第16話 孤独の工房

 伯爵との密談から数日後のこと。男爵邸の書斎には、予想していた通りの報告が次々と届いていた。


「閣下、王都からの報告です」


 執事が駆け込んできた。手には封蝋も破られたままの書簡が握られている。


「どうした?」


 ザルエスは書類から顔を上げた。


「魔導士ギルド本部が完全に封鎖されました。また、民衆による包囲が続き、政府機能が麻痺状態に陥っているとのことです」


「予想通りだな」


 ザルエスは冷静に頷いた。


「他にもご報告が」


 執事は続けた。


「西部の商業都市で、『宝珠模造品』による中毒事件が多発。使用者に深刻な健康被害が出ているそうです」


 ザルエスは眉をひそめた。これも想定の範囲内だったが、被害の規模は予想以上だった。


「中央地方でも、治安部隊と『マナを我らが手に』を叫ぶ民衆との武力衝突が激化しております」


「なるほど」


 ザルエスは立ち上がり、窓の外を見つめた。平和な城下町の風景が広がっている。この静寂が、他地域との対比を際立たせていた。


「頃合いだな」


 ザルエスは振り返った。


「技術者保護令の準備を始めろ。王国全土の混乱により、貴重な技術者たちの安全が脅かされている。我が領地も、それに備えなければならない」


「承知いたしました」


 執事は深々と頭を下げた。


「それと……」


 ザルエスの目が鋭く光った。


「ジョルジュを、緊急避難として屋敷にお迎えしろ。丁重に、しかし確実にだ」


 計画は順調に進んでいる。混乱の拡大こそが、新しい秩序への道筋なのだ。


 その頃、ガンドの工房では、いつものように穏やかな朝の作業が続いていた。


「リズ、茶の準備はできてるか?」


 ガンドが金槌を置いて振り返った。


「もうすぐよ」


 リズは茶を淹れながら答えた。ジョルジュは作業台で研究を続けている。宝珠を失った失意から立ち直ろうと、必死に手を動かしていた。


 その時、工房の扉が丁寧にノックされた。


「ガンド・バルレ殿、ジョルジュ・エルノア殿はおられますか?」


 丁寧だが、どこか威圧的な声だった。扉を開けると、男爵家の制服を着た使者が立っている。その後ろには、武装した護衛が数名控えていた。


「はい……」


 ジョルジュは一歩前へ出た。


「男爵様からの緊急のお達しです」


 使者は羊皮紙を広げた。


「王国各地で魔導士および技術者への襲撃事件が多発しております。つきましては、技術者保護令に基づき、ジョルジュ・エルノア殿を緊急避難としてお迎えに参りました」


「技術者保護令?」


 ジョルジュは困惑した。そんな話は聞いたことがない。


「はい。王国の混乱により、貴重な技術者の安全が脅かされております。男爵様のご配慮により、貴殿には、しばらく安全な場所でお過ごしいただくことになりました」


 使者の言葉は丁寧だったが、その背後の護衛たちの存在が、これが単なる〝お迎え〟ではないことを物語っていた。


「でも、ここは平和ですし……」


 ジョルジュが言いかけると、使者は表情を変えた。


「実は、模造品事件の件で、真犯人として疑われる可能性もございます。身の安全のためにも、男爵様の保護下に入られることをお勧めいたします」


 ガンドがジョルジュの肩に手を置いた。


「逆らわないほうがいい」


「ガンドさん……」


「行け。今は従うしかない」


 ガンドの声には、深い諦めがあった。


 リズは奥で静かに茶を注ぎ続けていたが、その目は鋭く使者たちを観察していた。


「では、ジョルジュ殿、お支度の程を」


 ジョルジュは小さな荷物をまとめながら、リズと目を合わせた。声にならない言葉が、互いの視線の奥で交わされた気がした。


「必要最小限で結構です。男爵邸では、すべてご用意しております」


 使者の催促に、ジョルジュは工房を後にした。馬車が森の道を進んでいく音が、次第に遠ざかっていく。


「ジョルジュ……」


 ガンドが呟いた。


「大丈夫よ」


 リズは静かに答えた。


「でも、状況は変わった。私も動かなければ」



 男爵邸の地下研究施設は、ジョルジュの想像を遥かに超えていた。

 石造りの頑丈な構造でありながら、内部は最新の設備で整えられている。魔導具製作のための工具、大量の魔石、精密な測定器具──師匠の工房など足元にも及ばない、ひょっとするとガンドの工房よりも充実していた。


「どうだね、気に入ったかい?」


 ザルエスが満足そうに施設を案内した。


「すごい設備ですね……」


 ジョルジュは素直に感嘆した。しかし、どこか違和感もあった。


「でも、どうしてこんな地下に?」


「安全のためだよ」


 ザルエスは穏やかに答えた。


「外部からの攻撃や盗難を防ぐには、地下が最適だ。それに、研究に集中できるだろう?」


 確かにその通りだった。しかし、ジョルジュは気づいていなかった。この施設から外に出るには、複数の衛兵の許可が必要であることを。


「早速だが」


 ザルエスの表情が真剣になった。


「ここで、粗悪な模造品の改良を行ってもらいたい」


「模造品の改良、ですか?」


「ああ。ここまで模造品が出回ると、もはや回収は難しい。強制的な回収では、民衆の抵抗も大きいだろう。しかし、これを改良することができれば、『交換』という形で、危険な模造品を締め出すことができるかもしれない」


