1-2 心臓が破裂しそうだ

 何だったんだろうな、アレ。


 決して小さくない疑問に小首を傾げた。


 契約者にモノホンの剣を手渡そうだなんて、チトやばくないか?


 どうにもこうにも意味不明でスッキリしなかった。しかしまぁいい、物は間違い無くキチンとしっかり返したんだ。後腐れはないだろう。


「取敢えずコレで一段落。後は、今住んでいる部屋を引き払って、荷物運び込んで。ああ、電気や水道の契約も結び直さないといけない・・・・」


 これからやらなきゃならない諸々と独り語ちながら、取敢えず今日の所は部屋に帰って引っ越しの準備をと、リビングに踏み込んだ時である。

 俺はテーブルの上に乗っているモノに気付いて呆気に取られた。目を疑った。


 二度見、いや三度見した。それは先ほどあの不動産屋のおっさんに手渡し押し付けた、あの黒い袋だったからだ。


「え、そんなバカな」


 慌てて袋の紐を解いて中身を取り出して見た。それは見間違いでもなければ錯覚でもなかった。ここにるコレは紛うこと無く、あの緑色のさやの剣だったのである。


 何故ココに在る?


 疑問符が百個ほど頭の中で明滅して困惑した。困惑のあまり、そのまま耳の穴辺りから床にボロボロとこぼれ落ちていった。


 俺は確かにコレをあのおっさんに手渡した。ドアから出て行く時にも手にして居たのを見た。

 間違い無く絶対確実に、コレは持って帰ってもらったのだ。じゃあ、今ココにこうして在るのはどういうコトなのだろう。


 まったく同じ剣がもう一振り在ったのだろうか。しかしソレにしても一瞬前までテーブルの上には何も無かったはずだ。


 しばらく剣を手にしたまま悩んだ。だがいくら悩んでも目の前のコレは何も変わらない。しばらく頭をひねった挙げ句、きっと勘違いだろうと無理矢理納得することにした。

 相手に突っ返そうと気ばかり焦って手渡し損ねてしまったのだ。そうに決まって居る。でなければコレがココに在る筈が無い。


 それともアレか?あのおっさんは実は忍者か何かで、俺が玄関で見送ってドアが閉まった瞬間、壁を伝ってめちゃ素早くベランダに回り込み、リビングにそっと置いて音も無く出て行ったのではないか。


 うん、それなら無理なくこの謎を説明出来る。迷宮入りしそうだった事件もコレで解決だ。

 真実は星の数だけ在るに違いない。


 それにしてもこんな危険物、何時までも部屋に置いておく訳にはいかない。黙って隠し持ってれば、早々バレはしないだろうが気分の問題だ。そもそも何故にこんなモノを押し付けようとしたのか、胡散うさん臭いったらありゃしない。


 ひょっとして、この部屋は借りない方が良かったのでは?

 知らぬ間に何か事件の片棒を担がされたりとかしたら、たまったものではない。でも早過ぎる解約は確か違約金を支払わないといけなかったはず。


 「・・・・」


 少しの間逡巡しゅんじゅんしてスマホを取り出した。時刻はもうとうに正午を回って居る。


 取敢えず昼飯にしよう。剣を返しに行くのは腹ごしらえをした後でも遅くはない。このマンションへ来る途中にランチタイムのある喫茶店があった。あそこなら歩いて五分もかかるまい。

 そう決めると部屋の鍵を開けた。



 七階の廊下を歩き、エレベータのボタンを押した。一階に止まっていたランプがゆっくりと上がってくる。

 だが不意に耳元で「乗るな」と言われた気がした。


「え、誰?」


 驚いて後ろを振り返った。

 だが誰も居ない。

 七階のエレベータドアの前には俺が一人、ポツンと立っているダケだ。

 そしてその時になって初めて、俺は左手にあの黒くて長い、布袋を握り締めている事に気付いたのである。




「な、なんで俺はコレを持って居るんだ」


 テーブルの上に出しっ放しなのも不用心、そう思って玄関脇の扉付き靴入れの中に放り込んでおいたはず。

 ソレもまた俺の気のせいで、無意識の内に持ったまま外に出て来てしまったというコトなんだろうか。


 でも玄関に鍵を掛けたとき、キチンとかかったのかどうか、左手でノブを回して確かめたような気が・・・・


 ぽん、と小さな電子音が聞こえた。


 エレベータが到着し、ドアがスルリと開き始める。

 その瞬間、何かが瞬いたのである。ソレは霊感とも言っていいナニかだった。


 咄嗟とっさに俺は真横に飛び退すさっていた。


 理屈じゃあない。

 そうしなければと、衝動的な何かが俺自身を突き動かしたからだ。


 風を切り、何かが顔の直ぐ横をかすめる。


 どがんっ、とデカい音が廊下に響いた。


 派手な音と共にマンションの壁が揺れた様な気がした。いや、気のせいなんかじゃなかったのかも。パラパラと天井の辺りから埃やコンクリートの粉みたいなのが降ってきているし。


