第5話 幽霊

 子供達に礼を言って別れ、私は再び田の間の人影に向かって歩を進めた。農夫も気づいたようで、時折顔をこちらに向けて、近づく私を気にしている。

「どうも」

 挨拶をして名を名乗り、新聞社の取材で来たと言えば、その表情から不審の色が薄らいだ。

「不思議な話ならある」

 子供達にしたものと同じ質問をすると、農夫はそう言って、田の縁に腰を下ろした。私も倣って横に座り、手帳と万年筆を取り出した。

「子供の頃にな、幽霊を見た」

 この人が子供の頃というと、十年ほど前だろうか。

「親戚が死んでな。葬式の手伝いで、その家さ行ったんだ。でも子供だからさほど役にはたたんで、早々に他の親戚の子と遊んでた」

 彼曰く、葬式が済む頃には、もうすっかり暗くなっていたらしい。

 両親に連れられ帰る直前、家の縁側に子供が一人座っていた。緑色の着物に白い帯の、おかっぱ頭の女の子で、つまらなそうな顔で足をぱたぱたと揺らしていたという。

「あれ? と思ってな。さっきまで遊んでいた親戚の子の中に、あんな子いなかったよなあと思って」

 不思議に思った彼は、両親にあの子は誰かと問うた。しかし両親は怪訝な顔をして、どの子だと問い返す。

「あの子だあって言って縁側に向き直ったら、もういなくなっててな。急いで縁側に行って外を見回しても、影も形もないんだ」

 あの一瞬で、姿が見えないほど遠くに行くことなど不可能だ。そのあと、一緒に遊んだ親戚の子に聞いてみたが、誰もそのような子のことは知らなかった。

「変だなと思ったけど、そのときはそれ以上何もできなくて家に帰ったんだ。んで次の日にな、どうしてか夜中に目が覚めたんだ」

 そうしたら、すぐ横に誰かが立っていたんだ。

 彼はまるで、明日の天気の話をするような、何でもない表情と声音で語る。しかし私は、その場面を想像して背筋が少し寒くなった。夜中、ふと目が覚めて、傍らに何者かがいるーーそれはどれほどの恐怖だろう。

「もちろん死ぬほど驚いてな。怖くて怖くて、動くこともできなかった。すぐに目を閉じて眠ったふりをしたけども、わしを見下ろしてたそいつは、確かに葬式の日に縁側で見たあの子だった」

 一瞬しか見えなかったが間違いない。顔こそ見えなかったがあの白い帯が、闇の中に浮かび上がるように鮮明に見えたのだという。

 彼はそれから一睡もできずに朝を迎えた。鳥の鳴き声が聞こえ、頬に太陽の熱を感じてようやく薄く目を開けると、側には誰もいなかった。

「それから一人で寝るのが怖くなって、しばらく親と一緒に寝たよ。でもそれから独り寝に戻っても、枕元に誰かが立ったりはしてねえ」

 あの子がどうして親戚の家にいたのか。どうして彼の前に姿を見せ、枕元に立ったのか。なにもわからない。これから分かることもないだろう。

「これは想像なんだけどよ、多分わしと遊びたかったんだろうと思うよ」

 彼は自分の田を眺めながら言う。

「今思えば寝たふりなんかせずに、遊んでやれば良かったなあ」

 その横顔を見て、彼の目は田ではなく、過去のあの子を見ているのだと察した。


「今からどこ行くんだ」

 心ばかりの謝礼を渡すと、彼はそう聞いてきた。特に決めていないと答えると、近くの山寺を勧められた。

「天狗だの山男だの、山には色々出るからな。和尚ならあんたの知りたい話を聞かせてくれるかも知れない」

「ありがとうございます」

 感謝を伝えると、彼は「また帰りに寄ってくれ」と、謝礼の入った封筒を掲げておどけて言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る