「模造品の撲滅、ということですか?」


「そうだ。そのためには、量産体制を構築するための技術改良が急務なんだ」


 ザルエスは作業台の上に、いくつかの宝珠を置いた。いずれも、今王国を混乱に陥れている粗悪な模造品だった。


「量産……」


 ジョルジュの顔が曇った。


「君も、自分の技術が誤った方向で利用されるのは嫌だろう。それに、これは混乱を収拾するために必要な措置だ」


 ザルエスの言葉には説得力があったが、どこか冷たさも感じられた。


「しかし……」


「君一人の理想では、この混乱は解決できない」


 ザルエスの声に、微かな威圧感があった。


「現実的な解決策が必要なんだ。模造品を基にするのは許せないだろう。しかし、君の協力なしでは不可能なんだよ」


 ジョルジュは黙り込んだ。周囲には、助手という名の監視要員たちが控えている。彼らの視線が、拒否した場合の結果を暗示していた。


「分かりました……」


 ジョルジュは重々しく頭を下げた。


「ありがとう」


 ザルエスは満足そうに微笑んだ。


「君の技術が誤って広まったのは悲しむべきことだ。しかし、この危機的状況を救うのもまた君の技術なんだよ」


 しかし、ジョルジュの心には絶望が広がっていた。自分の理想は完全に利用されている。技術を悪用されないための方法など、存在しないのだろうか。


 地下施設の静寂の中で、ジョルジュは孤独な改良作業を始めた。


 ジョルジュが一人になった後、ザルエスは助手の一人を呼び寄せた。


「進捗は毎日報告しろ」


 助手は恭しく頭を下げた。


「承知いたしました。それで、外部との接触は?」


「一切禁止だ。健康管理以外で、ここから出すな」


「分かりました。技術改良の完了は、いつ頃を?」


「急ぐ必要はない。確実性を重視しろ」


 ザルエスは振り返った。


「ただし、完成次第すぐに量産体制に移れるよう、準備は怠るな。商人ギルドと連動するように」


「量産規模は?」


「最低でも数百個。理想は千個だ」


 助手の目が光った。


「宝珠部隊の編成ですね」


「そういうことだ」


 ザルエスの口元に、冷たい笑みが浮かんだ。


「あの若者の理想は、この国を変える力となる。もちろん、彼の意図した方向とは違うがな」



 その夜、城下町の宿で、リズは一人静かに状況を分析していた。


 各地から届く情報を総合すると、この混乱は偶然ではない。誰かが意図的に煽動している。そして、その黒幕がザルエスであることは、もはや明らかだった。


「ダリオ」


 リズは宿を訪れた悪友に静かに話しかけた。


「ジョルジュは地下に軟禁されてる。表向きは保護だけど、実際は技術を独占するためよ」


「そんな……」 


 ダリオの顔が青ざめた。


「何とかできないのか?」


「直接的な救出は無理ね。でも……」


 リズは窓の外を見つめた。


「私には、別の方法がある」


 翌朝、リズはオルヴェルを訪ねた。


「この状況を理解するには、もっと広い視野が必要だと思います」


「広い視野、とは?」


「昔から、技術と政治は切り離せない問題だった。でも、解決策もあったはず」


 オルヴェルは考え込んだ。


「そういえば……テュラン修道院の院長は、そうした問題の研究者として有名ですな」


「テュラン修道院……」


 リズの目が輝いた。


「院長のフラウゼは知り合いです」


「知り合い?」


「ええ、あの人が若い修道士だった頃、修道院でよく議論してました。たしか、古代魔法史に深い造詣があったわ」


 リズは立ち上がった。


「もしかして、フラウゼなら私のことを覚えているかも」


「しかし、テュラン修道院は遠いですぞ」


「たしかに、ここから遥か北、馬車で何日もかかる。でも……」


 リズは決意を込めて言った。


「あの人は純粋な学者肌で、政治的な思惑とは無縁だった。彼なら、現在の状況について相談できる」



 テュラン修道院への道のりは長かった。

 馬車が王国の北部へ向かうにつれ、風景は次第に変化していく。平野から丘陵地帯へ、そして遠くにはエルフの森──リズの故郷が見えてきた。


 リズは馬車の窓から、その懐かしい森を眺めていた。


(あの森を出てから、もう随分になる──)


 記憶が蘇ってくる。夜明けの森に差す光の中、族長は重い声で言った──


『エルフは見届ける者である。人間社会に干渉してはならない』


 その言葉が、どれほど窮屈に感じられたことか。


(なぜ見ているだけなのか。なぜ行動してはいけないのか)


 若きリズの疑問と反発。もっと自由に生きたくて、人間社会に直接関わりたくて森を出た。エルフの使命から逃れようとした。


 しかし今、その選択の意味を問い直している。


(ジョルジュの理想が踏みにじられるのを、見ているだけでいいのか──)


 森が近づくにつれ、心の奥で何かが変わり始めていた。


 エルフとしての責任と、個人としての意志。その間で揺れ動いていた心が、次第に一つの方向へ向かっていく。


(もう逃げるのはやめよう)


 馬車を降り、小径を進み、修道院の鐘楼が見えてきた頃には、リズの心は決まっていた。


(フラウゼには、本当の自分として会おう)


 夕日が山麓を金色に染める中、テュラン修道院の門前に来た。石造りの重厚な建物が、静かに佇んでいる。

 リズは一瞬躊躇した。しかし、意を決して扉を叩いた。

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