第三部:覚醒 - The Awakening
第十二話:新たなる力
2038年3月10日
元重機オペレーター・木下 剛
復旧工事現場
「トンネルダンジョン事件」から約一年。季節は巡り、現場には再び春が訪れようとしていた。復旧作業は着実に進み、かつての活気が戻りつつある。
若い作業員のタカシが、重い資材を軽々と運びながら、木下 剛に話しかけてきた。
「木下さん、最近、体おかしくないすか? 全然疲れないっていうか…」
「お前もか」
木下 剛は短く応えた。タカシが驚いた顔をする。
木下 剛は、自分が持っていた大型のスパナを無言で見せた。硬い鋼鉄のはずのスパナが、彼のただの握力で、わずかに歪んでいる。
「…最近、調子が良すぎてな。力の加減が分からん」
二人は顔を見合わせた。彼らだけでなく、あの事件を生き延びた作業員の多くが、自身の体に同様の奇妙な変化を感じ始めていたのだ。
その日の午後、事故は起きた。
ガシャーン!
けたたましい音と共に、クレーンが吊り上げていた巨大な鉄骨のワイヤーが切れ、落下した。その真下には、別の作業に集中していた若い作業員がいた。
「うわっ!」
誰もが息を呑み、悲劇を覚悟した、その瞬間。
木下 剛が、信じられないほどの速さでその場所に飛び込み、落下してくる鉄骨の下に肩を入れた。
ズウウウウウン!
地響きと共に、鉄骨が木下 剛の肩にめり込む。常人なら即死するはずの衝撃。しかし、彼の体は潰れなかった。足元のアスファルトがひび割れ、膝が震えながらも、彼はその巨体を、ただ一人で受け止めていた。
彼の喉から、血管を浮き上がらせた絶叫が迸る。
「…ぐうううううおおおおおっ!」
周囲の作業員たちは、呆然と立ち尽くしている。タカシが、我に返って叫んだ。
「何やってんだ! 手伝え! 木下さんが死んじまう!」
作業員たちが一斉に駆け寄り、なんとか鉄骨をずらす。
木下 剛は、その場に膝をつき、荒い息を吐いていた。彼の肩は、服が破れ、赤黒く痣になっているが、骨は折れていないようだった。
「木下さん…あんた、やっぱり…人間じゃねえよ…」
タカシの掠れた声に、木下 剛は答えなかった。彼はただ、自分の両手を見つめている。アドレナリンだけでは到底説明がつかない、人知を超えた「力」。それが、自分に宿ってしまったことを、彼は完全に自覚した。
その夜、木下 剛は、一人、居間でテレビを見ていた。ニュース番組が、ある特集を組んでいた。
「…世界各地で報告されている、この『超人的能力の発現』について、政府は本日、公式に『覚醒』と命名しました。専門家によりますと、これは2017年以来、地球を覆う未知の粒子、通称『白いモヤ』の影響によるもので、人類が新たな脅威に適応するための『進化』ではないかと推測されています…」
テレビ画面には、海外で暴走するトラックを受け止める男や、素手でコンクリートの壁を破壊する女の映像が流れる。木下 剛は、静かにテレビを消した。
彼は、テーブルに置かれた一枚の計画書に目をやる。そこには「民間防衛及びダンジョン攻略事業計画書」と、彼が事件後に書き上げた文字が並んでいた。
「進化、か…。なら、俺たちがやるべきことは、一つしかねえな」
彼は、この力が、あの悪夢を繰り返さないために与えられたものだと確信していた。もう、誰かの犠牲の上で守られるのは終わりだ。自分たちの手で、未来を掴むのだ。
後日、殺風景なプレハブのオフィスに、木下 剛を慕うタカシや、トンネル事件を共に戦った仲間たち、そして噂を聞きつけて集まってきた、力を持て余す若者たちが集まっていた。
木下 剛は、皆の前に立ち、力強く語りかけた。
「集まってくれて、感謝する。お前らも分かってる通り、俺たちの体は、もう普通じゃねえ。だがな、俺たちは化け物になったわけじゃねえ」
皆、真剣な眼差しで木下 剛を見つめている。
「この力は、家族を、日常を、この国を守るために授かったもんだ。ただ怯えて、自衛隊や警察に守ってもらう時代は終わりだ。俺たちの手で、あの忌々しいダンジョンを…『攻略』してやるんだ!」
その熱い言葉に、集まった者たちの目に、覚悟の光が灯った。
木下 剛がテーブルの上に叩きつけた計画書。その表紙には、彼が考えた会社の名前が書かれていた。
「株式会社 フロンティア・ガーディアンズ」
脅威が魔物を生み、希望が超人を生んだ。この日、一人の元作業員が掲げた旗の下に、人類は初めて、恐怖の対象であったダンジョンを「攻略」すべき対象として捉え直した。それは、人類が受動的な存在から、能動的な挑戦者へと変貌を遂げた、歴史的な瞬間であった。
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