理由までは聞いていなかったわ。ただ、毛艶も良くなるベリーを使った料理があるって言われて来たの」
「そうなのか? 僕は旬の鮭を使った料理や冷製ローストがあると言われて来たんだ」
羊と狼が楽しげに会話を続け、それまで無言を貫き通していた男にも会話がふられる。
「ねぇ、あなたもなんで参加───────」
羊が話そうとした時、間に入ってきたのは先程のウェイターだった。
「こちらサーモンの白ワイン蒸し、レモンバターソース添えて、でございます」
狼の前に置かれたのは白い食器にはメインのサーモンと白菜やエンドウが盛られていた。レモンソースの酸味ある香りと、白ワイン独特の香りが3人の鼻腔を刺激する。
「魚肉は好物だ。特にこの時期は格別なんだ。あと残るは君の分だけだね」
「え? あぁ、そうですね」
男は青ざめた表情のまま答え、再び俯いてしまう。羊と狼は首を傾げながらも食事を再開し、料理の感想や食の好みなど交流していた。男はその間、隅に追いやられたネズミのように震えて黙っていた。
クラシック曲や食器の音、2人の会話が聞こえないほど男は困惑していた。男は震える手で握りしめていた紙をゆっくりと広げる。そこに書かれていたのは"食材と対話ができる試食会"と書かれていた。
「食材って、まさか……」
その瞬間、二人のウェイターが羊と狼の横に立つ。店長が二人の話を聞きたいなどという理由で暴れる様子もなく
しばらくして、厨房から肉の焼ける香りとワインの匂いがほのかに漂い始めた。男は浅い呼吸を繰り返し、何度か汗を拭う。意を決したように近くにいた店員に尋ねる。
「あの、さっきの二人って……」
黒いフェイスベールを脱いだ店員は接客に向いた、当たり障りのない笑みを向ける。ただ笑みを向けるだけで答えは返ってこない。まるでこの沈黙が答えだと言うように、ただ笑みを浮かべていた。
───────……
「おまたせしました。こちら自家製羊肉の塩レモン煮込みでございます。そして、
テーブルに置かれたのは先程話していたであろう二匹の一部であった。恐怖と空腹の狭間で男は震えながらもナイフとフォークを握る。時刻はもう既に正午は超えていた。男は空腹には抗えず、息を漏らしながらも1口に切り分けた肉の一部を口に運ぶ。
「食材との対話は楽しめたでしょうか。あれらは品種改良を続け、知恵を付けた特殊個体です。知恵は素晴らしい、知恵と刺激を与えることでその肉はより柔らかく、そして、甘く引き締まるのです」
店長らしき人が嬉々として語る中、男はゆっくりと、黙々と食べ進めていた。 ある程度の咀嚼が終わった後、男は口を開く。
「これ、モーニングでもブランチでもなくディナーなんじゃ……」
「そうですね、想定よりも時間がかかってしまいました。このサービスなディナー用にしましょう。では、モーニング用はどうしましょうか……あなたは朝ごはんなら何を食べます?やはりパンですか?」
店長は平然とした顔で男に尋ねる。男は一呼吸おいてから答えた。
「朝は……コーンフレーク派なんです」
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