第4話 旅立ちの決意
盗賊が去った後、村には不思議な静寂が訪れていた。
いつもの夜とは違う、緊張を孕んだ静けさ。
村人たちは家々に明かりを灯し、扉に鍵をかけて眠りについていた。
◇◇◇◇
ルミナ到着から二日目の昼下がり。
ルミナは村の小さな診療所を訪れていた。
薬草師のおばあさんが、困った顔で迎える。
「最近、子供たちが森で遊んでいて怪我することが多くて…」
「見せてください」
診療所の奥で、小さな男の子が膝の擦り傷を押さえて泣いていた。
母親が心配そうに寄り添っている。
ルミナは静かに膝をつき、男の子の膝に手をかざした。
温かい光が傷口を包み、みるみるうちに擦り傷が消えていく。
「痛くない…」 男の子の目が驚きで丸くなった。母親も息を呑んでいる。
「ありがとうございます、聖女様」
「いえ、当然のことです」
その様子を、診療所の外からアレンが見ていた。
ルミナの優しい表情と、子供を癒す光に、何か心を動かされるものがあった。
「すげぇな…本当に傷が消えた」
振り返ると、幼なじみのドルン・ティグラムが立っていた。
狩猟の帰りだろうか、弓を背負っている。
「ドルン…いつからいたんだ?」
「さっきからだよ。村中で聖女様の噂になってるから、見に来たんだ」
「そうか…」
二人とも、ルミナの治癒の光に見入っていた。
◇◇◇◇
その夜、鍛冶場の奥で、アレンとルミナは向かい合って座っていた。
炉の火が二人の顔を赤く照らし、影が壁に踊っている。
「今日の治療…すごかったです」
「ありがとうございます」
「俺とそんなに年も変わらないのに、あんなふうに人を助けられるなんて」
「ルミナさんは、いつから聖女になったんですか?」
ルミナは少し考えてから答えた。
「15歳の時です。最初は戸惑いました。なぜ自分に、こんな力が与えられたのかと」
「俺と同じだ…」
「でも、人を助けられる力があるなら、使わなければと思うようになりました」
アレンは右耳の環に触れた。 「俺も…そう思えるようになるかな」
「もう一人の王のことを、話してください」
アレンの声は静かだったが、決意に満ちていた。
ルミナは頷いた。
「カイロス・ヴァルステッド。現在の国王です。 あなたと同じ王家の環を持つ、もう一人の選ばれし者」
「なぜ二人なんですか?王は一人じゃ……」
「私にも分からない。しかし神託で見たビジョンでは、二人の王が出会わなければ、この国に災いが降りかかると示されました」
ルミナの瞳に、不安の影がちらついた。
「そして、あなたを狙う闇の魔力も感じます。一刻も早く王都へ」
ルミナは困惑したように眉を寄せた。
「実は…この村にいる間、神託がはっきりと降りてこないのです。まるで何かに阻まれているような…」
まだ慣れない異物感があるが、同時に不思議な温かさも感じる。
「でも俺は……ただの鍛冶屋の息子です。 王様に会って、何ができるんですか?」
「それは会ってみなければ分からない。でも確実に言えることがある」
ルミナは立ち上がり、窓の向こうを見つめた。
「あなたがここにいる限り、この村の人々も危険に晒される。 あの盗賊は序の口かもしれません」
◇◇◇◇
ルミナ到着から三日目の夕刻。
アレンは家族と共に夕食を囲んでいた。ルミナも一緒だった。
「聖女様のおかげで、村の雰囲気も随分明るくなりました」
マリアが微笑んだ。 「皆さんが温かく迎えてくださったからです」
しばらく談笑した後、ルミナが立ち上がった。
「少し外の空気を吸ってきます」
ルミナが出て行くと、ガロンが重い口を開いた。
「アレン…お前はどうしたい?」
マリアの手が震えた。
「お父さん、お母さん…」アレンが口を開いた。
「俺、王都に行こうと思う」
マリアの手が震えた。ガロンが重い口を開く。
「聖女様の言う通りかもしれん。だが、王都は危険な場所だ。 貴族たちの権力争いに巻き込まれるかもしれない」
「…でも、もう一人の王を助けないと…」 アレンは立ち上がった。
「俺がここにいることで、皆に迷惑をかけられない」
マリアが涙ぐんだ。 「まだ16なのに……こんな重荷を背負わせるなんて」
アレンは母の手を握った。
「帰ってくる。必ず。…でも行かなきゃ」
その声に、少年から青年への変化を感じ取ったガロンは、深くため息をついた。
「……分かった。行け。だが、無理はするなよ」
「ありがとう、お父さん」
家族の承諾を得たアレンの表情が、少しだけ明るくなった。
◇◇◇◇
同じ頃、王都の宮殿では深夜の貴族議会が開かれていた。
金糸で装飾された議事堂に、権力者たちが集まっている。
「平民からの武器徴収案について議論する」
議長を務めるガーウィン侯爵の声が響いた。
若き王カイロス・ヴァルステッドは玉座から議会を見下ろしていた。
彼の右耳にも、アレンと同じ王家の環が輝いている。
「昨今、各地で盗賊や反乱の兆しがあります」 一人の貴族が立ち上がった。
