【天文恋愛短編小説】ファーストライト ~宇宙で最初の恋~(約13,000字)

藍埜佑(あいのたすく)

序章:偽りの星空で夢を売る私

 こんばんは。星野ほしの美星みほです。

 今夜も、星の美しい夜となりました。……この、プラネタリウムの中だけは。


 ドームいっぱいに広がる漆黒の天蓋。そこに私が作り出した何万もの星々が、完璧な配置で瞬いている。都心のきらびやかな夜景を見下ろす複合ビルの最上階にあるこの場所は、星を失ったこの街の人間たちが夢を見るためのゆりかごだ。


「皆さんが今ご覧になっている冬の大三角。その左上でひときわ赤く不気味に輝いているのが、オリオン座の一等星ベテルギウスです」


 私の澄んだよく通る声が暗闇に響く。科学的な知識と少しだけ詩的な情緒を織り交ぜて語る。それが私のスタイルだった。私の解説は人気があった。予約は常に三ヶ月先まで埋まっている。


「ベテルギウスは、もうその一生の最期を迎えようとしている年老いた星。この赤色超巨星の質量は太陽の約20倍、直径は太陽系の火星軌道にまで達します。もしかしたら私たちが見ているこの光は、もう何百年も前に星が死んだその最後の断末魔なのかもしれません。星空はいつだって私たちに壮大な時間の物語を語りかけてくれるのです」


 観客席からうっとりとしたため息が漏れる。子供から大人まで、みな夢見るような表情でドームを見上げている。恋人同士が寄り添い、家族が同じ星空を共有する。私はこの瞬間のために、何年もこの仕事を続けてきた。


 だが私自身の心は、この完璧な人工の星空を見上げても何も感じなくなっていた。私の本当の空は分厚い光のスモッグ――光害ライト・ポリューションに覆われ、もう何年も星一つ見えない。


 光害。


 それは現代文明が生み出した新しい公害だった。街灯、ネオンサイン、車のヘッドライト。これらの人工の光が夜空を覆い、数千年間人類が見上げ続けてきた星空を奪い去っている。天の川を生で見たことのない人が都市部の9割を占めるという統計を、私は解説で何度も引用していた。


 半年前、私は全てを失った。

 五年付き合った恋人。

 結婚の約束もしていた。

 彼が私の一番の親友とずっと関係を続けていたことを、私は知ってしまった。


 ありきたりなメロドラマ。

 だがそのありきたりな裏切りは、私の世界を構成していた全ての光を奪い去るには十分すぎた。


 信頼、愛情、未来。

 それらは全て私が作り出していたプラネタリウムの星々と同じ、偽物の幻影だったのだ。以来私の心は、重力崩壊を起こした星のように、どこまでも冷たく暗く収縮し続けていた。


 重力崩壊。

 それは質量の大きな星が核融合の燃料を使い果たした時に起こる現象だ。星を支えていた輻射圧が失われると、星は自分自身の重力に負けて一気に収縮する。そして最終的には、光さえも脱出できないブラックホールへと変貌する。


 私の心も今、まさにそれと同じ状態にあった。

 愛という核融合が止まり、絶望という重力だけが残された心の星が、どこまでも暗く縮んでいく。


 解説が終わる。

 ドームが明るくなると夢から覚めた観客たちが拍手を送ってくれる。

 私は完璧な笑顔でそれに応える。

 仮面をつけるのは得意だった。


 楽屋に戻り一人になった瞬間、その仮面は音を立てて剥がれ落ちる。


「もう、無理」


 私はその場にうずくまった。


 もうこれ以上偽物の星の物語を語り続けることはできない。

 私は本物の星が見たい。

 心が張り裂けそうなほど、本当の夜空が見たい。


 翌日、私は館長に辞表と長期休暇の申請を同時に提出した。館長はどちらも留保した。もう、どうでも良かった。そして私はその足で空港へと向かった。


 行き先は決めていた。

 地球上で最も空気が澄み渡り、最も星空が美しく見えると言われる天文学者たちの聖地。


 チリ、アタカマ砂漠。


 そこでならこの空っぽになった私の心を埋めてくれる何かが見つかるかもしれない。


 そんな淡くそしてか細い一筋の光を求めて。私の長い長い逃避行が始まった。

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