第二十二話:蘇生の実

2047年3月20日

精鋭覚醒者・カイト

世界樹ダンジョン・中層部


禍々しい紫色の沼地が、どこまでも広がっていた。毒の瘴気が立ち込め、巨大な捕食植物が蠢いている。

カイトかいと率いる精鋭覚醒者部隊は、泥と瘴気にまみれながら、この「嘆きの沼」と呼ばれる階層で、上位種の魔物と死闘を繰り広げていた。世界樹攻略が始まって二年、人類は多大な犠牲を払いながらも、少しずつダンジョンを深部へと侵攻していた。


「ミカ! 後方の負傷者を頼む! 残りは俺と前に出ろ! ボスの間はもうすぐだ!」


部隊のヒーラー役であるミカが応える。


「はい!」


しかし、この階層のフロアボスは異常に強力で、部隊は既に壊滅寸前だった。

仲間が、魔物の酸のブレスを浴びて倒れる。その体は光の粒子となり、どこかへ送られていく。魂が死後の世界へ保護されていく光景だ。もはや見慣れたものだったが、慣れることは決してなかった。


カイトは歯を食いしばる。

「くそっ、また一人…! これだけの犠牲を払って、俺たちは何を得たんだ…!」


焦りと無力感が彼を襲う。

その時、元災害ボラティアだった頃に培われた、生命への感受性を昇華させた彼の特殊な感知能力が、フロアボスのいる空間の奥から、これまで感じたことのない、強力で清らかな生命エネルギーの波動を捉えた。

なんだ…? この気配は…。


巨大な洞窟。その中央に、精神攻撃を得意とする、半透明のクラゲのようなフロアボスが浮遊していた。

カイトの脳内に、直接、絶望的な幻覚が流れ込んでくる。救えなかった人々の顔、このダンジョンで失った戦友たちの顔。


「う…ぐっ…!」


ミカが叫ぶ。


「隊長! しっかりしてください!」


カイトは、膝をつきそうになるが、最後の力を振り絞った。

彼の純粋な願いが、覚醒能力を増幅させる。


「これ以上、誰も失ってたまるかァァァッ!」


彼の剣がまばゆい光を放ち、幻覚を振り払う。一直線にフロアボスへと突進し、渾身の一撃が、ボスの核を貫いた。

フロアボスは、金切り声を上げて消滅し、後には巨大な魔石だけが残った。


静寂が戻る。カイトが感じていた生命エネルギーの波動が、より一層強くなった。彼は、波動の源である、広間の奥の小さな祭壇のような場所へと向かった。

そこは、ダンジョンの禍々しい雰囲気とは不釣り合いな、神聖な空気に満ちていた。そして、その中央に、まばゆい黄金色の光を放つ一つの果実が、静かに浮かんでいた。


ミカが息を呑む。


「これは…?」


「まさか…これが、世界樹の…」


カイトは、引き寄せられるように、その実に手を伸ばした。

彼が実に触れた瞬間、全身に温かい電撃のようなものが走り、膨大な情報が脳に直接流れ込んできた。それは、文字や映像ではない、魂に直接理解させる形での情報だった。

魂の構造、生命の定義、そして、失われた魂を肉体へと呼び戻すための、複雑で精緻な蘇生魔法の術式。

カイトは理解した。この実一つを解析すれば、人類は蘇生システムそのものを構築できるのだと。


彼の声は震えていた。

「これがあれば…みんなが…戻ってくる…」


失われた人々との再会という、個人的な喜び。そして、この発見が世界を永遠に変えてしまうという、歴史的な瞬間に立ち会っていることへの責任の重さ。彼の目から、涙がこぼれ落ちた。


海上中継基地アークへの帰還。

カイトの部隊は満身創痍ながらも、「蘇生の実」を厳重な特殊ケースに収め、帰還した。彼の帰還の報は、基地全体に歓喜と興奮の渦を巻き起こした。

司令室では、総指揮官である三浦 健みうら けんが、モニター越しに特殊ケースに収められた蘇生の実を、静かに、しかし感慨深げに見つめていた。

モニターに映るカイトが報告を終える。


三浦 健の声が、スピーカーから響いた。

「…よくやってくれた、カイト隊長。君たちが持ち帰ったのは、ただの果実ではない。全人類の、未来そのものだ」


彼の冷静な声の中に、確かな感動の色が滲んでいた。

カイトは、自室の窓から、遠くそびえる世界樹を見つめた。彼は、これからこの実がもたらすであろう、世界の大きな変化を予感していた。ダンジョンは、もはや絶対的な死の場所ではなくなる。それは、リスクを管理し、何度でも挑戦できる「ゲーム」のような舞台へと変貌するだろう。彼は、この歴史的な転換点に立ち会えたことを、誇りに思った。


神の樹から零れ落ちた一粒の奇跡。それは、人類に「死の克服」という、禁断の果実をもたらした。人々は、失われた者との再会を夢見て歓喜する。だが、その甘い蜜の味を知った時、人類の「命」に対する価値観もまた、永遠に後戻りできない場所へと足を踏い入れることになる。

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