ふたりだけの同窓会
飲み会は、深夜まで続いた。思い出話に花が咲き、アルコールも手伝って、僕と琴葉の間のぎこちなさも少しずつ解けていった。
そして解散間際、幹事の田中がとんでもないことを言い出した。
「明日さ、どうせみんな暇だろ?せっかく聡太もいるんだし、どっか行かね?中学の頃よく行ったとことかさ!」
その無茶な提案に、何人かが「いいね!」「行こうぜ!」と乗り気になった。そして話はとんとん拍子に進んだ。翌日、有志数人で思い出の場所を巡ることになったのだ。もちろん、そのメンバーには琴葉も含まれていた。
翌日。しかし、集合時間になっても駅前の広場に集まったのは僕と琴葉の二人だけだった。
『ごめん!急にばあちゃんち行くことになった!』
『昨日の酒が抜けなくて死んでる……二人で楽しんでこいよ!』
グループLINEに、次々と分かりやすい嘘の欠席連絡が入る。それは、あまりにも見え透いた友人たちの気遣いだった。
「……どうする?」
僕が尋ねると、琴葉は少し困ったように、でもどこか面白そうに笑った。
「せっかくだし、どこか行く?二人でも」
その言葉に、僕は頷くことしかできなかった。罪悪感がなかったわけではない。彼女には、付き合っている彼氏がいるのだ。でも、それ以上にもう一度彼女と二人きりで話したいという気持ちが勝ってしまった。
僕たちは、あてもなく地下鉄に乗り込んだ。向かった先は、隅田川のほとりだった。どちらからともなく、自然と足が向いていた。川沿いの遊歩道を、僕たちはゆっくりと歩く。夏の強い日差しが、川面に反射してキラキラと輝いていた。八年前と同じ場所なのに、隣を歩く彼女は、もう僕の知らない人になってしまったような気がして、少し寂しかった。
「懐かしいね」
琴葉が、ぽつりと呟いた。
「あの花火大会の日、覚えてる?」
「……覚えてるよ。忘れるわけないだろ。俺の人生で、一番幸せな日だったから」
僕の言葉に、彼女は少し驚いたように僕の顔を見た。そして、少しだけ俯いて、小さな声で言った。
「……私もだよ」
その一言で、僕たちの間の壁がすっと溶けてなくなったような気がした。思い出話をするうちに、少しずつ昔のような自然な空気が戻ってきた。僕たちは、近くの川沿いのカフェに入り七年間という空白の時間を埋めるように、たくさんのことを話した。
僕が大阪でどう過ごしていたか。写真部に入り、カメラに夢中になったこと。関西弁に苦労したこと。彼女が東京でどんな高校生活を送っていたか。新しい友人との出会い、大変だった大学受験の話。そして、彼女の今の彼氏の話も聞いた。同じ大学のサークルの先輩で、とても優しくて頼りになる人なのだという。その話をする時の彼女の横顔は、穏やかで、幸せそうに見えた。
「音無さんは、幸せなんだな」
思わず、そんな言葉が漏れた。彼女は、きょとんとした顔で僕を見た。
「どうして、そんなこと聞くの?」
「いや……よかったなって。本当に、そう思うよ」
僕は、慌てて言葉を濁した。心の奥で、ちくりと何かが痛むのを感じながら。
カフェを出て、僕たちは再び川沿いを歩いた。夕暮れが近づき、空が燃えるようなオレンジ色に染まり始めている。五年前、僕たちが別れ話をした日の空と同じ色だった。
「私ね」
琴葉が、不意に立ち止まって言った。
「木崎くんが転校するって聞いた時、ほんとはね、遠距離でもいいから付き合っていたいって、言いたかったんだ」
その言葉は、僕にとってあまりにも予想外だった。
「でも、言えなかった。聡太くんの負担になりたくなかったから。私のせいで、新しい生活の邪魔をしたくなかったから。だから……『決めて』って言ったの。ずるいよね、私。一番辛い役目を、聡太くんに押し付けた」
彼女の瞳が、夕陽に照らされて潤んでいるように見えた。
「俺の方こそ、ごめん。あの時、俺は逃げたんだと思う。遠距離恋愛を続ける自信がなくて、お互いのためだなんて綺麗事を言って、別れることから逃げた。琴葉の気持ちを、ちゃんと聞こうともしないで」
僕たちは、八年の時を経て初めて本当の気持ちを打ち明け合っていた。あの時言えなかった言葉が、今、堰を切ったように溢れ出してくる。
「高校で、彼氏ができたって聞いた時、正直、すごく悔しかった。でも、それ以上に、琴葉が幸せならそれでいいって、本気で思ったんだ。俺には、もう琴葉を幸せにできないから」
「……私も、木崎くんが大阪で元気にやってるって友人から聞いて、安心した。でも、どこかで、私のことなんてすっかり忘れてるんだろうなって、寂しかった。鞄につけてたキーホルダー、すぐに外しちゃったんじゃないかなって」
「外してないよ」と僕は言えなかった。実際に、彼女に彼氏ができたと知った日に外してしまったからだ。でも、捨てられずに、今も机の引き出しの奥に大切にしまってある。
僕たちは、お互いに同じだったのだ。離れていても、心のどこかで、ずっと相手を想い続けていた。八年間という時間は、僕たちの関係を終わらせたのではなく、ただ、凍結させていただけなのかもしれない。
沈黙が流れる。川面を渡る風が、僕たちの間を通り過ぎていく。
「……そろそろ、帰ろっか」
どちらからともなく、そう言った。駅までの帰り道、僕たちはもうほとんど何も話さなかった。でも、気まずさはなかった。むしろ、心は凪のように穏やかだった。八年間、ずっと心の奥底に引っかかっていた棘のような何かが、すっと溶けていくような感覚だった。
改札の前で、僕たちは向き合った。
「今日は、ありがとう。すごく楽しかった」
琴葉が、微笑んで言った。その笑顔は、昨日の飲み会で見た時よりも、ずっと自然で僕の知っている中学時代の彼女の笑顔に近かった。
「……俺も。誘ってくれて、ありがとう」
「じゃあ、またね」
彼女はそう言って、ひらりと手を振りICカードをタッチして改札の中へと消えていった。僕は、その背中が見えなくなるまでずっとその場に立ち尽くしていた。
「またね」、か。
その言葉が、僕の心に温かい灯りをともした。彼女には彼氏がいる。僕たちの関係が、今すぐどうこうなるわけではない。それは痛いほど分かっている。でも、それでよかった。
僕たちの物語は、八年前の夏に、一度確かに終わった。けれど、空白だった季節は、今日のこの一日で、確かに色を取り戻した。
大阪に帰る新幹線の車窓を眺めながら、僕はスマートフォンの待ち受け画面を、今日カメラで撮った隅田川の夕景の写真に変えた。
僕たちの物語は、終わったわけじゃなかったのかもしれない。ただ、長い長い第二章が、今日、静かに始まっただけなのかもしれない。
そんな予感が、僕の胸を静かに満たしていた。ポケットの中で、スマートフォンが短く震える。画面には、琴葉からのLINEの通知が表示されていた。
『今日の写真、良かったら送ってくれる?』
僕は、そのメッセージに小さく微笑みながら、ゆっくりと返信を打ち始めた。
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