 無様に転がった体勢のまま振り返った。見れば、半開きのドアの隙間から冗談みたいに幅広のデカい刀の刃が突き出していた。

 エレベータドアの真正面に在るコンクリート壁に突き立てられ、その刃先がめり込んでいた。

 横っ飛びに逃げてなければ俺は間違い無く串刺しだったろう。いや、唐竹割りみたいな有様だったかも。


 完全に開いたドアに真っ黒で毛むくじゃらな手が掛けられた。

 そして、ずいとデカいナニかが這い出て来るのだ。


 なんじゃコイツ。


 出て来たソレは、やっぱり全身も手の平と同じく真っ黒で毛むくじゃらだった。

 何処かで見たようなシルエットだったが、素直に信じたくなかった。そして何よりホントにデカかった。頭が廊下の天井をごりごりとこすっている。


 廊下を照らすLED灯の一つが押しつぶされてパリンと割れた。


 おいおい。


 驚くよりも俺は呆れて居た。

 そのデカい図体でよくこの狭いエレベータに乗れたな。そもそもその手に持っているモノは何よ。

 長刀なぎなたというか、俺のつたない記憶によれば、中国の軍記物とかに出て来る青竜刀ってヤツなんじゃないのか。


 その図体もだけれども、そんな長尺もの持ってホントによくエレベータの箱ん中に収まっていたもんだよ。どう見たってムリだろ。かてて加えてソレに何より、そんな物騒な得物持って居るのがあんた、ヒグマっていうのはどうよ?


 見た瞬間は、なんてリアルな着ぐるみなんだと思った。

 でも直ぐに、ゼッタイ違うと俺の中の何かが叫んでいた。その黒々とした剣呑な眼差しに、ときどきチラ見えする舌だの牙だのはあまりに迫真に過ぎて。


 それに、この鼻を突くきっつい獣臭。どう考えたってヒトのものじゃない。


 あまりに非現実的な現実に、廊下で尻餅をついたままの俺は乾いた笑いを漏らす事しか出来なかった。

 そしてあまり長い時間、腰抜かしてへたり込んでいる場合でもなかった。青竜刀を構えたヒグマが俺目がけて突き込んで来たからである。


「ちょっと待てぇ!」


 熊に言葉が通じるかどうかは判らない。まだ俺はこの手のデカい哺乳類に話掛けた事はなかったからだ。

 でもしかし躊躇ちゅうちょするよりも先に身体は動いた。立ち上がる時間すら惜しかったので四つん這いのままジャンプ。間髪置かずにガキンと固い金属音がした。

 そのままゴロゴロ転がってヒグマと距離をとった。


 我ながら見事な回避。自分で自分を褒めてやりたかった。


 直ぐさま起き上がって見て見れば、刃を床に突き立てたポーズのままのヒグマと目が合った。

 なんちゅうか、ギラギラとした剣呑なナニかがほとばしっていた。

 ひょっとしてひょっとしなくてもコレが、映画の中とかで剣だの銃だのを振り回していらっしゃる方々が言う、「殺気」ってヤツなんで御座いましょうかね。


 いやもうコレは殺気どころか完全に殺意。どう見たって「いてもうたるゼ、ワレ」的なアレに違いない。


 直ぐさま立ち上がってその場でクルリと回れ右すると、ダッシュで逃げ出した。自分の部屋に逃げ込みたかったけれど、鍵開けてる隙にゼッタイ串刺しにされる。それは来月の給料全部賭けても良かった。


 取敢とりあえず目指すは西側の端にある非常階段。


 肩越しに振り返ると、ヒグマが青竜刀を構えて猛烈な勢いで追って来ていた。

 二本足で走るんかいっ、やたら器用だな。普通四本足の方が速いんじゃないのか。


 いやそんなコトはどうでもいい。


 ありったけの力を振り絞る、全身全霊を賭けての全力疾走だった。


「誰かっ。警察、警察呼んで!」


 俺は叫んでいた。いやむしろ猟友会のヒトか?いやどっちでもいいけど。助けてくれるのなら誰でもイイから!


 そもそも、なんでマンションの廊下がこんなに長いんだよ。なんで非常口があんな遠くに在るんだ?もう五〇メートルは走っているだろ。


 俺、慌てすぎてその場で足踏みでもしているのか。

 いや、本当に。走っても走っても距離が詰らない。むしろ前に進む毎に、ずいーっと長く伸びて、更に遠くになっていく様な気がして・・・・


 いや、気のせいなんかじゃない。もう非常口のドアはさっきよりもずっと遠い。豆粒ほどの大きさになっている。しかもそれは更に小さくなってゆくのだ。


 そんなバカな! 


 遠くなり続けるマンションの廊下は、バックで走っているような錯覚すらあった。足は確かに床を蹴って、前に進んでいるハズなのに。


 コレは危機的状況において、パニックに陥った挙げ句幻を見ている。周囲を正確に把握しきれていない。そんな小難しい話に為るんで御座いましょうかね?


 御託ごたくは兎も角、心臓が破裂しそうだった。

 喉まで跳ね上がってきそうだった。

 息が上がって自分の呼吸音以外ナニも聞こえなかった。

 頭の中が真っ白になって走る以外のコトが考えられなくなってきた。

 両足がもう悲鳴を上げて引き裂けそうだった。

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