第7話 天蓋を破るは悪感情の波濤
煙突から黒煙が立ち上っていた。
第二次世界大戦のさなか、ドイツ占領下の工業都市。
街の広場にあったリングドエイルの大鐘は、戦争遂行のために「金属供出」の名目で鐘楼から下ろされ、工場へと運び込まれていた。
「鐘など鳴らすよりも、大砲の砲弾にしたほうが役立つ」
軍の役人は冷笑しながらそう言った。
市民たちは泣き叫び、祈った。だが誰にも逆らえなかった。
◇
工員カールは、その工場で働いていた。
30歳、妻と幼い娘を持つ男。
毎日汗と煤にまみれて働きながら、心のどこかで「鐘を溶かす日」が来ることを恐れていた。
ついにその日が来た。
工場の中央に巨大なクレーンで吊り下げられた鐘が現れた。
長い歴史を刻んだ青銅の表面には、無数の傷と模様が残り、まるで生き物のように沈黙していた。
「これを炉に入れろ」
監督官が命じた。
カールは鋳造炉の前に立ち、額から汗を流しながら鐘を見上げた。
それはただの金属ではなかった。
彼にとっては幼い頃、教会で聞いた安らぎの音だった。母の葬儀の時、鐘は静かに鳴り響いていた。
それを溶かせと命じられている。
◇
「カール、早くしろ!」
怒声が飛んだ。
彼はハンドルを握り、鐘を炉の上へと移動させた。
仲間の工員たちも黙り込んでいる。誰もが胸の奥で鐘の響きを思い出していた。
鐘が炉の口に近づいた瞬間――
カールの耳に、幻のように鐘の音が響いた。
――ゴォォォン。
心臓が震え、手が止まった。
「……鳴っている。鐘が、まだ……」
だが背後から銃を持った兵士が近づき、冷たく言った。
「従わねば撃つ」
カールは歯を食いしばり、鐘を炉の中へ落とした。
◇
火花が散り、金属が赤く染まっていく。
鐘はゆっくりと崩れ、溶けていった。
――声を失っていくように。
カールは目を逸らした。だが耳の奥ではなおも鐘が鳴り続けていた。
それは抗議の叫びのようであり、祈りのようでもあった。
「許してくれ……」
彼は誰にともなく呟いた。
◇
数週間後、その金属から作られた砲が前線へ送られた。
噂では、その砲は最初の戦闘で暴発し、多くの自軍兵士を死に追いやったという。
人々は口を閉ざしたが、工員たちの間ではこう囁かれた。
――「鐘が復讐したのだ」と。
◇
戦争が終わった後、工場は廃墟と化した。
カールは生き延びたが、鐘の姿はもうなかった。
ただ耳の奥に残る最後の響きだけが、彼の胸に刻まれていた。
夜ごと、夢の中で鐘が鳴る。
――ゴォォォン。
それは血と炎の時代に奪われたものすべての、鎮魂の声だった。
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