第14話 止まらない
私は自分との付き合い方が下手だ。
別に自己肯定感が低いという訳ではない。
自分が優れた容姿をしているのはすごく良い事だと思っているし、周りの人にも恵まれているし、自分は幸運な人間だとも思っている。
「はぁ……はぁ……やっと追いついた」
「理央……」
お昼にはほとんど人が立ち寄らない、特別教室が並ぶ棟。その棟の端にある階段に座り込んでいると、息を切らした親友が私の隣にどさっと座り込んできた。
「全くもう……久しぶりにこんな走ったって~」
「……ごめんね理央」
「いいよいいよ。どうせ一か月後にはマラソン大会があるみたいだし、その練習と思えばむしろお得だから」
悪いのは私なのに。そんなことを全く思っていないかの様に笑う少女を見て、私の目からは熱い何かが流れ出す。
「私……わたし……」
「……よしよし」
理央はそんな私のことをぎゅっと抱きしめ、優しく背中をさする。その優しさに今までせき止めていた感情が爆発する。
私は自分との付き合い方が───自分の感情との付き合い方がとても下手だ。
ストレスを受けると人によって大小異なるグラスに水が注がれていく。
ストレスを溜め続け、グラスから水が溢れると、体調を崩してしまったり、悲しくもないのに自然と涙が零れてしまったりする。
だから普通の人は水が溢れないよう、ストレスを溜めないような環境を作ったり、何かしらで発散させて溜まった水を流したりして、感情やストレスと上手に付き合っている。
けれど、私は他の人みたいに上手に感情と付き合うことは出来なかった。
幼い頃から私は感情というものに振り回されていた。嬉しかったら満面の笑みを浮かべ、悲しかったら周りの人がびっくりするほど大きな声で泣いた。
他の人と比べてグラスが小さいのか、些細な事でグラスから水は溢れた。たくさん笑って、たくさん泣いて、喜んで、怒った。
小さな子供だからしょうがない。大きくなったらこの感情とも上手く付き合っていけるだろう。そう親も思っていただろうし、自分もそうなると思っていた。
しかし、そう簡単には行かなかった。
全く成長しなかったわけではない。少ある程度はコントロールできるようになった。
幼稚園の頃は知らない人と話すだけで怖くて泣きそうになっていたが、今は初対面の人に対して笑顔を作ることが出来るようになった。
嫌なことがあっても、人前では怒りを露わにしなくなった。──1人の男の子が関与していなければ。
優多君の事になると、私は幼い頃の様に、些細な事で感情が爆発してしまう。
嬉しい、楽しいという正の感情であれば何ら問題はない。グラスから水が溢れてしまっても、常に笑顔で上機嫌な可愛い女の子になるだけだから。
問題は負の感情。怒りや悲しみ、嫉妬と言った良くない感情が大きくなると、簡単に水が溢れてしまう。
さらに悪い事に負の感情が大きくなると、グラスに注がれる水の勢いは強くなる。
私のグラスはとても小さく、脆いらしい。
何回も、何回も、凄まじい勢いで水が注がれたグラスには少しずつヒビが入り、簡単に割れてしまった。
それでも水は止まらない。どうすることも出来ない感情が溜まっていき、理性が飲み込まれていく。その結果──
「わたし……優多君に酷い事言っちゃった……」
「酷い事……言い方は結構可愛かったと思うけどね?」
「でも遠回しに私は優多君に死ねって言ったんだよ?好きな人に、大好きな人にあんな酷いことを言ったんだよ!?こんな酷い子なんか……嫌いになるに決まってる!」
大好きな人。子供の時からずっとそばに居て、守ってくれて、私の感情がぐちゃぐちゃになっちゃった時も優しく受け入れて、認めてくれた大好きな男の子。
本心ではない、感情が支配した結果出てしまった言葉だ。それでも大好きな人に、酷いことを言ってしまった事実は変わらない。
「う、うぅ……私、最低だ……」
「……よしよし。今は好きなだけお泣き」
涙も感情も止まらない。私の心と体は、冷たく、気持ち悪い感情の中に沈んでいった。
「じゃあね希咲良。あんまり考えすぎちゃ駄目だし、自分を責めすぎちゃだめだからね。何かあったらすぐ私に電話すること、良い?」
「うん、ありがとね理央。また来週」
放課後になり、私と希咲良は少し雑談を交わしてから別れた。
理央に一緒に帰ろうと誘われたが、私はそのお誘いを断った。
一緒に居れば気持ちが楽になったとは思うが、少しだけ一人になりたい気分だったのだ。
それに────
「優多君……まだ居る、かな……」
誰にも聞こえないような声でぽつりと呟く。
もう帰ってしまったかもしれない。まだ帰っていなかったとしてもどんな顔をすればいいか分からない。
それでも、謝りたい。今日行った言葉は本心ではないと伝えたい。
もしかしたら私が望む結果にはならないかもしれない。
「優多君……」
それでも少しずつ、優多君のクラスへと足を動かす。
怖い。行かない方が良いかもしれない。来週に持ち越すのも悪くはないんじゃないか。
行かなきゃ。謝らなきゃ。今日謝るんだ。
2つの思考が脳を揺さぶる。優多君のクラスへ一歩、また一歩と近づくにつれ、鼓動が速くなる。
「行かなきゃ……優多君に謝らなきゃ────」
「ねぇねぇ君?もうどの部活に入るかは決めた?」
「っ!」
私の進路を塞ぐようにして二人の男子生徒が現れる。
「……部活に入る予定はないんです。すみません、失礼しま──」
「えぇ?部活やらないなんてもったいないよ」
「そうそう。部活入った方が絶対楽しいって。どう?サッカー部のマネージャーとかやってみない?」
……しつこい。
頭を下げて立ち去ろうとするも、進行方向を塞がれているため、逃げることが出来ない。
ただでさえ心に余裕がないのに……。今ならまだ優多君がいるかもしれないのに……。どうしてこんなタイミングが悪いんだろう。
普段であればにこやかに対応していたが、今の私はそんなことに意識を割くことが出来ない。徐々にイライラが溜まってくる。
「すみません、急いでいるので」
「そんなこと言わずにさぁ、見学してってよ。皆も喜ぶと思うからさ」
「ちょっと顔を出すだけでも良いからさ。頼むよ〜」
……しつこい!
「サッカー詳しくないので、すみません」
「俺達が1から教えるから大丈夫だって」
「ほら行こ?大丈夫だって、何にも怖くないから」
「いや、あの────」
素っ気ない態度で切り抜けようとするも、それが逆効果だったのか男子生徒の一人が私の方に手を伸ばしてくる。
流石に乱暴なことはしないだろうが、それでも私の身体はびくりと強張る。
男子生徒の手が私の手首を掴む。
振りほどかなきゃ……振りほどきたいのに──力が、入らない。
緊張のせいか、体に力を入れようとしても上手くいかない。声を上げようにも、喉がきゅっと詰まり、言葉が出てこない。
「大丈夫だから、ちょっと見学するだけだからさ」
いや……怖い。誰か──助けて……!
「おい」
聞き覚えがあるのに、聞いたことの無いような声が耳に入る。それと同時に私の手首にあった気持ち悪い感触が無くなった。
「あっ……」
大きく心臓が跳ねる。先ほどまであった恐怖や緊張はいつの間にか無くなり、安心感で心が満たされていく。
「俺の大切な人に触んじゃねぇよ」
ドクン!ドクン!!
あぁ……まただ。
私は自分との付き合い方が下手だ。
だってまた、優多君への想いが止まらなくなってしまったから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます