第三話:双つの顕現
2017年11月15日
海上自衛隊士官・三浦 健
太平洋上・護衛艦「いずも」艦橋
世界樹が出現してから十日が経過した。
艦橋内には、長期化する任務による疲労と、一種の膠着状態から来る弛緩した空気が漂い始めていた。隊員たちは、それぞれの持ち場で監視を続けているが、その目には緊張感よりも倦怠の色が濃くなっている。
コーヒーカップを片手に、上官が隣に来た。
「どうした三浦。そんなに睨んでも、あの木は動かんぞ」
「…静かすぎます。何か、嵐の前の静けさのような…」
「考えすぎだ。各国首脳も、どうしたものか頭を抱えているだろうよ。おかげでこっちは洋上のホテル暮らしだ」
上官が軽口を叩いたその時、レーダー担当の隊員が首を傾げた。
「まただ…原因不明のノイズが断続的に入ります。ゴーストか何かでしょうか」
「ログは取っておけ。どんな些細な変化も見逃すな」
三浦 健の厳しい声に、弛緩していた隊員たちの背筋がわずかに伸びた。
その数時間後、午後二時過ぎのことだった。
ヘッドセットを押さえていた通信士が、突然叫んだ。
「艦橋、緊急報告! 世界樹に変化!」
その声に、艦橋内の全員の視線がメインモニターに集中する。モニターに映し出された世界樹。その巨大な幹の表面に、まるで稲妻が走るように、幾筋もの亀裂が入っていく。
「全乗員、第一種戦闘配置!」
三浦 健の声が響き渡り、艦内にけたたましい警報が鳴り響いた。
亀裂から、霧のようなものが噴出し始めた。
一つは、光さえも吸収するかのような漆黒の黒いモヤ。
もう一つは、自ら淡く発光する、純白の白いモヤ。
モヤは、明らかに生命体のように動いていた。
黒いモヤの群れが、蛇のようにうねりながら白いモヤに襲いかかろうとする。しかし、白いモヤが放つ見えない力場に阻まれ、バチリと音を立てるかのように弾き返される。逆に、白いモヤが網のように広がって黒いモヤを包み込もうとすると、黒いモヤは素早くその包囲を突き破る。
互いに敵対し、牽制し合う、無音の戦争。物理法則を完全に無視した、奇妙で異様な光景だった。
「なんだ、あれは…?」
三浦 健は呟いた。
「ガス…ではないな。意志があるように見える」
上官が応える。
「はい。二つの勢力が…我々の目の前で…」
言葉を失う三浦 健。これは単なるエネルギーの放出ではない。二つの未知なる存在の顕現なのだと、彼は理解した。
黒いモヤと白いモヤが、世界樹の周囲を激しく飛び回り始めた。その瞬間、艦内の全ての電子機器が、一斉に悲鳴を上げたのだ。
ビー!ビー!ビー!
艦橋内のあらゆるモニターが砂嵐になり、警告灯が激しく点滅した。
「レーダー、ダウン! 目標をロスト!」
「通信途絶! 全周波数に強力なノイズ!」
「航行システムに異常発生! 操舵不能!」
照明が激しく明滅し、艦橋はパニック寸前の状態に陥った。隊員の一人が、頭を押さえてうずくまる。
「うわっ…! 頭の中に、声が…!」
「艦橋の隅に…誰か立っていませんでしたか…!?」
幻聴、幻覚。モヤは、物理的な干渉だけでなく、人間の精神にも影響を及ぼし始めていた。
「落ち着け! うろたえるな!」
上官の怒号が響くが、混乱は収まらない。
その中で、三浦 健が冷静に、しかし腹の底から声を張り上げた。
「全システムを手動に切り替えろ! 計器は無視だ、目視で周囲の状況を確認しろ! 何が起きても対応する、必ずだ!」
特殊部隊で培った彼の、極限状況下での声が、かろうじて隊員たちのパニックを食い止めた。
夕暮れ時。電子機器の混乱は続いていた。だが、モヤの動きは少し落ち着き、世界樹の周囲を巨大な二色のリングのように、ゆっくりと旋回する状態になっている。夕焼けの赤い光が、黒と白のモヤを照らし、不気味な美しさを醸し出していた。
三浦 健は、双眼鏡でその光景を凝視している。彼の顔には、疲労と、これから始まるであろう未知の戦いへの覚悟が刻まれていた。
「代理戦争…か…」
彼は静かに呟いた。
「何?」
上官が問う。
「いえ…。ただ、観客でいられる時間は、もう終わったのだと」
三浦 健は確信していた。あのモヤは、いずれ何かの形を取り、この地球を戦場に変えるだろう。これは、神と悪魔の、最初の挨拶なのだと。
それは、神と悪魔の最初の挨拶だった。人類という観客を前に、彼らはこれから始まる永い闘争の幕を開けた。この時、三浦 健はまだ知る由もなかった。あの白いモヤと黒いモヤが、やがて人類の想像力を
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