「平民が武器を持つことは、国家の安定を脅かします」
「しかし」カイロスが口を開いた。
「力は民を守るためにあるはずだ。それを奪うのか?」
「陛下のお気持ちは分かります。 しかし、統治の安定こそが民の幸せにつながるのです」
議場がざわめいた。 多くの貴族が頷いている。
王の意見よりも、自らの利益を優先する者たちだった。
玉座の脇には、近衛騎士団長レオニード・グラストが控えていた。
鋭い眼差しで議場を見回し、主君を護る意志を全身に漂わせている。
レオニードの眉間に、わずかに皺が寄った。
「採決を行う」 ガーウィン侯爵が宣言した。
結果は圧倒的多数で「武器徴収案」が可決された。
カイロスの顔に、失望の色が浮かんだ。
「可決されました。来月より、各地域で武器の回収を開始いたします」
カイロスは立ち上がった。
「……分かった。だが、民への説明は丁寧に行うこと。 強制的な手段は取らないように」
「承知いたしました」
議会が終わり、貴族たちが退出していく中、ガーウィン侯爵は一人残った。
彼の手には、見覚えのある精巧な刺繍が施されたハンカチがあった。以前にも何度か、辺境の商人から購入したことがある品だった。
「また同じ作り手からか…計画通り進んでいる……」
侯爵の呟きが、空虚な議事堂に響いた。
レオニードがカイロスに近づいた。
「陛下……」
「分かっている、レオニード」 カイロスは肩を落とした。
「だが、今はこれが精一杯だ」
「必ずや、いつか陛下の真意を理解してくれる者が現れるはずです」
騎士団長の言葉に、カイロスは小さく頷いた。
◇◇◇◇
翌朝、トルナ村。 アレンは旅支度を整えていた。 父の作った短剣、母が縫ってくれた旅装束、そして少しばかりの食料。
「準備はいいですか?」
ルミナが鍛冶場の入口に現れた。 純白の外套が朝陽に映えている。
「はい」
村人たちが見送りに集まっていた。
王都に送るべきか匿うべきか、意見は分かれていたが、アレン自身が決めた道だった。
「やっぱり王都に行くべきだ。村にいても危険が増すばかり」
「でも、まだ子供なのに…一人で大丈夫なのか?」
「聖女様がついてるから安心だろう」
「それでも心配だ…」
幼い頃から同じ村で育った少年への心配は、皆に共通する思いだった。
その中に、弓を背負ったドルン・ティグラムの姿もあった。
村の有力者の息子でありながら、アレンの一番の親友だった彼は、複雑な表情でアレンを見つめていた。
「気をつけてな、アレン」
「王様になっても、俺たちのこと忘れるなよ」
村人たちの励ましに、アレンは精一杯の笑顔で応えた。
コーリスが前に出た。
「……無事に帰って来い。村はお前を待ってる」
「はい。必ず」
ドルンがゆっくりと前に出た。
「アレン……」
「ドルン……」
「お前が選ばれたってことは、きっと意味があるんだろうな」
同い年の二人は、視線を交わしただけで互いの気持ちを理解した。
「村のこと、頼むよ」
「ああ。任せとけ」
ドルンは強く頷いたが、その瞳の奥に決意の光が宿っていた。
アレンとルミナは村を後にした。 振り返ると、小さな村が朝もやの中に霞んで見える。
「後悔はありませんか?」ルミナが尋ねた。
「ないと言えば嘘かな…。でも……」 アレンは前を向いた。
「きっと、これが俺の道なんだと思う」
二人の姿が街道に消えていく。 その後ろ姿を、ドルンは最後まで見送っていた。
そして静かに呟いた。
「待ってろ、アレン……」
村人たちが散っていく中、ドルンは一人鍛冶場の方を見つめていた。
村の有力者の息子である彼が勝手に村を出ることは、大人たちが許すはずがない。
しかし、どうしてもアレンを一人で行かせるわけにはいかなかった。
実は、ドルンは数日前からひそかに準備を進めていた。
弓矢の手入れ、携帯食料の確保、そして父マルドに気づかれないよう、少しずつ旅支度を整えていたのだ。
後継者候補として村に留まる責任はあるが、親友への想いがそれを上回っていた。
アレンたちが出発した翌日の夜、ドルンは密かに村を出た。
昼間のうちに最後の準備を整え、大人たちの目を盗む隙を窺っていたのだ。
月明かりに照らされた街道を、アレンたちが歩いた方向へと向かって。
「親友を一人で行かせるわけにはいかない」
弓を背負った少年の足取りは確かだった。
同じ頃、森の奥からアレンたちの後ろ姿をじっと見つめる影があった。
セシリア・アルヴェインが、冷たい微笑みを浮かべていた。
「…ついに術式が実を結んだのね。神々も、まさかこんな結果になるとは思っていないでしょう」
彼女の指先に、見えない魔力の糸が踊っていた。
数百年の恨みを込めた復讐が、ようやく始まろうとしている。
「さあ、神の選定を狂わせた私の傑作を見せてあげましょう」
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