聴きやすい声とほめられた、だから私はラジオパーソナリティになった

戸部アンソン

声が変わってしまった

聴きやすい声とほめられた、だから私はラジオパーソナリティになった

渡辺りんごさん(初回取材時26歳)


地元FM局のパーソナリティは、地域に密着した情報を提供する。


新しい施設の紹介やお祭りやイベント、コンサート紹介とトーク。


渡辺さんの声は“親しみやすく聞きやすい”安定のリスナー数を得ていた。


「週1回60分間のトークでリスナーさんへ情報を届けることは、

自分にピッタリの仕事でした」


ゲストを招いた生放送でもよどみなく会話が続く、

聞いていると明るい気持ちになる、何度か聞いているうちに、もともと知り合いであったかのような、共感を感じさせる。


3人兄弟の末っ子というキャラクターが影響しているのか、リスナーとの距離が近く感じる、取材依頼を受けてから何度も聞いていたが本当に聞きやすい放送だった。

番組宛てのメッセージや手紙の量も多そうだった。


自分の声が伝わる実感

コロナが流行ったころ、前にもまして渡辺さんのファンが増え、毎週楽しみに聞いてくれている人がいることを感じながら、放送作家さんから届く台本に目を通しながら、発声練習をする日々だったと。


ある日、風邪をこじらせてしまって喉の調子に異変を感じた。


少し声が枯れてしまったことを詫びながら、放送に臨んだ。それが最後の生放送になってしまう。


「はちみつ飴で治るレベルだと思ってたんですよ。

まさか、元の声が出せなくなるなんて」


声帯ポリープと診断された、悪性ではなかったが、手術で摘出することをすすめられた。

医師から「もとのような音質には完全に戻らない可能性があります、

すこし滑舌にも影響するかもしれない」と告げられた。


放送局を辞めたのは、その4か月後。


リスナーさんからは、調子が良くなってきていると慰められるけれど、自分の中ではもう無理だと感じていた、マイクに向かう自信がなくなっていた。


「今の声が好きになれないというか、

ちょっと違うと思いながらマイクの前に座るのが苦痛になってしまって」


自宅に引きこもることしかできなくなっていました。

周囲の音に、過剰に反応する自分が辛かったですね。

家族が見ているテレビの音だとか、商店街の何気ない店内放送とか、銀行のデジタルサイネージの音声とかにまで、自分なら・・とか考えてしまって、帰宅する頃にはくたくたになっていました。


ほとんど自宅から出ない、実家に残っている子供は私だけなので両親ともに心配してくれて、腫物に触るように気をつかってくれた。


時々、深夜にコンビニで新作スイーツを買いだめて、こもる。


そんな暮らしを数か月・・。



ある日、地域のお知らせの端に「視覚障害者福祉施設」からの録画図書の音訳ボランティア募集の文字を見つけた。


“録音図書”とは何だろうと思いネット検索してみた。


目が見えない方の代わりに本を読んで声で伝える・・か。


「文字を声にして届ける——それならできるかも」

今の私の声は、かつてのように明るくないし、音域が狭くなっている、健やかに伸びないから今の声が嫌いだった。


でもボランティアを採用する担当の方から

「すてきな声ですね、さすがプロだわ、ひきこまれますよ。」と


私は、「もうプロではない!声の質が変わったのですよ!」と言っても、キョトン?!とされていました。


私だけが、パーソナリティを長くやっていたことにこだわてっている。

そんなことは、ほとんどの人は知らない。


人の過去なんか重要ではない。


今、その声で良いのに。


こうして、視覚障害者のための録音ボランティアを始めた。

地区の広報誌、新聞記事、雑誌のコラム、話題の小説などを読み、CDやデジタル音声として提供する。


図書館におさめられ貸出される。


視覚障害者のために使用するので著作権法にも抵触しない。


図書館に小さな防音室があってマイクもあったが編集の人はいない。リスナーの反応もわからない。


それでも正確に言葉を音に変えていく作業に没頭した。

慣れてくると長編小説を任されるようになった。

自分の言葉を伝える必要はない、忠実に書いてあることを読み伝える。

自分の感情を伝える必要はない。


「気分に任せて、トークをするのとは全然違う」



どうやれば相手に正確に伝わるのかを考えた、滑舌を良くするには背筋を伸ばした方が良いと気がつき矯正ベルトでブレを減らしてみた。


コロナ騒ぎも終わり、街に人が増えていた。

ボランティアは無報酬だが、家では、相変わらず両親が帰りを待ってくれている。


ある時、糖尿病で失明した方からハガキが届いた。

pcで入力してハガキを送ってくださったのだと、ボランティアの方から説明があった。

「最後まで丁寧に読んでくれてありがとう、読みたかった本が読めなくなってあきらめていましたが、これから音声図書が増えるのを楽しみにしています。


あなたの声に癒されます。

これからも、たくさん読んでくださいね。でもご無理なさらずに🌸」と記されていた。


いままで我慢していた感情があふれて声を出して泣いてしまった。


ボランティアの担当の方もそっと見守ってくれた。


私は、声を失ったわけではかった。


それに引き換え、視力を失ってしまわれた方の体験は、どんな失意をもたらしただろうと、ハガキを出してくれた方へ、私はどうこたえたら良いだろうかと想像しながら、涙が止まらなくなった。



「ラジオは、大きな声で呼びかけるような勢いが必要だと思っていた。


今は、耳を澄まして聞いてくださっている方に伝えている」



そんなある日、ボランティア仲間のひとり、田所さん(62歳男性)がふと渡辺さんに言った。


「あなたの声って、聞いてると落ち着いてくるんだよ。なんだろう、心が“整理されて”届く感じがするんだよ」


田所さんは元・中学校の国語教師。

定年後、何か人の役に立ちたくてこの活動を始めたという。


「現役時代はずっと“教えるための声”だった。でも今は、ただ“届ける声”になりたくてね」と。


もうひとりの仲間、森岡さん(48歳女性)は、元営業職。

バッチリ化粧を欠かさないタイプ。

パワフルで明るいが、実は職場でのパワハラがきっかけで耳が聞こえなくなった時期がある。


「ボランティアへの参加は、最初は正直“自分のリハビリ”目的。


でも今は、誰かの役に立ってる実感のほうが大きい」


3人は、時々、控室でお茶を飲みながら、小説の感想を話し合ったり、発声練習をしたりしている。


時にはお互いの録音を聴いて「この“間”がいいね」とフィードバックをし合う。


「放送局時代は“同僚とは競争”だったけど、今は“支え合い”の仲間。声って、不思議ですね。


誰かの声を耳をそばだてて聴いているとそれぞれの世界観が透けて入ってくる。


録音ボランティアを始めて、もう8年、自分の“声”がどうだとか、もう関係ない。


「もう、“戻りたい”とは思わないんです。


声が変わっても、私は変わらない」


今は声にこだわらない仕事を見つけた。


ボランティアは続けている。


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