第3話 オシラサマ 昼

 遠野郷は、遠野町を初めとしたいくつかの村の総称だ。私はまず、土淵村に向かった。久しぶりの村は、幼い頃実父の法事で訪れたときとさほど変わっていない。

 やがて井出家に着いた。玄関先で声をかけると、奥から男がやってくる。

「久しぶりだな」

 従兄弟の正吉だ。先に手紙と電報で来意を伝えていたため、正吉は何の疑問も躊躇いもなく私を家に上げてくれた。

 居間に通され茶が出される。茶を運んできたのは下女だ。実父と母が結婚したときは井出家と仁科家の家格は釣り合っていたはずだが、それも今は昔と感じる。今の仁科家には奉公人を雇う余裕はない。

 やがて正吉の父母ーー伯父と伯母がやってきた。二人ともずいぶん老いた印象だ。

「ツネさんは元気か?」

「ええ元気です。伯父さん達もお元気そうで何よりです」

「いや、わしらも歳を取って、もう体も思うように動かんで。お前や正吉の若さがうらやましい」

 伯父は実父の弟だ。他家に婿に行っていたが、実父の死後呼び戻された。元の妻と離縁させられ、伯母と再婚したそうだ。

 当たり障りのない世間話をしつつ、茶で口元を潤す。実父と祖父母の仏前に手を合わせたいと言うと、悪い腰に無理をして立ち上がろうとしたので慌てて制し、正吉に先導を頼んだ。

「今は東京の大学に行ってるんだって?」

 廊下の床板を踏みしめながら、正吉が感心した風に言う。

「ああ」

「すごいな。先は学者か官僚か」

「いや、卒業したら戻ってきて役所勤めか教師でもするさ」

「そらもったいない」

「母と弟に楽をさせてやりたいんだ」

 正吉は眉根を寄せてこちらを見た。

「言葉もすっかり東京人らしいでねか。そのまま東京で働いて仕送りでもしてやった方が、よっぽど楽をさせてやれるんでねか?」

「よしてくれ」

 正吉は幼少期に遊んだ気安さのためか、年上の私に遠慮なくものを言う。基本その気安さを好ましく思っているが、今は少し煩わしかった。

 そうこうしているうちに仏間に着いた。鴨居に頭をぶつけないよう気をつけながら部屋に入り、仏壇の前に座って手を合わせる。私が先祖の霊に挨拶をしている間、正吉は私の後ろでじっと立っていた。

「お前が見たがってたんは、あれのことか」

 私が目を開いたときに、正吉が言った。振り返ると仏壇の上の方を指さしているので、その指の方向に目をやる。

 壁と天井の境目に大きな神棚があった。そこに木像が二つ鎮座している。一つは赤い布、もう一つは紺の布の服を着ていて、男女の像であることがわかる。その布の上部から見える顔の部分は真っ黒になっていて、長い年月を感じさせた。真新しい水が供えられていて、この家の人間がよく世話をしていることが見て取れた。

「あれがオシラサマか」

「ん。家の守り神だ。だども、よくお世話してやらんと祟るんだ」

「そうなのか」

「それに、生き物の肉とか卵とかを供えるのも駄目だあ。由来を考えたら当たり前と言えばそうだけどな」

 『遠野物語』には、オシラサマの由来も語られている。

 昔、ある娘が家で飼っていた馬と夫婦となり、それを知った娘の父は怒って馬を殺した。娘は嘆き悲しみ、父によって切り飛ばされた馬の首にすがりつき、そのまま首と共に天に昇ったという。

「毎年小正月には神棚から下ろして、服を替えて、娘の方には化粧もしてやるんだ」

 私は正吉の言葉を手帳に書き留める。ほとんどが『遠野物語』にもあった内容だが、供え物の禁忌は初めて知る情報だ。

「他には何かないか? 儀式とか、オシラサマにまつわる話とか」

「そうだなあ。さっきの肉と卵の話にも通じるが、オシラサマを祀る家は肉を食べたら駄目だ。顔が曲がっちまう」

「顔が曲がる? それは具体的にどうなるんだ」

「知らね。オシラサマを祀る家はたくさんあるが、みんな掟を守っとるからな。わしは実際に顔が曲がった人を見たことはない」

 ああでも。

 正吉はふと思い出したといった様子で言葉を続けた。

「昔、肉を食った猟師が、顔が曲がって死んじまった話は聞いたことがあるな。額と顎が反対方向にゆがんだようになってたらしい」

 まあ大昔の話だ。本当かどうかはわからねえな。 口調こそ軽いが、正吉の顔は笑っていなかった。

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